第2話 攻防

 タエは眉を寄せた。得体の知れない者が、ハナの声を真似た。その不気味さに恐怖心が再び吹き出す。わずかに体が震えていた。

「あんたが、私を呼んでたの?」

「そうさ。あいつの代わりにな」

 タエの問いに、トカゲはあっさり答えてくれる。

「一週間くらい前から呼ばれてたけど、ずっとハナさんを閉じ込めてたの?」

「いんや。あの檻に入れたのは今夜が初めて。俺が勝手にあんたの頭に呼び掛けてた」

「何の為に?」

「これはゲームだ。あいつの大事なモンをここへ呼び、あいつを助け出せるかどうかのな。あんたにとっても大事なヤツだろう? 助け出してみせろよ。ただの人間のあんたが、この俺にかなうとは、思えねぇがな」

「そいつの言葉を聞いちゃダメ! 目を覚ませば戻れる。だから……」

 ハナの言葉は弱弱しくなっていく。どこか、寂しさを感じた。

「私が逃げたら、ハナさんはどうなるの?」

「さぁてなぁ。魂を食らうもよし。奴隷どれいにするもよし」

 タエは拳を握っていた。そして、考えるよりも体が勝手に動いていた。トカゲの言葉が終わらない内に走り出し、ハナのいる檻へと一直線に向かっていたのだ。

「なにっ!?」

 突然のタエの行動に、トカゲも反応できずにいた。が、タエが檻に触れようとしたので、トップスピードで檻との間に割って入り、タエを弾き飛ばした。

「ぅわっ!!」

 ゴロゴロと転がり、痛みに耐えながらゆっくりと起き上がった。下は砂利じゃりなので、体にあたると痛い。肩まで垂れている黒髪も乱れて砂が付き、パジャマはしっとりとした土のせいで汚れてしまっている。

「いった……」

 本当に夢かと思うほどの痛み。タエは腕をさすりながら起き上がった。

「おねえちゃ……」

「待っててハナさん。すぐ、出してあげるから」

 にっこりと笑う。ハナにとって、いつも見ていた変わらない姉の笑顔。いつも犬のトラブルに遭った時、大丈夫だと笑ってくれた。あの時は、言葉は交わせなかったが、確実に互いの感情や言葉を理解していた。懐かしい。タエが大丈夫と言えば、本当に大丈夫に思えてくる。

「すぐ出すねぇ。この俺を倒さん限り、あの檻が開く事はねぇよ」

しゃべるトカゲを相手にするのは、めちゃくちゃ怖いけど……。目覚めが悪くなるのはしょうがない!」

 タエはトカゲと戦う決意をする。本気で殺そうと襲ってくるなら、こちらもやられる前にやらなくては。タエは拳を握りしめた。

「いいねぇ。その思い切りの良さ。嫌いじゃねぇぜ」

「私は爬虫類はちゅうるいと虫が大嫌いだ」

「ははっ! いくぞ!!」



 トカゲは容赦ようしゃなくタエに襲い掛かる。大きな口は牙をむき、タエの腕を傷付けた。タエもただやられているわけではなく、持ち前の運動神経で攻撃をかわしつつも、向かってくるトカゲに蹴りをお見舞いした。そして、正面から飛びかかって来れば、その目に拳を突き出し、目つぶしを食らわせた。軽く避けられてしまったが。

「おいおい、弱くて小せぇ体のくせに、攻撃の仕方が女じゃねぇな。現世で武術でもやってんのか?」

「知らん! 目つぶしはケンカの基本でしょ?」

 ぜい、ぜいと息を切らしながら、タエはトカゲをにらんだ。

「ははっ、面白れぇ! いいねぇ。惚れそうだ」

「あんたに好かれても嬉しくない!」

 なんだか楽しそうなトカゲの口調だが、体をくねらせ、ものすごいスピードでタエへと突進してくる。一度は避けたが、体勢を戻すのはトカゲの方が上。タエは二度目のタックルをもろに食らい、派手に転げた。うめき、よろけながらも体を起こす。そんなタエを見ながら、トカゲは声をかけた。

「そろそろ終わりにしようか。その前に一つ聞きてぇ事がある。なんでそんなになるまで戦う? 俺には敵わないと分かってるだろうが。そんなにその犬が大事か?」


 じゃり……。


 タエは足に力をめて立ち上がった。少し離れた所にハナがとらわれている。心配そうな視線だ。それをちらりと見、タエはトカゲをまっすぐ見据えた。

「ハナさんはねぇ、私の家族なの。最期さいごまで病気と闘って、やっと楽になれたのよ。それをあんな檻に入れて……。許せるはず、ないやろうが。見て見ぬフリなんか、できるかぁ!!」

「おねえちゃ……」

 タエは本気で怒っていた。ハナの最期を看取った。それまでのハナの様子も、病気が進行し、苦しむ姿もずっと見て来た。もう治らないと悟った時の、身を引き裂かれるような胸の痛みは、今も覚えている。

 だからこの貴船きふね神社で、神様に願ったのだ。“病気が治りますように”ではなく、“ハナさんが、苦しまず安らかに逝けますように”と。

 そして願い通り、苦しまずに逝ったのだ。タエは、欲のない、心からの願いは、神様は聞き届けてくれるのだと、身をもって知った。だからこそ、貴船の神様を尊敬しているし、この神社が大好きだった。そんな所で、こんな気味の悪いトカゲと戦うことになるとは。神聖な場を汚している。目の前の生き物に、いきどおりを感じていた。

「そうかい。そんじゃ、これで終わりにしよか」

 目つきが変わった。タエはゾッと寒気を覚える。

(本気だ……。私、殺される……!!)

 足が震える。しかし、逃げるわけにはいかない。何としてもハナを助けたい。しかし、自分には目の前のトカゲに勝つ力がないのだ。

 周りを見回せば、木の枝が転がっている。咄嗟とっさにそれを掴んだ。

「ほな、さいなら」

 トカゲの跳躍。一っ跳びでタエの目の前まで来ると、大きな口をがばりと開けた。タエは無我夢中むがむちゅうで持っていた枝をトカゲの顔めがけて打ち出した。枝など簡単に折られ、自分へ牙が届くだろうと覚悟していたが、突然、タエの周りが白い光に包まれた。あまりの強い光に目をつむる。この間にトカゲに襲われれば、もうなすすべはない。しかし痛みが来ないので、どうしたのかとゆっくり目を開けると、タエは声も出ないほど驚いた。


 持っていたのは枝ではなく、一振りの刀だったのだ。白く透き通った刃に、白い柄には金の竜が彫られ青い石が埋め込まれている。つばには金の繊細せんさい装飾そうしょくほどこされた、とても美しい刀。

「な……」

 言葉も出てこない。ふっと笑ったトカゲはどこかへ消えてしまった。

 そして、トカゲではない別の何かがタエの前に立っていた。



 その者を見つめるタエ。驚きすぎて、頭がぼーっとしていた。目の前にいる者は、人ではない風貌ふうぼうをしている。細長く魚のひれのような耳。色白で、モデルのようにスラッとした高い身長。銀色に透き通ったまっすぐの長い髪。そして、美人。胸がゆたかすぎて着物の着付けがなっていない。合わせががばりと開き、デコルテが丸見えだった。目のやり場に困る、色気が大爆発した女性だ。

 タエは開いた口がふさがらない。驚きすぎて、声すら発せない。



「合格じゃ」



 口の端を引き上げ、目の前の美人が静かに言った。

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