アレフガルド
人魔境界 | ティアクロィエ
| ティアクロィエ
魔族領と辺境伯の領地の境目には高い城壁が長く横たわっていた。それは何千年と続いてきた勇者と魔王の戦いの記録であり、人魔の境界でもあった。
薄らとした朝靄の中、それが見えた。
ようやく、人の匂いのする場所へと帰ってきた。
大声で泣いてから一月。
ボクにとって今後の身の振り方を考えるのに与えられた時間でもあった。
「ようやくだね」
「ああ、いつものように、帰りはすぐ、なんて思っていたが…今回だけは違ったな」
そうだったな。クエストや、探索。ダンジョン。京のだいたいの思いつきから唐突に始まる、通称人救いなど。めちゃくちゃな目に遭うことや、散々な目に遭うこともあったけど、帰り道は早く感じてたな。
だから。
こんなに掛かるなんて思ってもみなかった。
◆
13才の誕生日。父とともに教会で旅の安全を祈願しようとしたボクに、不幸という名の神託が舞い降りたのは鮮明に覚えている。
大陸南西部にある海よりの町、シーガラッハでボクの両親は商店をしていた。
父は買付として、小さな村落を周り、絹織物や工芸品、保存食や地域独自の調味料、香辛料などを仕入れたり、手紙の配達や託けなどを請け負ったり、地域間の諍いや争いなどが起こる前に領主様に伝えたりと、実に何でもできる商人だった。
母はそんな父の仕入れた物を扱う店を構えていて、ボクも家業として手伝っていた。
そんな両親に憧れて、いつかはボクも父の跡を継ぐんだと夢を見ていて、連れて行って欲しいと何度も掛け合ったが良い返事はもらえなかった。
同い年の幼馴染、カールは10才くらいから親について大きな街に行ったりしていた。カールのところは自分とこの畑で採れたものを直接大きな街に卸に行っていて、ボクはその度に不満ばかり垂れ流していた。
だけど、父の言い分もわかっていた。それは、幼子や女だと舐められたり、どうしても荒事に巻き込まれたりすることがあり、一人娘のボクが心配でならないということ。
だけど、商売の基本を身につけ、13才まで心変わりしないなら弟子として連れて行ってくれると最後には折れていた。舐められないためにとボク呼びもこの頃からだった。
13才は、このアレフガルドに住まう女の子にとって特別な年齢だった。勇者物語に出てくる姫巫女様が神託を受ける年だったからだ。
今はもう魔王なんて伝承にしかなく、いつしか言い伝えは変化し、勇者物語に準えて、婚約を受けることのできる、特別な年齢となっていった。
ボクも前々から約束していたとおり幼馴染のカールからプロポーズされ、はにかみながらも了承したのだった。
そうした中、ついに、行商に行ける日がやって来た。両親とカールとともに町の教会に行き、旅の安全を祈願して祝福を得てから旅立つことになっていた。
だけど、僕の行き先は王都になってしまった。
憂鬱だった。
勇者なんてボクには関係なかったのに。
絶対に行かなーい!いーだ!なんて楯突いたけど、やっぱり教会には逆らえず、カールとも離れ離れになりながらも司祭様方と共に渋々王都に来てしまった。
カールには、すぐに帰るから待ってて!と何の保障もないのに言ってしまった。商人失格だった。
勇者物語の勇者様。
そりゃあ知ってるよ。行商への憧れもカールとの淡い恋も、勇者物語を重ねてきた。でも重ねただけであって、登場人物になりたいわけじゃなかった。現実はそんなんじゃないとわかっていた。根っからの商人の気質だった。
大教会でローゼンマリー、アートリリィと出会った。その当時はここまで仲良くなるなんて思いもしなかった。
何か二人とも休憩時間とか就寝前とかにもじもじして…気持ち悪かったし。
神託によって得た力は、これで一人でも行商に行けると前向きに捉えた。教会での作法や、古い文献の勉強。地域の風土や気候なども含んでいた為、全て商売の種として覚えようと決めて励んだ。
ただ、誓約させられた勇者殺しだけは納得がいってなかった。
そうして、あっという間に二年が経ち、召喚の日がやってきた。豊穣の月、満月の夜。奇しくもカールにプロポーズを受けた日と同じ日だった。
初めに感じたのは覇気のない表情だった。長く実家の店で客を見ていたからわかる。これはお金を貸したら絶対返ってこない顔だ、と。
ただ、疑問もあった。勇者物語の勇者様は皆生き生きとしていた。元の世界の話は特に無く、楽しそうな人生を送っていた。
なのに、この勇者は私とカールの人生を狂わせたのに、なぜ死にそうな表情をしているのかと、腹が立って仕方なかった。
それから、王都での約半年あまりの基礎訓練期間の間中ずっとボクはこの勇者を憎んでいた。
心変わりが起こったのは旅に出てからすぐだった。具体的には食事に対する並々ならぬ執念を見せた時だった。
商人として、長く行商に出ると特に不満だったのが食事だった。それは父も洩らしていた商人の常識だった。
実際王都に来る際の旅路でキツい洗礼は受けていた。
最初の夜営の時だった。
何を思ったのか、勇者の癖に鍋を渡さないのだ。お付きの神殿騎士や修道女もいるのに、頑なだった。最後には彼らも諦めて勇者に従っていたが、不満で一杯だった。
そりゃそうだ。
どこの世界に、魔王を倒しこの世を救う伝説の勇者に、ご飯を作らせる従者がいるかのか。
ボクも呆れた。ただでさえ腹が立っている勇者がいったい何をしているのかと。
だけど、目には力があった。そう、何が何でもやり遂げる、決意の目。商人にとっては信用のおける目だった。そこまで必死なら任せてみるかと、他の巫女と見守った。
すると、何だこれ、美味しかった!
何これ、美味しかったのだった!!
あの時の感動は今でも忘れられない。
正に世界が一変した。
気づいた時には、無心で食べ尽くしていた。
勇者様が言うには旨味の掛け合わせ、だそうだ。通常では全て捨てる灰汁の中にも旨味はあるらしく、火の入りと灰汁の取り方に魔法を使っていた。しかも同じ鍋に入れたのに火の入り方が具材によって違うのだ。
どこの世界に調理自体に魔法を使うやつがいるんだよと、美味しい食事に和まされてしまい、つい笑いながら悪態をついていた。
その時の勇者様は照れ臭そうに笑っていた。
夜営でこんなにも美味しい食事にありつけるなんて。感動のあまり、父とカールに如何に勇者様がすごいかといつものように手紙を送っていた。
そして最初の人救い。軽やかに剣を打ち振るい、幼気な薬草摘みの少女を救っていた。少女が不安にならないように爽やかな笑顔で応えていた。
正に物語の勇者様だった。
それからの旅は救世の旅とは思えないくらい楽しかった。気づけば一番嫌っていたはずのボクが一番に名前をあだ名にしていた。
神殿騎士が諌めてくるが、ボクには関係なかった。それに、ボクに注目が集まれば、リリィが手紙の交換をしやすかった。もちろん後で読ませてもらっていた。
いつからか、もっと友情を結びたくなった。だけど神殿騎士によって許されなかった。
教会の誓約と監視による縛りは、思ってもみないくらいボクの心を曇らせ、胸を刺し続け、煮え沸らせ続け、気づいた時には、恋に落ちていた。
自覚してからは、もうカールに手紙を書けなくなってしまった。
参考にしていた程度の勇者物語は、いつしかボクが登場人物になっていた。
◆
「クロは…どうする?」
徐にローゼンマリーが聞いてきた。
王都にある大教会。そこへ赴き、神に報告した後の話だろう。
ボクは大泣きしてからここまでの帰路で決めていた。
「ボクは故郷には帰れないよ。いや、帰らないよ。マリーもでしょ?」
商人としての旅はもう、出来そうにない。
女としての旅を始めるんだ。
「…そう、だな」
「そうだよ。どこが良いと思う?」
お腹をゆっくり摩りながら聞いた。
もう、カールにあげれるものは全部無くなってしまっていた。
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