2 - ミステリィの悪魔
「じゃあ、今日の問題を出そうか。今日はそうだね……典型的な、密室殺人だ」
密室殺人。
ミステリでの基本的な題材だけど、彼女から典型的な密室殺人なんて、殆ど聞いたことが無い。
大体どこかひねくれていて、真相にたどり着けないようにされている。
そういえば、一番最初に彼女と〝
「ある男……そうだな、仮に彼の《名前を
「彼は《アパートに住んでいた》が、そこで《死亡しているのが発見された》」
「警察の捜査によって《事件発生の30分前までは部屋に居たことが確認されている》」
「加えて《事件発生の30分前から、死体が発見されるまで部屋に入室した者はいない》ことも確認済みだ」
「そして《その部屋は施錠されており密室》だった。死因は判然としないが《明確な他殺》である事は確定している」
一通り事件を喋り終えたのか、彼女は両手を組んで肘を長机に預けた。
「……さて、少年。君が抗うべき嘘はこうだ、良く聞いて、明確に記憶したまえ」
「〝須藤京介は、ミステリィの悪魔によって殺害された〟」
「さあ、君の推理を聞かせてくれ」
話を聞く限り、事件は確かに密室殺人のようだ。
……でも、それ以前に気になることがある。
「まず、なんで男の名前が……僕の名前なんですか」
「ん? 特に理由は無いよ、私が君の名前を覚えた証拠、ということだ。それよりいいのかい? 時間はどんどん無くなるよ?」
全く、先輩は……。人の名前を勝手に被害者の名前に使うなんて。
しかし時間がどんどん無くなるのも事実。此処は、手堅く攻めていこう。
「じゃあ、密室の定義を要求します」
「いいね、密室の定義はいつもの通りだ。改めて宣言しよう」
「《1.密室とは内外からの侵入・脱出・干渉が出来ない隔絶された空間を示す》」
「《2.この密室において外部から干渉する余地はない》」
「《3.この密室において隠し扉などの認識できない出入り口はない》」
「今回の〝
今回の題材が密室殺人なら、まずは密室とは何なのかを定義しないと始まらない。
最初のうち、それを定義しないでやっていた結果、何度となく騙された。
彼女が今回定義した密室は、僕が密室を定義し始めてか毎回復唱しているのと同じものだった。
此処が定義出来たなら、密室が密室であることに揺るぎが無い。
なら次は……犯行時間辺りを攻めてみるか。
「はい、……では、事件が起きる30分前まで、彼は生きていましたか?」
「ああ、そうだ。《その問いを真実と認めよう》」
「事件発生時刻は、何時であっても構わないですか? そしてその時間に死亡した、と仮定しても?」
「《その問いを真実と認めよう》。だが……敢えて言うなら《金曜日の午後5時とでも仮定しておこうか》。その方が、真実味が増すだろう?」
愉しげに笑う先輩。
金曜日の午後5時なんて、まさに今だ。人の名前を被害者に使った挙げ句、時間まで……。
先輩は、たまにこうやって問題文そのものにイタズラを仕掛けてくるから、やらしいと思う。
あ、……大切な事を確認してない。
「……念の為ですが確認します。多重人格は関与しない?」
「フフフ、君は割と根深いね。《その問いを真実と認めよう》」
……多重人格。以前、先輩が仕込んできた真相のひとつだ。
一人の身体に二人以上の人格。そのどちらか一方がもう片方を殺害することで、殺人と言ってのけたことがある。
それに騙されてから、極力殺人の時には確認するようになった。しかし先輩は忘れた頃に、ちょくちょく多重人格ネタを仕込んで来る。
……何度引っかかったか。
「流石にあれは……ルール違反じゃないですか? 多重人格なんて」
「いや? 一切何もルールに反していない。私は《常にこの手をあげたときは必ず真実を言っている》し、手を上げてない時は嘘を言う可能性がある。君がまんまと引っかかり続けただけさ」
「もしかして……バカにされてます?」
「いや、私は知恵あるものを決してバカにはしない。笑うことはあってもね。手を上げて復唱しようか?」
先輩は涼しげに笑った。そこ、笑うとこじゃ無いと思うんだけど。
……でも、此処で乗ったら負けだ。砂時計は今でも落ちていっているんだから。
「……良いです、時間の無駄なので」
「よろしい、では次は?」
密室の定義と犯行時刻の確認が終わった。なら次は……死因辺りを掘ってみよう。
もし死因に何か特定の条件があれば追求できる。なければ、死因は真相に関与しない、ということだ。
「この〝
「君は実に優秀だよ。不必要なものを排除することが、真相への近道だということを理解している。《その問いを真実と認めよう》」
「じゃあ……例えば、鉄球とか爆弾とか、密室ごと殺されたということはないと?」
「そうだね。《その問いを真実と認めよう》、加えて《アパートは事件の前後で一切損壊していない》とも言っておこうか、そうでないと密室の定義に反するからね。まあ血痕とかは損壊の外と考えてくれ」
死因は、この事件の真相に関与しない、ということか……。
……うーん。訳が分からなくなってきた。
「事件の30分前に、彼は自分のアパートに入室した、と解釈しても?」
「うん、そうだ。《事件の30分前に須藤京介は自分のアパートに入室している》と明言しようじゃないか」
「彼の死体が発見されたのは、彼のアパートですか?」
「《死体が発見されたのは須藤京介のアパート》だね。君の自室を想像してみるといい」
「……死体が動かされた形跡はない、ですよね? 運び込んだとかそういう形跡は無いと?」
「《その問いを真実と認めよう》」
犯行現場はアパートの室内で確定したか。
そうなると、密室が今回の真相に大きく関わって来ることになる。
やっぱりどうやって密室を造り上げたか……が重要だ。
そうだ、さっき多重人格は確認したけど、同姓同名は確認していない。
もし同姓同名の一応この線も潰しておこう。
「……次、須藤京介という人物は一人だけですか?」
「うん、賢い君にはこう答えるよ。《その問いを真実と認めよう》と」
同姓同名の線も消えた……。
どうやってこの密室を崩せば良いか、分からない。
時間だけはどんどん過ぎていくのに、密室を解く手がかりが……。
……そうだ! 見えない第三者が重要なトリガーになってる可能性は?
「……須藤京介と、彼を殺した犯人以外は真相に関与しないと認識しても?」
「ああ、《彼と、彼を殺した犯人以外は関与しない》。隠された第三者なんて居ないから安心したまえ」
第三者の線はあっさり潰れた。
いや、むしろ第三者が登場しないなら……犯人が重要になって来る。
「彼を殺害した犯人は、誰であっても成立します?」
「さあ、それはどうかな? 誰でも良い、なんて訳は無いね。だってこれは無差別殺人じゃないんだから」
先輩は手を挙げなかった。
やっぱり、この事件の真相……密室の真相には、犯人が関わっている。そんな気がする。
「……………………」
状況を再整理しよう。
犯行時刻は金曜日の午後5時、死因は何でも良い。
密室は破られたようなことは無く、密室ごと死んだという訳でも無い。
そして彼、須藤京介を殺した犯人が…………。
……え、いや?
死体として発見されたのって、須藤京介……か?
彼女は、手を挙げてそう言ったか?
――――違う。
彼女は〝彼〟としか言っていない。さっき登場人物を確認した時も、先輩は〝《彼を殺害した人物が存在する》〟としか言っていない。
徹底して、被害者の話になると〝彼〟と言っているような?
もしかして……――――
「……死体として発見されたのは、須藤京介ですか?」
「フフフ、残念。実に良い所まで追いかけてきたが、どうやら時間切れだ。残念だったね」
あ……。
砂時計を見ると、砂は落ちきっていた。……気づかなかった。
……負けだ。最後の日なのに、此処まで追い詰めたのに、勝てなかった。
「どうだったかな。今回の事件は――――」
先輩は、愉しげに笑いながら、カップに新しい紅茶を注いでくれた。
何時もの敗北の味。……今日は、一段と苦い。
「では最期に……君の導いた真相を聞こうか。聞かせてくれ、少年」
「……須藤京介が犯人で、殺害されたのは全く別の誰か。この〝
先輩はいつも、最後にこうして弁解の機会を与えてくる。
それが真相に近づいていようといまいと、彼女はそれを元に真相を開示してくれる。
彼女の表情を見ると、……今回のは、ほぼ正解だったようだ。
「――――ああ。やっぱり、君はとても賢いね」
「その通り。《私は『彼』と『須藤京介』を混ぜこぜにして言っていたんだ》」
「《部屋に入った〝彼〟は須藤京介だけど、殺されていた〝彼〟は須藤京介ではない》」
「《つまり、自室で30分前以上に来た〝彼〟を殺しただけ》……という訳さ」
「人は固有名詞が出された後に、関連する三人称単数が出てくると、それらを同一人物と誤認するんだよ」
「だってその方が脳を酷使する必要が無くて楽だからね、その性質を利用した〝
――――まんまと騙された。
僕はずっと、それに気づくまで〝彼〟は須藤京介……つまり被害者であるはずの僕だと勝手に仮定していた。
良くある叙述トリックに陥って、それが真相の核であると、気づくのに遅すぎたんだ。
「ちなみに、その殺された方の〝彼〟だが……名前に興味はあるかな?」
思わせぶりに彼女が言う。
……開示された真相には関係ないんだろうけど、そこまでいうなら……。
「じゃあ教えてあげよう。その名前はね――――雨宮千鳥、っていうんだ。意外だったかい?」
「千鳥という名は男性名として使えなくも無いから、違和感は無いと思うが。気に入って貰えたかな?」
…………今日が最終日だっていうのに。
先輩は、自分の名前を……被害者に使うなんて。
まるで、僕が先輩を殺したみたいな、そんな事件を造り上げて。
……人の、気持ちも知らないで。
「………………ずるいですよ、先輩」
泣きそうな顔を見せたくなくて、少し顔を背けたが……先輩は、少し身を乗り出して頬から顎を、その手で撫でて来た。
「――――フフ、私は君の……その負けた時の悔しさと、自分の無知と無学を恥じる表情が大好きだった。それがもう見られなくなると思うと残念だよ」
「では、今日はもう切り上げようか。私も忙しい身だし、君だって青春の日々を無駄にしたくはないだろうから」
えっ……?
何時もなら、この後もう少し時間があって、今週読んだ本の話とかするのに……。
最終日なのに、もう行ってしまう……?
「あ、あの、待って――――」
立ち上がって先輩を制止しようとしたが、口を人差し指で塞がれてしまった。
……彼女の細い指先が、唇に触れて、いる。
そして耳元で囁くかのような少し低めの声で、彼女は首を振った。
「ダメだ。少年、君は私に負けた。私に何かを要求する権利は一切無い……そうだね?」
……そうだ。負けたんだから、彼女にお願いする権利は無い。
素直に、諦めるしかないのは分かってる。
そのまま脱力するように、元の椅子に座り込むしか無かった。
「よろしい。……《とても楽しい1年だったよ》」
「では、お然らばだ少年! 《よく食べ、よく遊び、よく学びたまえ!》」
先輩は、そう言って笑いながら部屋を出て行った。
後に残されたのは、僕一人と2つのティーカップ。
――――もう、先輩とこうして会うことはないんだ。
……僕らの、1年にわたる〝
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