【最終話】杏梨ちゃんはやっぱり癒されたい

 そこからの時間はあっという間だった。何しろやるべきことも考えることも、沢山あり過ぎたから。むしろ、もっと早くに決意して準備を始めるべきだったと後悔した。


 思えばずっと頑張ってきたことは、今回の最終目標にはやっぱり必要なことだった。だから頑張ってきて良かった。


 お母さんにも2人で出掛けた時に相談した。お母さんの過去のエピソードは全く参考にはならなかったけれど、一生懸命過ぎる昔の母は可愛くてすごく笑った。もしダメでもいつかこんな風に笑える日が来ると思えば全然無駄じゃない。


 そうたに話したら、「杏梨らしい」と目を輝かせて応援してくれた。予行練習相手にもなってくれるなんて本当にこの人は優しい。金田役のそうたは結構手強くて最高の練習相手。

 そうたと付き合って良かった。金田に言われて探した『他の男』にそうたを選んで良かった。そう伝えたら彼が少し涙ぐんだので、つられて泣いてしまった。


 そうたから「あいりから」ととても可愛らしいハンカチをもらった。料理のお礼とささやかだけど誕生日プレゼントを兼ねてらしい。白地に小さなハートの刺繍が入っていて、愛らしい彼女が応援してくれてるように思える。

 あの子は全く悪くないのに勝手に醜い感情を抱いてしまった自分が恥ずかしい。彼氏の水川さんとは順調らしいけれど、そうたは時々寂しそう。いくら良い人でもやはり上手くいかないときもあるのだと実感する。このハンカチはお守り代わりに持っていく。上手く行ったら今度こそあいりちゃんに心から笑える気がするから。


 仁美は自分の式の準備で忙しいはずなのに時間を空けて誕生日の日のコーディネートを考えてくれた。

「めちゃくちゃ綺麗だよ、杏梨。心から応援してる」

 彼女は嘘なんて言わない。この姿にちゃんと自信を持たなくてはいけない。胸を張って自信を持って金田を完全に納得させなければいけないのだ。


 樹からは「杏梨さんまじかっこいいです」と言われた。一緒に飲みに行ったら、思った以上に彼が彼女さんに会いに行ったときの話の内容が甘々で、彼女さんが羨ましかった。彼のスマホの待ち受け画面は今は2人の写真に変わっている。最近は定期的に会っているので2人の写真は増えていく。きっと今後も。

「かっこいい」なんて言われたら、やっぱり年上として失敗はできない。気合いが入るよね。

 私の勇姿を見ててね、みんな。


 ◇◇◇


 11月2日水曜日の19時。杏梨の26歳の誕生日。


 お店は金田が選ぶと言ってくれたが、杏梨は自分で探して予約した。支払わせるつもりは毛頭ない。プレゼントも絶対に受け取らないから持ってこないようにとも念を押しておいた。会えるだけで十分だと。

 予約したのは、金田の口に合いそうなフレンチのフルコースに個室で夜景の見える特等席。


「金田さん、お久しぶりです」

「久しぶり、杏梨。髪切ったんだ。似合ってる」

 久しぶりに会った金田は、少し痩せたように見えた。忙しかったのは本当だったのかもしれない。ジャケット姿がビシッと決まって格好良い。


 杏梨のワインレッドのワンピースからは鎖骨が覗く。自分が一番好きな赤い口紅をひいたメイクに、肩までの艶のあるストレート黒髪。赤は杏梨の好きな色だ。勝利の色。


「金田さん、お会いできて嬉しいです。お忙しいのにずっと我が儘を言ってしまい、申し訳ありませんでした」

「いや……何度もドタキャンすることになってしまって申し訳なかった」


「メッセージにも書いたでしょ? 『会えるのかも』って思うだけで私は楽しかったから全然いいんです」

「そうか……」


 金田の表情から、あのドタキャンの数々はやはり自分を諦めさせるための嘘だったのだと実感する。

 恐らく彼はこの関係に終止符を打つために今日ここに来たのだ。誕生日だから出来るだけ良い思い出は作るが、自分が諦めざる得ない理由を言って帰っていくだろう。


 そうはさせない。これは彼との勝負だ。弁護士の彼との。


 今日のために、知人のつてを使って弁護士の方とパラリーガルの方に話を聞いた。仕事の大変さ、やりがい、どんなサポートがあったら有り難いか。そして、どんな風に話したら納得するか。


 シュミレーションはそうたと何回もしたし、就職活動の面接で落ちたことはない。本番には強いのだ。そして、金田の逃げ道は1つしか残さなかった。でもその1つは彼自身が既に潰している。


 自信を持って、笑顔を忘れずに、自分らしく、やるしかない。


 食事は美味しく、話も弾んだ。

 金田の仕事の事、タイ旅行、杏梨の最近の趣味。内心ドキドキしていたけれど、前よりも言いたいことを言える自分が金田の前に座っているのが嬉しい。


 食事の最後にケーキとコーヒーが運ばれてきた。これでもうこの部屋に他の人が来ることはないだろう。食べ終わったら金田は何かしらの理由をつけてすぐ帰るか、もう会えないと言ってくる。


 先手必勝。覚悟はいいか? ――準備万端だ。


「金田さん、ケーキを食べる前に私の話を聞いて貰ってもいいですか? コーヒーは飲んでていいので」

 フォークを取ろうとした金田の手が止まり、金田の目が杏梨の目に向き合う。

 金田は急いでいても食事を残したりしない。ケーキを残して帰ることはないだろう。コーヒーはお代わりを頼めばいい。


「ああ、わかった」

「金田さん、私と結婚して下さい」


 杏梨は自分の欄と証人の欄が記入済みの婚姻届をテーブルの上に置いた。 証人として記入したのは杏梨の両親だ。彼等はこれから杏梨が話す内容についても承諾している。


 2人しかいない部屋がしんと静まり返った。平静を貼り付けた杏梨の顔と、心底驚いた様子の金田の顔が見つめ合う。


 顔は平気なふりをしているが、杏梨は心臓が早く打ち過ぎて身体が張り裂けそうな気分だった。


「なんで? 」

「私が金田さんの事が好きだからです」

 ここは自信を持って、心を込めて。


「……俺はもう……杏梨の事は好きじゃない。今日は会うのはこれで最後にしようと思って来た」


 予想通りの答えだったが、はっきり言われた悲しみが、勇気と自信を引き剥がそうと纏わりついてくるのが分かる。


 来ないで。私は諦めたりなんかしない。欲しいものはがむしゃらに掴みたいの。


「別に私のことは好きじゃなくていいです。結婚して一生かけて虜にしてみせますから」

「そんな結婚ないだろう? 杏梨にメリットなんかない。……結婚はしない」


 金田は悲しそうにため息をつく。一世一代のプロポーズを吐いた息では終わらせたりしない。


「ありますよ、メリット。私、金田さんに好かれる為ならいくらでも頑張れるんです」

「頑張ったってまた寂しくなるだけだろう? 結婚しても俺は仕事を優先せざる得ない」


 小さな子どもを諭すように話し掛けないで欲しい。今自分がしようとしていることは、大人の討論だ。


「お仕事優先で勿論いいです。私は仕事を頑張る金田さんを尊敬してます。むしろ私を優先されたら困るんです。いくらでも仕事して下さい」

「じゃあ、結婚する意味は?」


「金田さんが私に『ずっと自分を口説いても良い許可』を与えたって事でいいです。何なら別居でもいい」

「杏梨には俺なんかよりもっと良い人すぐ見つかるだろ? 今日も凄く綺麗で魅力的だ。正直会って驚いた」


「そうさせたのは金田さんです。貴方のお陰で私は変われた。周りに認められた自分ではなく、自分が好きな自分自身に自信を持つことが出来た。前よりも楽しいんです、とっても」

 魅力的と言われて心底嬉しいが、今日の目標はそこじゃない。


「俺は杏梨よりも10歳も年上だし、本音を言うとそんなに性欲がないからセックスもあまりしてあげられない。不満が溜まるだろう」

「別に自分で満たす方法なら知ってるし、金田さんがまた許可をくれれば他の人で満たします」

 これは少しだけ嘘だ。やはり愛のあるセックスは別物。でも単純に性欲だけなら満たせるのでそう言い切る。


「子どもだって欲しいかわからないし、出来たとしても育児には協力出来ないかもしれない」

「子どもを持つことが結婚の全てじゃないですよ。私も欲しいかわかんないですし、欲しくなったらその時に納得いくまで話し合いましょう」

 今は自分のことだけで精一杯だ。子どもが欲しいかもわからない。


「……いずれ独立したいからお金だってかけてあげられない」

「自分の分は自分で稼ぎます。すぐ結婚式出来る位の貯金もあるし転職も考えてる。そもそも、結婚式も高い指輪も新婚旅行も望まない。私が欲しいのは金田さんだけです」


 いざというときの為に計画的に貯めてきたし資産運用もしている。元より彼に経済的に依存する気はないし、結婚という契約に甘える気もない。結婚はあくまでスタートライン立てたというだけ。


「……親の介護とか」

「しますよ? 私、結構面倒見良いみたいです。適任かも。無理がでたら、今はサービスも利用出来るからそういうのも頼ればいい」

 意外と世話好きな自分を最近発見したのだ。


「俺が……先に死んだら? 10歳離れてるんだぞ? ほぼ確実に将来1人になる」

「金田さんがいない人生を1人で無気力に生きるより全然いい。金田さんの事は最後まで私が1人にしない覚悟はありますし、出来るだけ長生きできるようにします。健康的な食事も生活習慣もサポートできる知識は身に付けたので」

 1秒でも長くあなたと過ごして一緒のお墓で眠りたい。


「杏梨……」

「もう断る理由が無くなりました? もし浮かんできても私は答えられます。何度もシュミレーションしましたから。

 断る理由で私が認めるのは1つだけ。

 遠慮なくはっきり言ってもいいですよ? シンプルで単純な理由を。言われたら私は諦めます」


 言う? 言える? 嘘をつく? 本音?

 こんな逃げ道塞いでくるような女は嫌?


「嫌いって言ってもいいですよ? 」


 ああ、自分で促してどうするの? 馬鹿。本当に言われたらどうするの? ばかばかばかっ!


「……杏梨、嫌いだなんて言える訳ないだろう?」

 金田さんの目は悲しそうに杏梨を見つめていた。その目はふっとそらされて彼は自分の鞄を持った。


 ……帰るの?


 何かを取り出し、杏梨の見えるところで開ける。

 彼の手の中には小さな箱、その中にはキラキラ輝くダイヤモンドのついた指輪。


「今日が終わったら捨てるつもりだったのに、ここまで言われたら渡さざる得ないだろ? 俺の負けだよ、杏梨。結婚しよう」


 頭の中は真っ白で金田の言葉は聞こえてくるけれど、頭の中には入ってこない。


 杏梨の左手を持った金田はその手に指輪をそっと差し入れる。サイズもぴったりだ。


「えっ……?これ何ですか? プレゼントは持ってこないように言ったのに」

 とんでもなく嬉しいのに頭が回らなくて、可愛くない言葉が口から出る。


「誕生日プレゼントは持ってきてない。それは、付き合った翌日に俺が買っちゃったやつ。

 最初に『なんでありたいか』聞いたとき、もしも『お嫁さん』って言われたら結婚するつもりだった。もう1回聞かれたらすぐプロポーズ出来るように用意したんだ。杏梨が寝てる間にサイズを勝手に測ってサイズ調整までして、ずっと持ってた。馬鹿だろ?

 俺と結婚しても寂しい思いをさせるから、もう渡すつもりはなかったのに」


「金田さん……わたし、わたし」

 涙で金田の顔がぼやけてくる。こんなに優しい顔で見てくる彼の顔は絶対見逃したくないのに。


「杏梨はこれから金田になるんだから、もう『金田さん』は卒業な。呼んでみてよ、俺の名前は金田彰って知ってるだろ? 」


「あ、きら……」

「良くできました。俺の頑張り屋な奥さん。ケーキ食べよ? コーヒー冷めちゃったな、ごめんな。

 あー、今の時間からホテルとれるかな? 今日は杏梨を帰したくない。明日俺珍しく休みなんだ。『たまには休んでくださいっ』って言われちゃって」


「ホテルなら取ってありますよ。大丈夫です。私、彰さんに癒されたい。凄く頑張ったから急に疲れちゃいました」

「えっ……まさかこの展開、完全に予想してた? 」


 張りつめていた緊張の糸がどんどん抜けていく。金田の意外そうな顔が面白い。


「いえ、ただ私は自分の精一杯の努力と金田さんの『嫌いになんてなれる訳がない』って言葉を信じてただけです」


「おーい、名前は? ふふっ、杏梨には本当に敵わないな。こんな子が人生のパートナーになってくれるなんてこれからの俺は最強だ」


「名前はそんなに直ぐには呼び慣れないですよ……。

 今夜、沢山名前で呼ばせてくださいね、あなた」


 今夜は最高に癒されたい。だって私頑張ったでしょ?



 好きだから変わってやるわホトトギス。


 プライドも恥も見栄もどうでもいい。欲しいのは貴方だけ、がむしゃらに掴みに行く。


 癒しなしには頑張れないけど、決して誰でもいい訳じゃない。貴方の変わりなんて何処にもいない。


 杏梨ちゃんはやっぱり旦那さんに癒されたい。



 おしまい




 ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました! 誤字脱字多くて本当に申し訳ないです。

 頑張り屋の杏梨の恋の結末が、読んで下さった方の何かしらのプラスの感情になっていたら本望です(* >ω<)

 今後番外編は書くかもしれませんが本編は終了です。リクエストとか、もしあれば喜んで受けます~。


 次の話は『面白くないあとがき』です。開けてはいけないパンドラの箱。開けるかどうかはお任せしますが、後で責められても作者には責任は負えません。それでも良い方のみ開けてみて下さいね。

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