「神様の定食屋」北園陽

@Talkstand_bungeibu

「春光」

8階にあるというカフェの窓から眺める世界はまだ寒々としていた。

3月も終わり4月入って10日を数えようとしているのに温かくなる気配はまだ感じられなかった。

向かいに座る彼と知り合ってからもう間もなく10年が経とうとしていた。わたしは当時、26で彼は年下の25だった。初めて出会ったのはビーチリゾートで有名な港町から船に30分くらい揺られて辿り着いた小さな島だった。


その島はサンゴ礁の海に無数に浮かぶリゾートと呼ばれるものの中でも人の手がほとんど入っておらず、原生林が生い茂り、木製の古びた桟橋とレセプション、そして客室付近にしか人工のものがないような場所だった。それは意図的に人の手を入れていないわけではなく、昔はさぞかし栄えたのだろうなと言う雰囲気があった。

何十年も前に発生した超大型のハリケーンにより壊滅的な打撃を被るまでは。

波打ち際に並ぶホテルのオーシャンビュー、9ホールのゴルフコース、ブッシュウォーキング、それの凡そ8割が使えなくなってしまった。

レセプションには廃墟になる前の古ぼけた写真が飾ってあり、どれも活気に満ち溢れていた。

その当時の島のオーナーは島ごとホテルを売りに出し、それを購入したのが当時のわたしたちの雇用主夫婦だった。夫婦と言っても入籍はしておらず外国人によくあるパートナーという関係だった。

島にはオーナー2人の他に欧米人と日本人が数人働いており、男性は2メートル近くある椰子の落ち葉を片付けたり、桟橋の先のジャングルの入口からプールサイドまで伸びるコンクリートの小径の掃除をしたり、椰子の実を集めてジュース入りのものとジュースなしのものを分けたり、人間に咬みついて来る緑アリや毒ガエルを退治したりと多岐に渡る。女性は客室のシーツやピローケースの洗濯、スティンガースーツの水洗い、「ココナッツカレー」の調理などを行う。


ココナッツカレー。

あの頃、嫌と言うほど作って食べてもう二度と見たくないというほどだったのに、今どうしても食べたくて仕方がない。レシピは覚えているのにあの味を出すことができない。

あの島でココナッツカレーを食べたあの食堂は思い返せば不思議な場所だった。

25だった彼は彼の有名な宗教の教祖様のように長い髪を伸ばしっぱなしにしていて、さながら神様のようだった。

もう世界中どこを探しても見つけられないけれど、あの空間、あの時間はよく晴れた春の日のように温かく懐かしい場所だった。

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