第48話 自覚

 自分の想いを自覚した伊吹は先程までとは違う意味で頬を赤く染める。


(私って単純なのかな……?)


 実親は相談に乗ってくれて悩みの原因に気付かせてくれた。その上真っ直ぐに気持ちをぶつけて励ましてもくれた。

 確かに心が救われたし特別な時間でもあったが、そんな簡単に恋に落ちるものなのかな? と伊吹は頭を悩ませる。


 少なくとも恋愛的な意味で人を好きになったことがない経験不足の伊吹には答えを導き出せず思考の沼に嵌まってしまう。


 兎にも角にも別の意味でも充実した一日になっていたのだ。


「インターハイは応援に行くね」

「え? あ、ありがとう」


 自問自答していた伊吹は紫苑の言葉に意識を引き戻される。

 もし実親のことを意識していたと勘付かれたら恥ずかしくて逃げ出したくなるので、不自然にならないように返答した自分を心の中で称賛した。


「でも会場徳島だけど大丈夫? 遠いよ?」

「……」


 開催場所のことを全く考慮していなかった紫苑は思わず押し黙る。


「徳島のどこだ?」

「鳴門市だよ」


 伊吹の素早い返答に実親は「鳴門市か……」と呟くと、スマホを取り出して画面をタップする。


「高速バスなら片道十時間四十分強で約一万一千円の道のりだな」


 鳴門市までの移動経路を調べていたのだ。


「新幹線と電車の移動だと片道七時間四十分で約一万八千円」


 当然高速バスよりは早く着くが出費は多くなる。


「飛行機、電車、バスの移動で片道四時間強。出費は航空会社や日によって変わるが、間違いなく一番高いだろうな」


 懐事情の切なさに紫苑は頬を引き攣らせていく。

 その様子に伊吹は苦笑している。


「車と一日近く掛かる特急は論外だな」


 自動車は未成年なので当然除外で、特急は時間が掛かり過ぎる。どちらも現実的ではない。


「ひ、飛行機の移動時間で高速バスの値段なら……!」


 紫苑は受け入れたくない現実に嘆く。

 夏休み中なので移動時間は問題ない。あまり時間が掛かり過ぎるのは勘弁だが。

 何よりも高校生には高額な値段である。いくらバイトしているとはいえ中々痛い出費だろう。紫苑の場合は自分で食い扶持を稼いでいるので尚更だ。


「来てくれるのは嬉しいけど無理しなくて良いよ?」


 伊吹は気遣うような視線を向ける。

 応援に来てくれるのは凄く嬉しいが、無理されると心が痛む。


「私がかっこいい伊吹の姿を見たいのー。でもお金が……」


 紫苑は頭を抱え込んでしまう。

 応援に行きたい気持ちと懐事情の問題で葛藤している。

 その姿に、みかねた実親が助け舟を出す。


「俺は応援に行くが、荷物持ちがいると助かるんだがな」

「ここに巨乳美少女メイドがいます!」


 紫苑はがばっ! と顔を上げて挙手しながら早口でアピールする。

 そして――


「誠心誠意ご奉仕させて頂きますー!」


 土下座をするような勢いで頭を下げた。


 実際には荷物持ちなど必要としていない。

 しかし交通費を出してやると言っても紫苑は遠慮するだろう。日頃から世話になっているのにその上交通費を貰う訳にはいかないと頑なに固辞する筈だ。

 なので、なるべく罪悪感を抱かないで済むように荷物持ちとしての役割を提示した。本当に荷物を持たせるかは別として。


「ということで椎葉、二人で応援させてもらう」

「ご主人様に一生ついていきます!」

「それは困る」

「ガーン!」


 鳴門市まで連れて行ってもらえるとわかった紫苑は喜色を顕にするが、実親のそっけない態度に肩を落とす。


「上げてから落とすなんて……ご無体なご主人様……」


 大袈裟に悲しんでいるポーズをする。


「でもこの感じ悪くない……癖になりそう」

「ええ……」


 少し顔を赤らめて興奮している紫苑のまさかの反応に伊吹が若干引く。


「久世さんってМだったんだね……」

「いや、そんなことはない筈なんだけど……多分黛限定だと思う」


 普段は家庭環境の所為もあって無体な扱いを受けるのは不快でしかない。寧ろ揶揄う方が好きだ。

 しかし何故か実親相手にはマゾになってしまうようで、自分の新たな性癖を発見した紫苑は悶々としていた。


(改めて振り返ると黛にそっけない態度を取られた時はいつも喜んでいたかもしれない……)


 今までは冗談を言い合える関係なだけだと思っていたが、どうやら違ったようだ。


(黛は私にとって特別な存在なんだ)


 と自覚した。


「椎葉は俺達が応援しているからといって力まなくて良いからな。楽しんで跳んでいる姿を見せてくれ」

「う、うん」


 呆気に取られた伊吹は、「久世さんのことを無視して良いの!?」と思いながら頷く。


 実親は敢えて紫苑のことをスルーしたが、残念ながらそれは逆効果であった。


「放置プレイ……」


 ぼそっと呟いた紫苑はゾクッとして身悶えている。


 伊吹は伊吹で紫苑のことが気が気でなかったのと、実親が応援に来てくれるという事実に「かっこ悪い姿は見せられないな」と思い二重の意味で緊張していた。

 それと同時に「少しでも私に夢中になってくれたら嬉しいな」、と恋する乙女になっていた。余計な力が入らないと良いのだが……。




 悶える少女と恋する乙女、そして二人に挟まれている実親は引き続き服が乾くまで時間を潰すことになる。

 夕陽のお陰で女性陣の顔が赤く染まっているのを誤魔化すことが出来たのは二人にとって幸いであった。

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