5-2

「いやあ、にしても見事やったなあ、風花ちゃん。流石馬場君のところで鍛えられてる騎手は違うわ」

 口取り式からの帰り道、加古川かこがわ社長は私にそう言った。六十代後半ほどの、恰幅の良い気さくな馬主だ。窮屈そうな丸い銀縁の眼鏡を掛けており、レンズの向こう側の眼はいつもにこにこと笑っている。「カコノ」という冠名かんむりめいが付く競走馬は全て加古川社長の所有馬であり、カコノローレル以外にも名馬を何頭も所有している。

「勿体無い程のお言葉、感謝致します」

 私は加古川社長に、小さく礼をしながら言う。検量室前で、カコノローレルを囲むように加古川社長、私、それから馬場先生が立ち、ローレルの左隣にはリードを持った優介ゆうすけさんが立っている。

「うちのローレルがクラシック制覇を期待されるなんて、これも風花ちゃんのおかげやな。何だか夢のような気分や」

加古川社長は私にそう言った。

「社長の相馬眼の賜物ですよ」

 私は加古川社長に言う。

「いやいや、風花ちゃんもよいしょが上手やな」

 加古川社長は大声で笑いながら私にそう言った。私はただ、本当に思ったことを言っただけだ。

「まだ油断してはいけませんよ、社長。今はまだ、『皐月賞』に王手をかけただけに過ぎません。最初の一冠すら制覇出来ていないのですから、喜ぶにはまだ早いと思います」

 馬場先生が加古川社長にそう言った。先生は細い眼をしているせいで、普段から怒っているような顰めっ面に見えてしまう。

「お、おう。せやな」

 加古川社長は苦笑いをしながらそう返事をした。

「それから風花、お前はこの後のレースにも出走するんだ。あまり浮かれ過ぎるなよ」

「はい、気を付けます」

 私は馬場先生にそう返事をする。私はふと、加古川社長と目が合う。加古川社長は、私に対して微笑とも苦笑ともつかない笑みを向けていた。

「先生、そろそろ次のレースの時間です」

 優介さんがふと馬場先生にそう言った。馬場先生は左腕につけた腕時計を確認する。

「風花、そろそろ検量室で準備をして来い。優介はそのままローレルを厩舎まで返すように。俺は武部たけべ社長に挨拶して来る」

 馬場先生は私と優介さんにそれぞれそう言った。

「はい」

 私と優介さんは同時に返事をする。馬場先生は、私が次のレースで騎乗するスノーファンタジアの馬主のところへ向かうつもりだ。

「ほな、俺もそろそろお暇するで」

 加古川社長は私たちにそう言った。そして社長は私の方に振り向き、にこにことした表情になる。

「頑張ってな、風花ちゃん」

 加古川社長は私にそう言った。

「はい。ありがとうございます」

 私は加古川社長にそう返事をする。そして私は小さく礼をしてから検量室の中へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る