僕はいつだって自分勝手だから。これからもきっと自分勝手だ

空っぽの無能

第1話

 僕は自分勝手だ。いつもいつも自分勝手だった。


「相談にのってあげる」

「愚痴を聞くのが好き」

「今日お話ししませんか?」


断ることが苦手だと分かっていても、僕はそれに気づかないふりして。


 相談になんて話を聞く側が飛び込むものじゃないんだほんとは。本当に親しい間柄なら相談する側が辛くて耐えられなくなってポロポロ零れ出すものなんだ。相談に乗ることが好きなのは自分より困ってる人を見て安心するためだったか。いいや、そんなことはないけれど。でも、全くなかったと言ったら噓になるかもしれない。


「相談にのってあげようか?」

「困ったことがあったらいつでも話して」

「具合悪そうだね。何かあった?」


いつまでもいつまでもいつまでも、僕は。


 誰に対しても持論を悠々と語るばかりで、心の底からぶつかったことなんて無かったかもしれない。自分の快楽のために相手の困りごとを利用していなかったか。相談してくれた人が僕と話して少しすっきりしたと、打ち明けられてホッとしたと言っても、それはそう言うしかなかったのかもしれないじゃないか。日本人でも日本人じゃなくても人間なら、誰だって噓をつくはずだ。相手を気持ちよくさせるための、面倒を避けるための、その場を乗り切るための、相手を敵対させないための噓をつくことはあるだろう。


 僕は相手を褒めることと、卑屈な人の自己を貶める言葉を否定することと、自分の目で見た時の相手と困りごととの相性を自分の言葉でべらべらと語る。それしか知らないかのように。それしか知らないのだろうけれど。でもそんなことで人が救われるだろうか。人はもっと複雑なことで悩んでいるのだろうに。救われていなくても「ありがとう」と答える人を、自分を知っているのに。


 誰かを救った気になって日々を生きて、それに気づいて吐き気を催す。自分の正義を語る人、自分の正義を掲げる人、自分の行いが過剰なまでに正しいと人に押し付ける人をゴミを見るような目で眺めていたこともあったのに、気付けばそのゴミは自分に成り代わっていた。


 誰かを救おうとすること自体が間違っているんだ。自分が正しいと思う時に正しいことなんて無いんだ。なのに、また今日も昨日もその前も今僕は地に伏せて泣いている。


 僕は自分勝手だ。僕が嫌いなゴミだ。それでも生きていたいと思ってしまう自分は本当に自分勝手で、救いようのない馬鹿野郎だ。


 また、同じように間違えて後悔することになるだろう。だってこれを書いていることがそもそも間違いなんだから。自分の後悔をつらつらと述べて、何だかすっきりした気分になっているんだ。


 僕が嫌いな人たちは今の僕と同じように快を覚えて、意気揚々と正義を押し付けに行くんだろう。ゴミって言ってごめんね。僕もおなじだった。気付けば誰かに嫌われている、気付けば誰かに疎まれている。そんなもんなんだろう。自分勝手なのは自分だけじゃなくて、いつだって自分のことしか見えてないからみんなに好かれるみんなはいない。自分勝手に生きる自分も含めた誰かは嫌われ者で疎まれている。


 ごめんね自分勝手で。これからもそうやって生きることしかできないけど。

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僕はいつだって自分勝手だから。これからもきっと自分勝手だ 空っぽの無能 @honedachi

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