第80話 自問自答

 胸を揉むにしろセックスをするにしろ、ここまで気持ちを明らかにしてくれている彼女に対していつまでも曖昧な態度を取っているのは不誠実ではないか? と自問自答する。


 何故女性と付き合わないのか。行為に及ばないのか。

 その理由を伝えるのが筋ではないのか? と紫苑のことを見上げながら頭を悩ませる。


 頑なに隠している訳ではないので話すこと自体は問題ない。しかし訳を話すにしても楓の件が関わっている以上は重たい話になってしまう。

 それを精神的に不安定な今の彼女に話すのは酷ではないだろうか、と思った実親は安易に口を開けなかった。


「胸を揉むのもセックスをするのも本当にそれで良いのか? 正直言って今のお前は冷静じゃないと思うぞ」

「……そうかもしれないね」


 紫苑は目元に蓄えた涙が零れ落ちそうになるのを懸命にこらえながら頷く。


「でも、仮に冷静さを欠いて感情に任せた判断だったとしても後悔はないよ」


 自分でも冷静な判断が出来ていないことは理解している。

 だが実親に抱かれることは以前から誘惑していたので後悔などしない。冗談交じりの誘惑とはいえ、本当に抱かれる可能性がある以上は心構えをしていた。

 寧ろ嬉しいくらいなので、その想いを伝える為に笑みを浮かべたが、顔が緩んだ拍子に涙が零れ落ちてしまう。


「なら良いが……」


 本人が後悔はないと言っているのなら望みを叶えてやるべきではないか? と考え込む実親は紫苑の瞳を見つめる。

 濁りのない強い意志が宿った彼女の瞳からは本物の想いだということが犇々ひしひしと伝わってくるので、実親は覚悟を決めて受け入れるべきかもしれない。しかし、避けては通れない問題がある。

 それは――


「お前の望みは叶えてやりたいが、今はコンドームがないからセックスは出来ないな」


 避妊具の持ち合わせがないことであった。

 女性とになる気がなかった実親はコンドームを用意していない。

 避妊具がない以上は本番を行う訳にはいなかった。


「別になくても良いよ。生の方が気持ち良いって言うし」


 紫苑は吐息を多分に含んだ声色で蠱惑的に笑うが涙の所為で台無しである。


「いや、それは駄目だろ。生の方が気持ち良いのは否定しないが、万が一があったらどうするんだ」


 実親は間髪入れずに苦言を呈す。


「……その言い方は生でやったことがあるってことだよね?」

「……若気の至りだ」

「説得力ないじゃん」


 駄目だと言っておきながら生でしていた過去がある実親に紫苑はジト目を向ける。


「返す言葉がないな……」


 居た堪れなくなった実親は頭を掻く。


「だが、これだけはわかってくれ。お前のことを大事に思っているからこそ駄目だと言っているんだ」


 苦い顔を晒していた実親は表情を引き締めて本心を告げる。


「万が一があった場合は責任を取る覚悟はあるが、そうなったらお前は高校を辞めなくてはならないだろ。お前の親父さんの顔に泥を塗るようなことは出来ない」

「確かに折角父さんが高校通わせてくれてるのにそれを無下にするのは嫌だな……」


 紫苑は父が学費を払ってくれているから高校に通えているので、もし妊娠して退学することになったら申し訳が立たない。


 父は男遊びが激しい母に苦労した。

 その娘が高校生にもかかわらず妊娠したとなれば、母と同じように身持ちの軽い女性になってしまったのではないかと思わせてしまうかもしれない。

 尊敬している父を悲しませたくはないし、母のような人間になってしまったと誤解されてしまうのは紫苑にとって我慢ならないことだった。


 実親としても高校は辞めたくない。

 今のところ生活出来るだけの稼ぎはあるが、それがいつまで続くかはわからないし、大学に進学したいので辞める訳にはいかなかった。


「それに伊吹に悪い気もする……」


 少しだけ冷静になった紫苑がぽつりと呟く。


 伊吹が実親のことを好きなのを知っていながら抱かれるのは少なからず最悪感が湧いてくる。

 心から実親のことが好きで真剣に将来のことを考えた上での行為なら兎も角、今みたいに一時の感情に流されて抱かれるのは伊吹に失礼ではないか? と思い至る。


 実親になら抱かれても良いと思っているが、一時の感情に流されていないと言い切れる自信もない。


 気心の知れた友人がプライベートを犠牲にしてまで高跳び一本に集中している中、彼女の意中の相手に抱かれようとしている自分は最低ではないだろうか? 彼女なら許してくれるかもしれないが、その優しさに甘えるのは卑怯ではないか? と冷静になった頭で考え込んでしまう。


 伊吹は親元を離れて一人で頑張っているのに、自分は彼女の想い人に縋ろうとしている。

 二人では置かれている状況が異なるが、それでもどうしたって比較してしまう。

 比較すればするほど自分が情けなくなるし、伊吹に対する罪悪感も強まっていく。


「……」


 考え込む紫苑の顔を見上げながら実親は無言を貫くことしか出来なかった。


 伊吹に好意を寄せられているのも、彼女と紫苑が親しい間柄なのも理解しているが、二人の間でどのようなやり取りがあるのかまでは把握していない。


 伊吹には告白の返事はしないでくれと言われているものの、曖昧な態度を取っている事実は変わらない。

 紫苑に対しても同じことが言える。彼女には明確に告白された訳ではないが、向けてくれている好意は本物だと察せられる。

 なのでその二人に挟まれる形になっている実親は、はっきりとした態度を取っていない自分には何か物を言える資格がないと思い口をつぐむしかなかったのだ。


(やはり久世にはちゃんと事情を話しておくべきか……)


 本人が望んでいることなので伊吹とは曖昧な関係のままでも良いかもしれない。

 しかし紫苑には女性と特別な関係になるのを避けている理由を説明するのが筋ではないか? という考えに実親の思考は逆戻りする。


(だが、それは今ではないよな……)


 少しだけ冷静さを取り戻したとはいえ、紫苑の精神はまだ安定していない。

 今は彼女の心をケアすることが何よりも優先すべきことだ。重たい内容の話を聞かせるのは心に負荷が掛かってしまう。


 実親の過去を紫苑が知ったら、恋人を失った傷心から立ち直っていないのに無神経にも迫ってしまったと自分を責めて追い詰めてしまうかもしれないので、訳を話すにしても今はタイミングが悪かった。


「んー、やっぱりおっぱい揉んでくれるだけで良いかな……」


 伊吹に対して後ろめたさを感じた紫苑は眉尻を下げながら呟いた。


「本当にそれが慰めになるのか?」

「うん。なるよ」


 実親の確認に紫苑は迷いなく頷く。


「そうか……」


 シャワーを浴びた後の火照った身体から発せられる体温が、弾けるように張りのある彼女の臀部から伝わってくる。

 腫れた目元が痛々しいが、今のシチュエーションが影響してか潤んだ瞳が淫らで官能的であり、しなやかで凹凸の激しい豊満な肉体を持つ彼女の姿が総じて眼が痛くなるほど蠱惑的だ。


 紫苑の瞳には小悪魔が意中の相手を誘惑する為に魅了しているかのような神秘的な魔力が宿っており、その視線に吸い寄せられた実親は夢現ゆめうつつのような不思議な感覚に囚われながら眼前に聳え立つ双丘に両手を伸ばした。

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