第32話 念押し


※三人称視点



 ショウキチとレベッカが家で仲良くしている頃――。

 家の前ではシロが待機していた。

 むろん、ショウキチが追い出したのではない。

 シロ自ら、空気を読んで外にいるのだ。

 シロの喜びは、ショウキチが幸せになることだ。

 長年生きるシロとて、そういったことを知らないわけではない。


 それに、元の身体の大きさに戻ったシロは、とてもではないが家の中にいるのは手狭だった。

 もちろん小さくなれば家の中にいることも可能なのだが、こっちの身体のほうがのびのびとしているし落ち着くのだった。

 特に必要がないときは、シロはいつも庭の芝生に寝転んでいる。

 もともと野生で過ごしていたのだから、なにも問題はなかった。

 雨のときは軒下に入ろうとは思っていた。


 そんなシロだったが、部屋の中から聴こえてくる音に少しの気まずさを覚えていた。

 普通の人なら気にしないほどの音量でも、動物であるシロの耳にはよく聞こえるのだ。


「むぅ……ショウキチ……なかなかやるな……。それにしても、人間の交尾というのはこうも音が出るものなのか……」


 主の出す生活音を盗み聞きしているようで、申し訳なくなったシロは、しばらく散歩に出ることにした。

 シロが全速力で走れば、門番や街の人に気づかれることなく草原と街を行き来できる。

 それに今は深夜なので、誰も出歩いてなどいなかった。


「夜風が気持ちいいな……」


 シロはあてもなく草原を駆け回った。

 自分もメスのフェンリル種や狼種を探してもよかったが、そんな気にはならなかった。

 とにかく時間がつぶせればと思っていた。


「そういえば……」


 先日、ショウキチと共に大商人バッカスの館を訪れたときのことを思い出す。

 ショウキチは金を渡すだけでことを治めたが、どうもシロはそれが気がかりだった。

 あの悪辣な男が、金を渡しただけで不干渉を貫くとは到底思えぬのだ。

 それに、シロは野生の感で人間の薄汚い裏の顔を見抜くことにも長けていた。


「我が主は優しすぎるな……まったく……だからこそ、我も惹かれたのだが……」


 そうつぶやいて、シロは道を引き返した。

 向かう先は、大商人バッカスの館である。

 心優しい青年のショウキチが、バッカスを殺したりすることなどできようはずもない。

 それはシロもよく理解していた。

 そもそも、そういった発想がないのが彼だ。

 シロは念のために、バッカスにくぎを刺しておくことにしたのだ。


 ――バリィイン……!!!!


「な、なんじゃ……!?」


 大商人バッカスの館に、一匹の獣が入り込む。

 今度は人間を背中に載せてはない。

 ただの獣が侵入したのだ。


 夜な夜な金を数えていたバッカスは、目を丸くして驚いた。

 ようくみると、その白狼が先日の相手だと気づく。


「な、なんじゃ……? 私にまだなにか用か……?」


 おそるおそるそう尋ねるバッカス。

 彼が大きな声を出さなかったのは、なにもシロを信頼しているからではない。

 そこから、それ以上動けなかったのだ。

 シロは本気で威嚇していた。

 獣としてのすべてをもってして、バッカスをその場に膠着させていた。


 あと一歩でも動けば、死すぞ、と。

 バッカスはそれを正しく受け止め、その場で足をぶるぶる震えさせた。

 その足元には、あたたかいものが滴っていた。


「ガルルルルル……! もし……もしもだ、先日のあの男――我が主になにかしてみろ。そのときは我、白狼王が一瞬にして貴様の首を食いちぎろう」

「ひぃ……!?」

「わかったな……?」

「わ、わかった……! わかったからもうその殺気をといてくれ……!」


 シロの出す本気の殺気で、バッカスは震えあがっていた。

 まさに、生きた心地がしないとはこのことだ。

 全裸でライオンの檻に入れられるようなもの。

 相手は本物の獣だ。

 獣からすれば、興味のない人間などただの肉の塊にしか見えない。

 シロがここでバッカスを殺さなかったのは、ショウキチがそれを望まないと思ったからだ。

 愛するシロが人を殺すなんて、ショウキチはよろこばないだろう。

 それをシロはわかっていた。

 一度ショウキチに使えると決めてからは、ショウキチの同族をむやみに殺さないと決めていたのだ。


「ガルルルルル……約束したからな……」

「ひぃ……!?」


 それだけ言い残すと、シロはさっそうと夜の闇に消えていった。

 バッカスは大事な紙幣をその汚い体液で汚す羽目になった。

 床には大きな惨めな水たまりができていた。


「な、なんだったんだ……あいつは……」


 その後、バッカスは心労がたたって数週間倒れることになった。

 そしてさらにそのことがきっかけで、彼は大病を患うことにつながるのだが――。

 これはまた別の話。

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