第47話 心根

「濡れちゃった」

「私も」


 水遊びを堪能した二人が実親のもとに戻って来た。

 スキニーパンツの裾を掴みながら苦笑する紫苑と、相槌を打つ伊吹は並んで実親の目の前に立つ。


「二人共水で服が透けてブラが見えているぞ」

「え」

「っ……!!」


 実親の指摘に二人は自分の胸元に視線を向けた。

 紫苑は「あらら……はしゃぎ過ぎたね」と言いながらあっけらかんとしており、伊吹は胸元を手で隠してしゃがみ込んだ。

 対照的な反応をする二人だった。


「いや、隠せよ」

「まあ、私はこれがあるし伊吹よりはマシでしょ」


 紫苑はフレアスリーブレースロングガウンカーディガンを掴んでひらひらさせる。

 確かに近くで見ない限りはあまり目立たないかもしれない。


「黛なら別に見られても良いしねー。寧ろ見せつけて誘惑するべき?」


 隠す気のない紫苑が身に付けている深紅色のオフショルダーブラが実親の瞳に映っている。

 ちなみに白のトップスでも深い赤は意外と色が透けない。


 それは兎も角として、確かに今更実親相手に恥ずかしがることはないのかもしれないが、今は二人きりではない。野外である。少しは自重した方が良いだろう。


「ここは外だぞ」

「お? 他の人には見せたくないってことかな? 独占欲?」


 紫苑は実親が座っている一段下の階段に膝を着いて接近する。雌豹のポーズに近い。


「そうだな。そういうことしておくから自重しろ」

「棒読みじゃん……」


 しかし実親には効果がなかった。

 感情の籠っていない返しに紫苑は肩を落とす。


「とりあえず椎葉はこれを着ておけ」


 そう言って実親は自分のベストを脱いで紫苑に渡す。

 受け取った紫苑は振り向いて伊吹の肩からベストを羽織らせた。


 実親は今の伊吹に近付く訳にはいかないと思い紫苑を中継したのだ。

 その意図を言葉を交わすことなく察した彼女も流石である。


「あ、ありがとう」


 伊吹はベストのボタンを留める。しかしベストのボタンは位置が低いので完全には隠せない。白いブラジャーが微かに見えている。

 白いTシャツなので目立たない同色の白いブラジャーを身に付けていたのだが、濡れて透けてしまっては意味がない。

 シャツが肌にくっつくので色も形も目立ってしまう。背面を隠すことが出来ただけでも幸いだ。お陰で伊吹の背筋が伸びた。


「少し乾くまで待つか」

「そうだねー」

「う、うん」


 実親の提案に紫苑が首肯すると、恥ずかがりながら伊吹も頷く。

 そして紫苑は実親の左隣に腰を下ろし、伊吹は右隣に腰を下ろした。

 二人に挟まれる形になった実親は再び両手に花状態だ。


「何が恥ずかしいって私は久世さんと違って胸が小さいから……」


 両手で胸元を隠す伊吹が顔を真っ赤に染めながら呟く。

 夕陽の影響でより赤くなっているように見え、相反するいじらしさと色っぽさが同居していて妙に扇情的だ。


 彼女は慎ましい胸がコンプレックスだった。

 しかしスポーツをする上で控え目な胸は寧ろ有利に働くので複雑な心境になってしまう。

 特に高跳びは身体が軽い方が良いので慎ましい胸はありがたい。

 大きな胸への羨望と高跳びへの愛。二つの感情の狭間で葛藤していたのだ。


「何も恥ずかしがることはないだろ。大事なのはその奥にあるものだからな」


 真面目な顔で実親がフォローする。


「心根ってこと?」

「ああ」


 首を傾げて問う紫苑に首肯で返す。


「確かにそれは間違いないね」


 紫苑は心の底から同意する。母が良い例だ、と思ったのだ。

 いくら外見が良かろうが、胸が大きかろうが、内面が伴っていなければ魅力は微塵も感じられないと。


「その点椎葉の心は美しい」

「うんうん」

「あ、ありがとう」


 伊吹の心根が美しいというのは二人の共通認識であった。


「そもそも好みは人それぞれだし、慎ましい胸にも豊満な胸にもそれぞれの良さがある。どちらも魅力的で尊いものだ」


 一層真面目な顔つきになって語る実親の口調は穏やかだがどこか力強さがある。

 まるで教祖が信者に説法しているかのようだ。


「つまりどちらも捨てがたいということだな」

「そ、そんなに力説されるとは思わなかった……」


 先程まで恥ずかしがっていた伊吹は圧倒されて身体の力が抜けた。


「でも少し自信ついたよ」


 伊吹がはにかむ。

 その表情はとても可憐であり、実親も紫苑も見惚れてしまう。


 すると少し強めの風が吹いて髪が揺れる。

 伊吹は目にかかった前髪を右手で横に流すと視線を海に向けた。


 三人は言葉を交わすことなく波打つ海を眺める。

 波の音に耳を傾け、ゆったりとした時間が流れていく。


「なんか良いね、こういうの」

「だね」


 足を投げ出して両手を後ろの地面につけて身体を支えている紫苑が感慨深げに呟くと、体育座りをして胸元に膝を引き寄せている伊吹が頷いた。


 何をするでもなく自然に身を任せている時間が尊く感じる。

 忙しない日々のことを忘れさせてくれるようだ。


 そのまま夕陽で茜色に染まっている海面を眺めながら伊吹が徐に口を開く。


「二人共今日はありがとう」

「私も楽しかったし、こっちこそありがとうだよ」

「そうだな」


 紫苑が微笑み、実親も口元を緩めて頷く。


 伊吹にとっては良い気分転換になったし、悩みの原因にも気が付けたのでとても充実した一日だった。

 それに――


(気付いたら視線で追っちゃってる……)


 伊吹はちらちらと視線を実親に向ける。

 海を眺めている横顔から目を離せない。

 以前までは「イケメンだなー」と思うことはあったが、今はとても輝いて見える。まるで特別な人だと認識しているかのように。


(もしかしたら私……黛君のこと好きなのかもしれない……)

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