恋人がたまごになった話

ピエレ

 恋人がたまごになった話

 まだ空がほんとうに青くて、夕焼け空が心までバラ色に染めてくれた昔、ある田舎町に、ヒトミという名のやさしい娘が暮らしていました。

 ヒトミは、近くに住むアキラという名の青年に恋していました。アキラもまた、ヒトミのことを特別な女性だと思っていました。アキラには、ミュージシャンになる夢がありました。アキラはヒトミと毎日会って、野原や河辺を歩き、夕焼けや星空を眺めて夢を語り、ヒトミのために歌いました。そして二人は、いつまでも一緒に生きていくことを誓い合ったのです。

 ある日、アキラは決意を固め、一人で都へ旅立つことを恋人に告げました。

「おいら、ヒトミのために、必ず一人前のミュージシャンになって、帰って来るよ」

 ヒトミは彼の胸で泣きました。

「わたし、あなたの夢を応援するけど、ほんとうはずっと一緒にいたい」

 アキラは一人、旅立ちました。だけど都には、彼と同じ夢をいだいている者が、何万人もいたのです。

 アキラは都じゅうの音楽事務所を訪ねては、自作の歌を披露しました。毎日毎晩、路上や駅前や公園でも、通りすがりの人々に歌い続けました。故郷で待つヒトミのために、喉から血が出ても歌い続けました。


 ヒトミは、恋人が帰って来るのを、神にも仏にも草木や太陽や月や星にも祈りながら待っていました。だけど何年たっても帰りません。

 そんなある日、父親に言われたのです。

「ヒトミ、おまえももう、いい歳だ。おまえにいい縁談話が来ているけど、どうだ?」

 ヒトミは額を床にこすりつけて頼みました。

「どうかわたしに、恋人を捜すチャンスを下さい」

 一週間だけ都へ行くことを父に許され、ヒトミも都へ旅立ちました。

 都の人々にアキラのことを尋ねて、ヒトミは何日も歩き回りました。だけど何百万人も暮らしてる都の中で彼を見つけることは、星空の中から目には見えない一つの暗い星を見つけ出すようなものです。音楽事務所も片っぱしから当たってみましたが、彼のことを知っている者は誰もいませんでした。

 途方に暮れて夜の街をさまよっていた時、水晶占いの老婆に出会いました。

「都のはずれの、夢追い谷に、古い大きな倉庫がある。その中に、たくさんの大きなたまごが捨ててある。そのたまごの中の一つが、まさしくあんたの恋人なのじゃ」

 そう占い師は告げました。

 ヒトミは最終バスで夢追い谷へ行き、大きな古い倉庫へと、息を切らして走りました。建物の前には、白髭を長く伸ばした管理人がいました。

 ヒトミが訳を話すと、管理人は言いました。

「この中のものは、どうせいらないものばかりだから、好きなだけ持って行くがいい」

 倉庫の中には、ラグビーボールくらいの大きさのたまごが何万も転がっていました。

「アキラ、アキラ・・」

 ヒトミが恋人の名を呼んで話しかけると、たもごたちは恋人のフリをしました。

「ぼくがアキラだよ」

「いいや、おれこそが、ほんものの恋人だ」

「違う、違う、ぼくこそ、きみをずっと待っていたんだ」

 ヒトミは何十時間もかけて、たまご一つ一つに呼びかけ、手で触り、けんめいに捜し続けました。どのたまごも、見た目は同じように見えます。それでもとうとう、ヒトミを無視している一つのたまごを見つけた時、彼女の胸は沸騰する鍋のフタのように震えたのです。彼女には、すぐにそれこそが恋人のアキラだと分かりました。

「まあ、あなたなのね?」

 ヒトミが指で触れると、たまごは体を熱くして、涙を隠しながら、ぶるぶる震えました。

「おいら、おまえなんか知らない」

 と忘れもしない声で言うたまごを抱きしめ、懐かしい匂いを嗅ぎ、ヒトミは故郷へ持ち帰りました。

 ヒトミは、そのたまごを何よりも大切にしました。夜は必ずたまごを胸に抱いて寝ました。

「もうずっとずっと離れないよ」

 そう言って、ヒトミは毎晩、眠る前にたまごにキスしました。

 そして毎朝、起きた時も、たまごにキスして、こう言うのです。

「今日も、あなたがここにいて、わたし幸せだよ」


 それから三年たったある夜、人間の姿のアキラがヒトミの夢に現れて、真剣な顔で言いました。

「おいらはヒトミを幸せにできない。だからおいらを川へ流して、おいらのことなど忘れておくれ」

 たまごになって闇の奥へころころ転がって行くアキラを追いかけ、ヒトミは必死で叫びました。

「あなたがわたしの幸せなの。わたしたち、ずっと一緒だと、約束したでしょう? あなたさえいれば、わたし、どんなに貧しい生活だって幸せなの。わたしの夢は、ただ、あなたと死ぬまで暮らすことなんだもの」

 

 その数日後、父がヒトミに言いました。

「わしの勤め先の若社長が、おまえを嫁に欲しいと言ってきた。わしは承諾したからな」

 ヒトミはたまごになった恋人を見せ、涙ながらに訴えました。

「わたしが生涯、愛するのは、このたまごだけなのです。わたしは、このたまごと、結婚します」

 父は顔を炎にして怒りました。

「もし、この役に立たないたまごを、結婚式までに捨てなければ、わしが斧で叩き割ってやるからな」

 ヒトミはたまごの命を守るため、若社長との結婚を承諾せざるをえませんでした。

 結婚式前日の夕方、ヒトミは若社長と二人で、たまごを持って川へ行きました。

 とうとう別れの時が来たのです。

 川にたまごを流す前に、ヒトミは胸に抱いて語りかけました。

「約束を守れなくて、ごめんね」

 たまごは無言で笑いましたが、彼の心が叫び声をあげるのが、ヒトミには張り裂ける胸の痛みで分かりました。

「ヒトミさん、何で泣いているの?」

 と新郎が首をかしげて尋ねました。

 ヒトミは心で絶叫しながら、悲しみに震える手をたまごから離しました。たまごは夕陽煌めく川に浮き沈みしながら流れて行きます。流れ流れて、浅瀬の岩にぶつかりました。その時です。たまごにヒビが入り、その割れ目から、美しい歌声が川に響き出たのです。それは、ヒトミの幸せを願うアキラの歌でした。せせらぎの音に合わせて流れる真の恋人の歌に、ヒトミは熱い涙が止まりません。哀しいくらいやさしいその歌声は、聴く者の心を揺さぶり、人々がその清らかな川へ集まって来ました。

 新郎が止めるとを振り切って、ヒトミは川へ入って行きました。そして波に揺れながら、恋人と一緒に心を震わせて歌いました。


  きみを笑顔にしたい

  ただそれだけのためにぼくは歌うよ

  あなたを笑顔にしたい

  ただそれだけのためにわたしも歌うの


 川に集まった人々も、二人の絶唱に共鳴して歌いました。せせらぎの音に揺れる陽光が、彼らをやさしく包んでいました。












 

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恋人がたまごになった話 ピエレ @nozomi22

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