てあしはふたつある
コネインは重火器を好んだ。恵まれた体躯のおかげでマーシャルアーツでの戦闘にも自信があるが、それではどうあっても派手な爆発が起こせないからだ。大きな音と、目の眩むような閃光。揺れる空気を全身で感じたかった。今の体験を確かなものとして味わいたかった。ランチャーを打ち込みサブマシンガンをぶっ放したところでコネインの強靭な軸足は地面をしっかり踏みしめたままだ。体重移動も反動の殺し方はもはや呼吸ほどに馴染んでいる。
不意を突かれて足元に弾丸を喰らった。そして溢れ出た鮮血に、コネインの意識はブラックアウトした。
背を、粗雑なリズムで叩かれていた。リーの手のひらは大きくない。指も長くはない。爪は丸くて、拳の節は硬く歪だった。そうして伸びる腕は黄みを帯びたクリーム色をしていて、彼が暑さに堪え兼ねて袖を捲っていることに思い至った。その腕はいつも指先にかからんばかりの袖に隠されているものだ。任務のときには指先だけをグローブから覗かせて、不用意に肌を晒さない男だった。見事な体術の使い手で、彼の手足が風を切る様子はつむじ風のようだ。それにその小柄を生かしてするするとどこにだって入っていってしまう。軽快に自由に動く肢体を持っているのに、彼は今、投げやりな慰撫を施している。
「鼻が曲がりそうだ。もう慣れたけど」
独り言だと思わなかったのは、言葉と同時に手のひらが背を滑ったせいだった。
「隊長たちと連絡が取れない」
そのまま手が離れ、コネインはようやく自身の置かれている状況について思い出したのだった。あー、と喉のごろごろ言うようなしゃがれた声で返事をした。リーの顔を見上げたけれど、目深に被ったメットが影になっていてよく見えない。
作戦は滞りなく終わった。二人一組に分かれ、三方向から建物内に侵入、敵を掃討するというシンプルな作戦だった。そしてたいていの問題がそうであるように、この日も帰路につこうかというところで面倒が起きた。
「日が落ちたら厄介だな。置いていかれるかも」
思ってもないことがすらすら出る口だ、と緩慢な瞬きをしながら思った。うちの部隊は寄せ集めのわりに結束が固い。探してはくれるだろう。続けて二度、三度とゆっくり瞬いて、ようやく視界がクリアになった。リーの表情は相変わらず見えないが、遠く空を眺めているのはわかった。
「おれの無線もダメか?」
「もちろん。そうでなかったら今頃おまえはイヴに担がれて帰ってるとこだ」
作戦を同じくした彼らだって任務を終えて疲れているはずだ。気持ちは昂ぶっていても、身体は満身創痍だろう。そんなところに自分の巨体を担がせるのは悪い、とコネインは情けない気持ちになった。まあ、それも迎えがあればこその話だ。
腿を掠めていった銃弾は、とうに瓦礫の下に消えて無くなっている。出血も大した量じゃなければ、痛みも歩けないほどではない。況してや気を失うなど。
「……嫌な気分だ」
辺りを見渡し頭を軽く振った。上体を起こすと、ようやくリーの表情が見えた。リーはいつもと何ら変わりのない顔をしていた。黒くて丸い目はただそこにあって、童顔のおかげで人好きはするが、リーの顔はたいてい無関心を浮かべている。コネインが何とはなしに見つめると、そのままの瞳でじっとこちらを見返してくる。赤ん坊のように無垢な目だった。
視界がはっきりしたら、次に押し寄せてくるのは戦場の臭いだ。今回の仕事場は年間通して気温が馬鹿高く、今日のような快晴の、それも昼間を過ぎた時間などは最悪だった。吐き気を催したが、せり上がってきたのは酸い胃液ばかりで、覚えてないながらもきっと散々吐き尽くしたのだろうと知れた。こんなところでは肉などあっという間に腐ってしまう。蝿がたかって、蛆がわく。腐臭は麻痺すると甘くさえ臭うと知ったのはいつのことだっただろう。
怪我はすでに適切な処置が成されていて、脈打つように痛むことを除けばまったく幸運な損害だった。
接近戦の得意なリーは、相手と組んだところで顔面に食らいでもしたのか、鼻と唇に拭き取り損ねた血がこびりついていた。自分たちはよく怪我を負うが、リーの小柄な身体に降り積もる傷は、当人が常日頃言うとおり誰よりも大きく見えた。
ややあって、凛々しい眉がぎゅっと寄ったかと思うと、その小さな手が投げやりに顔を拭い始めた。どうやら自分が観察されていることに気づき、不快を表したいらしかった。大きな目は眇められても子ども染みている。
「おれはお前よりも強いから、倒れたお前を守りながら戦わなきゃならなかった」
くっ、と顎を引き、リーは挑むような表情を見せた。それに対し、コネインはそうか、悪かったな、と素直に謝罪をし、感謝を述べた。気の強いリーは肩透かしを食らったかのような、ようなではなく実際そうなのだろうけれど、ばつの悪そうな表情を浮かべてそっぽを向いた。
コネインは戦場で生きてきた。母国でそういう学校に通い、異例の出世で晴れて国軍の一員になった。一兵卒が見る間に頭角を現し、コネインがいれば敵なしだと言われるまでになった。
それがどうして多国籍、無法者たちばかりの所属する傭兵部隊に身を置いているのかというと、一言でいえばそのジャンキーぶりのせいだった。戦場で、コネインは人が変わったようになってしまう。人を守るために入隊したのに、人を殺したくてたまらなくなる。痛みや悲しみは二の次に、ただただ敵を倒したくなる。その衝動は激しくなり続け、やがてコネインは自主的に軍をやめた。いつ自隊の隊員、友人や同胞たちを殺してしまうか知れなかったから。
しばらくはあてもなく職業を探し続けたけれど、何もかもが長く続かなかった。コネインが求めているのは生きるか死ぬかのスリルであり、心の内を占めるのは人を殺したいという衝動だけだった。人間関係もうまく作れなくなり、コネインは家族とも連絡を絶った。孤独になり、浮浪者のような暮らしを始めた。
そんなときに声をかけてきたのが、リーだった。
お前、行くところがないな?
そのアジア人は訛りのひどい英語で話しかけてきた。生きることすら億劫になりかけていたコネインの代わりに返事をしたのが腹の虫で、リーは激しい体臭のするだろうコネインに怯むことなく、そのちいさな手で胸ぐらを掴んできた。当然座り込んだコネインの巨体が持ち上がるはずもなく、リーはチッと舌打ちをしてコネインの屈強な腕を取った。
そして連れて行かれたのが、多国籍の無法者たちが組んでいる傭兵部隊だった。金をもらえればなんでもする、ただし何でものなかには隊長の正義に反することは含まれない、隊長曰く最強の傭兵部隊だそうだ。
リーがコネインをつれてきたときは、ちょっとした騒ぎになったのだと後になって聞いた。リーは他人に極端に興味を持たず、自分さえよければそれで良いというスタンスを貫き通すやつだったからだ。
リーの膝下、熱さを残す地面に寝そべったまま、その出会いのことを思い出していた。あの日もリーの手はちいさかった。
リーにはちいさな手足がふたつずつ付いている。自身の規格外の体躯と比べれば吹けば飛ぶようなちいささだった。そんな手足に守られて、コネインは今日の日を生き延びた。今日だけではない。あの日コネインの腕を掴み上げた手はちいさかったし、先を行く足はちいさかった。引きずられるようにしてたどり着いた先には、個性的で愛すべき仲間たちがいた。
コネインはちいさな手足に何度も救われてきた。
この仕事は基本的にツーマンセルだ。拾ってきた責任感からなのか、リーはコネインのことを自分の相方として仕事場に連れていく。斥候や隠密行動を好み、実際にその役割が合っているリーにとって、図体もでかく小回りの利かないコネインは邪魔でしかないはずなのに。そのうえ、仕事場で意識が飛ぶたびに、自分の身体は守られて生き抜く。
どうしてそこまでしてくれるのだろう。ただあの日出会っただけなのに。
結局、ふたりを捜索に来たメンバーに見つけられ、無事に保護された。帰りの飛行機のなかで、リーはもうこちらのことなど知らんふりで居眠りに耽っていた。リーはいつもちいさな身体をさらに縮こまらせて眠る。深い眠りではなく、何かあればすぐに覚醒する程度の浅く素早い眠りだ。
コネインはリーのことを何も知らない。どんなふうに生きてきたのかとか、出身地さえも知らないままだ。知っているのは、彼がどれほど強くて優しいかということくらいだ。
もっと知りたいと思うのに、リーはなかなか素顔をさらしてはくれない。
2
リーはコネインのあの色素の薄い瞳が不思議でならなかった。晴れ渡った真昼、まともに降り注ぐ陽光のなかでそれは白く反射する。そしてあの深い虚のような眼窩の影に消え去ってしまう。身長差のせいで仕方なく見上げる都度、一体彼は何を見ているのかと思索した。よくよく見れば彼のまつげも美しい金色をしているし、凹凸は激しいのにどこかのっぺりとした風に思えるのだった。
コネインがきれいな顔の造作をしているというのは、隊員のなかでは統一の認識だった。幼い頃はさぞ美少年だったのだろうなとゲイの隊員、スナイパーのイヴは言う。イヴは自分もガタイがいいので、小柄で可愛らしいものを好むきらいにある。コネインの幼少期には興味があっても、今のコネインにはちっとも食指が動かないらしい。むしろリーのこぢんまりした様相のほうが好みのようで、恋人と別れるたびに粉をかけてくる。ちいさいから可愛くて好き、と甘ったれた声をかけられても、リーにとってそれは気色の悪い腹の立つ言葉でしかない。
リーは自身の恵まれなかった体躯を不利に思ったことはあれど、他者を羨んだことはない。自分の手持ちのカードがこれだった、そういうことだと思っている。おかげで小回りは利くし侮られやすい。油断している敵ほど戦いやすいものはない。誰もリーの年齢を知らない。コネインはまだ三十を少し超えたくらいで、イヴはコネインよりすこし上だという。隊長はもう六十近いのじゃないだろうか。それでも銃器を握り体術でもって敵をなぎ払っていく姿は最強にふさわしい光景だけれど。
話を戻す。リーはコネインのことをからかいを込めて「ナインチェ」と呼ぶ。偶にしか人を呼ばないので、当人や偶然その周りにいた者しか知らないことだろうけれど、リーはあの巨体に向かって「子ウサギちゃん」と呼びつけるのだった。
ナインチェを拾った理由を、周囲だけでなく本人からも何度も聞かれた。一度として口を割ったことはない。自分でも明確な理由がわかっていないのだから答えようがなかった。
隊長がリーを拾った理由は単純明快で、戦場慣れした野良の斥候向きの兵が欲しかったからだ。どうやって嗅ぎつけたのかは内緒だと取り合ってはくれないけれど、ストリートファイトで稼いでいるリーを見つけ出した隊長は、半ば攫うようにしてリーを傭兵部隊にぶち込んだ。
リーは自分の家族のことをほとんど覚えていない。運動神経がよく、動物を捌く手際が素晴らしかったという理由で、まだ幼い頃に後ろ暗い組織に売り払われたからだ。リーはそこで育ち、たくさんの命を奪ってきた。やがてそれにも飽き、こつこつと貯めた金で自身を買い取り自由の身になった。そしてやることもなく人生を謳歌しているところで隊長に拾われたのだった。
隊長には感謝の念はあまりない。ストリートファイトで十分に食っていけていたし、食いつなげなくなったり負けて死ぬことがあったらそれで終わりだとはっきりと割り切っていたからだ。助け合いの精神のある隊長の元で思いの外大切に扱われることは、自ら望んだことではなかった。
まあ悪い心地ではないから居てはやるけれど、というスタンスで、あまり隊員たちとも関わることもなく過ごしている、つもりだ。他の隊員がひと懐っこく、リーを仲間として扱うから無下にはできない。
ナインチェ。ナインチェは人生に光を失くして座り込んでいた。リーはその日あまり虫の居所がよくなく、そのいかにも絶望しましたという様子が気に食わなかった。それで胸ぐらを掴み上げようとしたのだけれどうまくいかず、悔しいので自隊のねぐらに誘った。リーが他人を連れて行ったのは初めてのことだったので、その日はずいぶんと騒ぎになってようだった。ようだった、というのは対応をしてくれた隊長が非常に落ち着き払っていて、何事もなかったかのようにナインチェに飯を与えたからだ。この部隊では人が増えたり減ったりすることは日常茶飯事で、だから隊長だって気にせずに飯を与えたのだと思う。
そうしてナインチェは仲間になった。見たとおり従軍経験者で、戦場が嫌で逃げ出したのではないのだから、役に立つことは明白だった。ナインチェは圧倒的な自分の力や破壊衝動がこわいのだと言う。戦場やそういったところで生きてきたリーにとってそれは傲慢な話で、使えるものは使えと答えたのを覚えている。
そのでかい手足は何のためにあるのか。リーは自身の体躯を気にしていないけれど、それでもナインチェほどに恵まれたものを持っていればと思うときはある。
あるときナインチェは、部隊のねぐらであるボロアパートの一室で、リーに手料理をふるまってくれた。戦場での最低限の料理は隊の誰もができるが、家庭に入った女のように料理をする男というのが物珍しく、キッチンで手際よく工程を進めていく手元を飽きもせず見ていた。彼の出身地の郷土料理だそうで、リーは不思議な感覚を覚えた。
隊長やリーが敵だと言った人間をためらいもなく吹き飛ばすその大きな手で、ナインチェは繊細で素朴な料理を作り上げた。派手な爆発を好み、ランチャーを打ち込むときには地面を踏みしめる大きな足がリズムを取りながら食材を刻んでいった。
自分の手を見た。人を殺すしか能のない手だった。魔法のように何かを作り出せる手ではなかった。
自分たちの手足は今日もきっちりふたつずつある。五体満足であることに感謝をしなければいけないのは、なくなってしまえば生きていく術を無くすからだ。しかしナインチェは言う。
「お前の手足がなくなったら、代わりをするから」
リーは言わない。ナインチェがそう言ったとしても。助けたのはリーであって、ナインチェはリーを救ったわけでない。そう思っていないと、おれもだ、と声に出してしまいそうだった。相棒として日々を過ごし戦場を駆け抜けるたび、ナインチェへの情が募っていくのがわかる。
嫌だな、と思うのは、あのキッチンに立つ姿が見られなくなることだ。リーにとって、あの光景は少なからず衝撃を与えた。戦場に出れば殺したがりの戦闘狂になる男の、その人を殺す同じ手が、命を繋ぐ行為をしている。
リーにはそれが人間らしく見えてどうしようもなかった。憧れ、としても良かった。
ナインチェが仕事中に意識を飛ばすことは間々あった。メンタルケアを担当するメンバーによれば、自分のなかの破壊衝動と戦っているのだそうだ。リーにはそんな馬鹿げたことをする理由がわからなかったけれど、実際に戦場で倒れられては仕方がない。せっかく拾ったものをみすみす失うのも面白くないので、リーはいつもナインチェの巨体を庇いながら仕事を遂行する。捨て身の攻撃すら多かったリーにとって、守るべきものがある戦い方というものは非常に難易度が高い。
それでもリーは自分よりもふたまわり以上も大きな身体を守って戦い抜いた。隊長はリスクの高いコンビを仕事に出すのを渋る時もあったが、基本的にリーの斥候としての存在とナインチェの派手な火力は必要だった。
ナインチェは自分の血を見るともうダメだ。相手のものならばいいのに、おかしな話だ。腿に銃弾を受けたナインチェは最後に一発派手にぶちかまして、それから崩折れていった。またか、という感想で、リーは相方の身体がこれ以上傷つかないように手持ちの武器を変えた。
やがて自分たちの担当していた部隊の殲滅を終え、リーは疲労感に膝を折った。日々をこうして生きてきたけれど、何かを守りながら戦うというのは実にいろいろなものが摩耗していく。倒れたナインチェの傍で、リーはその端正な顔立ちを眺めながらぼんやりと座り込んでいた。あの薄青い目がこちらを見るのを待っていた。疲れ切って、それでも傷の手当だけはしてやった。鼻の曲がりそうな臭いの戦場で、呼吸をし、動くものはふたりだけだった。
今日も何とか五体満足で生きている。いつ死んでもおかしくないような、いつ手足が吹き飛んでもおかしくないような、そんな日常にいて、幸運なことだった。
あの日掴んだ腕を、今一度掴みなおしてみた。脈拍は異常なし、耳に近づければ血の通う音が聞こえてきそうだった。自分の貧相な手よりもずっといろんなものを掴めそうな大きな手だった。この手を、失いたくなかった。
この手足が無くなればきっと代わりになりたいと返してしまうのだろうけれど、とても代わりになどなれそうにないから、こうして守って守って失われないようにするだけで精一杯だった。それがリーの精一杯の情だった。
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