5-12

「本当に行っちゃうのね。お母さん、寂しくなるなあ」

 私が競馬学校に向かう日、母は玄関で私に言うようにそう呟いた。

「大丈夫だよ、お母さん。死ぬと決まった訳じゃないんだから」

 私は母に向かってそう答える。私は兎に角、母を安心させてあげたかった。

「あっちに行ったら、偶にでいいから連絡するんだよ。あとお腹を冷やさないようにね。これからは食事の量が減るかも知れないけど、それでも毎日必ず何かは食べなさいね。それから……」

 母は私にそう言った。

「解ってるって」

 私は思わず、母の言葉を遮ってそう言ってしまった。

「行くよ、風花」

 ふと後ろから父の声が聞こえてきた。振り返ると、父が車の運転席の窓を開けて、玄関前にいる私と母の方を向いていた。千葉県白井市にある日本中央競馬会競馬学校まで、父が車を出してくれることになっていた。

「じゃあ、またね。お母さん」

 私は母にそう言う。

「元気でね」

 母はそう言って、私を抱擁してくれた。私は母の背中に手を回し、母の肩に顔をうずめた。母の服から香るこの柔軟剤の匂いとも、もう別れなければいけない。

「体調にだけは気を付けてね」

 母はそう言って、私の頭を撫でた。

「うん、ありがとう」

 私はそう言って、抱擁する母の手を解く。

「じゃあ、行って来ます」

 私は母に言う。

「行ってらっしゃい」

 母は私にそう言った。私は母に手を振ると、父が待つ車の方へと踵を返す。そして私は、車の左側からドアを開けて、後部座席に乗り込んだ。

 その直後、私は中山競馬場の調整ルームで目を覚ました。周りには、父も母も誰もいない。

「夢か」

 私はそう呟く。時計は午前二時を指し示していた。

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