第5話 初日

「はっ」


 チュンチュン。

 スズメの声が聞こえる。タエが目を覚ますと、ここは一戸建ての花村家。その二階にある自分の部屋。自分の布団の上にいた。

「えーと、……夢?」

 夜、貴船きふね神社へ行き、変なトカゲと戦い、ハナと再会した。そして、神社の神、高龗神タカオカミノカミと会った。タエを彼女の眷属けんぞくにし、代行者として働いて欲しいと勧誘かんゆうされた。

(私、やるって言ったんだよなぁ)

 カーテンを開けると、いつもと同じ青空。六月に入って、ずいぶんとムシムシ暑くなってきた。これが現実だ。これからまた、いつもと同じ日常が始まる。タエは昨夜の事は、やはり夢だったのだと気持ちを切り替えた。

 着替えを済ませ、顔を洗い、一階のリビングに入る。

「はよー」

「おはよ、お姉ちゃん」


「夢じゃなかったあああぁぁ!!」


 リビングのソファの上に、ハナがちょこんと座っていたのだ。タエは驚き過ぎてすっころび、履いていたスリッパがひゅーんと宙を舞った。

「タエちゃん、何やってんの? おはよ」

 タエの母親が不思議そうに見ている。父親はあきれた視線をちらりと向け、また読んでいた新聞に戻す。タエはそんな二人を交互に見て、あれ? と思った。小声で聞いてみる。

「二人には見えないの?」

「当然でしょ。私、魂だけだもん」

 確かに。ハナは亡くなっているのだ。

「きっと夜の事、夢だと思ってるだろうと思って、現実だって知らせに来たの。正直、夢で良かったのにって考えてたのは、高様には内緒ね」

 ひらりとソファから降りる。ハナは生きていた時も、このソファで寝るのが好きだった。タエは、ずっと当たり前だった彼女の動作一つ一つが、とてもとうといもののように感じていた。

「寝る時に、私の名前を呼んで。そしたら、また来るから」

 リビングの扉をすり抜けた。タエはそれを追う。玄関から外に出た。

「ずっと家にいないの?」

 タエの問いに、ハナは少し眉を寄せて苦笑した。今の彼女は表情が豊だ。眷属になり神獣となったので、犬という概念がいねんすら超越ちょうえつしているのだろうとタエは思った。

「基本的に私がいる場所は、高様の御側おそばだから。たまには来られるけどね」

「そっか」

 高龗神の正式な眷属であるハナは、彼女に仕えて仕事をしているのだ。主の側にいる事は当たり前だと、タエは思い直した。

「じゃあ、夜にね」

「うん」

 ハナはふわりと宙に浮かぶと、空に走りながら昇っていき、消えてしまった。神社に戻ったのだろう。

「タエちゃん、ご飯早く食べなさい」

「はーい」

 変わらない日常に戻る。タエは、再び家の中に入った。


 タエは地元の公立高校に通っている。家を出ると、親友の眩しい笑顔がそこにあった。

「おはよう、タエ!」

「おはよ、涼香ちゃん」

 タエの親友、宮路涼香みやじりょうか。学年で一番かわいいと言われる女生徒だ。全学年の中でも指折りの可愛さ。彼女とは小学校からの付き合いで、家も近く、よく泊まりに行く仲。もちろん一緒に登校している。頭も良くて真面目なので、先生からの評価も良い。タエはそんな涼香と親友であることが自慢だ。

「宿題、全部分かった?」

「うん」

「やっぱりねー。一つ分かんない所があって。教えてもらえません?」

「しょうがないなぁ。良いよ」

「わーい。さっすが涼香さま」

 頼れる姉御肌の涼香。そんな会話をしながら歩く。学校が見えてきた。そして今日も一日が始まる。






「なんか、緊張するな」

 夜。タエは早々に寝る支度したくをし、布団の上で座っていた。ハナとの約束を思い出す。初めての事なので、緊張でお腹が痛い。

「呼べば良いんやね。ハナさん、寝るよ」

 ハナの名を呼んでみれば、白い光が部屋の中にいきなり溢れ、ハナが現れた。

「準備は良い?」

「う、うん」

「それじゃあ、お姉ちゃんの魂を抜くよ」

 そう言うと、ハナは再び光を纏う。そして光のように早くタエの後ろに回り込んだかと思うと、タエの背中に衝撃しょうげきが走った。

「うわっ!!」

 あまりに強く押されたので、タエは前にべしょりと倒れこんだ。鼻を強打したはずだが、痛くない。

「うん! 良いじゃない!」

「え、何が?」

 鼻を押さえて起き上がる。ハナの方へ振り向くと、タエは思考が停止した。

「私が……寝てる?」

 ハナは布団の傍らにお座りしていた。その布団の上では、仰向けで大の字で寝ているタエの姿が。

「お姉ちゃんの魂を、押し出したの。体には精神――心が残ってる。心と魂には繋がりがあるから、お姉ちゃんの魂は、間違う事なくこの体に戻って来られるの。心を体に残してるからって、魂のお姉ちゃんに心がないってわけじゃないよ」

「ふぅん。それにしても、魂の抜き方、ずいぶん荒くない?」

「生きてる人から魂を抜くんだから、けっこう力がいるのよ」

 そういうものかと納得させつつ、タエが自分の手を見ると、あれ、と気付いた。

「え、何? 着物!?」


 タエの服装は着ていたパジャマではなかった。一番上の着物はベスト状で、赤地に金糸きんしで見事な龍の刺繍ししゅうがされている。その下は白地の着物で、赤の着物から出る袖にはたもとがない。水の波紋はもんが浮かび上がる水色の帯をキュッと結び、えりを重ねず真っ直ぐ下に下ろしたベストの下部分は膝下ひざしたまでの長さで、後ろから見ればスカートのようだ。白の着物の下部分は膝上までの丈なのでミニスカートのようだが、黒のズボンを穿き、すね当ても装備している。


「戦いやすいように作ってるから、普通の着物とは違うでしょ」

 ハナが説明してくれる。

「その着物はお姉ちゃんの代行者の正装。戦闘服ね。着物自体に高様の神通力じんつうりきほどこされてるから、瘴気しょうきはじいて、お姉ちゃんを守る完璧なよろいなの」

「へぇ。なんか、ゲームに出てくる衣装みたい」

「現代風にアレンジを加えたんだって。それから、これも見て」

 そう言って、ハナがわんと鳴くと、鏡が出てきた。壁掛けの鏡のようで、ふちがなく、丸い。両側から金色のふさが垂れ下がり、その二本が下で結わえられている。そして何より、ピカピカに磨かれており、傷一つ付いていない。

「これは貴船神社の御神体ごしんたいと同じ鏡。この部屋にかけて」

 言われた通りにしてみる。タエが自分の顔の高さに持ち上げると、鏡が勝手に動き、壁に引っ付いた。

画鋲がびょうも何も付けてないのに!」

 驚く事ばかりだ。そして、鏡に映った自分の変化にも気付く。

「えっ! ここの髪、伸びてる」

 外見にも少々の変化があった。タエは肩までの髪の長さで、サイドの髪を後ろにたばねていた。それが、代行者モードの時は、その束ねていた一房が腰の辺りまで伸びているのだ。それはまさに龍の尻尾のようだった。

「さ、準備は整ったから、その鏡から行くよ」

「どういうこと?」

「お姉ちゃんは今、高様の加護かごで、神の力を宿してる。それは、自分が代行者ですって言いふらしてるようなものなの。妖怪達は敏感びんかんに嗅ぎ付ける。その代行者がここから出入りしてるって分かったら、一気に襲ってくるよ。お姉ちゃんの体が危ないし、お父さん、お母さんも危険だわ」

「そ、そういうもんなの!?」

 ゾッとした。

「代行者を邪魔だと思う奴はいくらでもいる。この鏡がある限り、この家とこの家にいる者は守られるから安心して。妖怪達はこの家が察知できないようになるんだって」

「見えないって事?」

「この辺りに来ると、視界がぼやけるみたい。神力しんりきを感じる家はここだって、特定できないようになってるらしいよ」

「なんか、すごいね」

「すごいでしょ。神様って」

 そんな神様の御使いの任を受けたなど、誰も信じないだろうなと、タエは思っていた。

「この鏡から神社へ行って、仕事が終わったらまた神社から鏡を使ってここに戻ってくるの。分かった?」

「了解です」

「じゃ、行こう。高様が待ってるよ」


 ハナがふわりと浮き、鏡に触れるとそのまますり抜けてしまった。タエも真似をして鏡に触れる。鏡の中に吸い込まれ、次の瞬間には、白い世界の中に立っていた。

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