第18話 添い遂げたい

相談室からの書類を届けるべく向かった魔王城の廊下で、ログはフォールスとばったり会う。


「フォールスくん!」


笑顔で駆け寄ってくるログに、フォールスもつられて笑顔になる。


「仕事でこっちに来たの。まさか会えるなんて思ってなかったからびっくりしちゃった」

「僕もだよ!最近全然会えてなかったから……嬉しいよ」


相談室は魔王城から離れているのもあり、なかなか顔を合わせることもなくなっていたのだ。

と、フォールスは、ログの手をさっととり、恒例のキスをする。


「あっ!こら!駄目でしょ!こんなところで!」

「ふふっ、こんなところじゃなきゃいいの?」


上目遣いで覗き込んでくるフォールスに、ログは顔を赤くしてしまう。


「フォールスくんのばか!そんなこと言ってないでしょ!」


そんなふうにじゃれあっていたふたり。

と、そこに怒鳴るような声が飛んできた。


「フォールスくん!何してるの!?」


ふたりがが声のする方を見ると、そこにはふたりの同期でフォールスと同じ秘書課のジャイルがいた。


「あ……ジャイル、どうしたんだい?」


フォールスが聞くが、彼女の表情は固い。


「ふたりは……そういう関係なの?」

「……どういうこと?」


ジャイルに聞かれ、ログは首をかしげる。

フォールスは、しつこいジャイルにイラつくことが多く、ゲンナリしていた。

だから。


「ログは友達だよ、でも……僕はそれ以上の気持ちなんだ」


思わず言ってしまった。だが、いい加減はっきりさせた方がお互いのためでもある。


「行こうログ」


そう言って、ログの手を引きその場を去ろうとするフォールス。

その姿を見た途端、ジャイルの心には暗い嫉妬が溢れ出す。

急に手を引かれ、体制を崩しかけたログは、ジャイルが何かを手にこちらへ向かってくるのを見た。

それが何か分かった時には、もう遅かった。

ジャイルが体ごとログにぶつかり、その瞬間、体の一部が焼けるような痛みに襲われる。

異変に気づいたフォールスが振り返ったその瞬間、ログは意識を失った。


***


魔王様の執務室の扉が乱暴に開かれる。

何事かと扉の方を見た魔王様は、その光景に息を止めた。


「魔王様……助けてください……」


血まみれのログを抱いたフォールスが、今にも泣きそうな顔で言う。

その背後には、側近のスクルがいる。


「魔王様、突然申し訳ありません。緊急事態のため自分の独断で通しました」


問題ない、と頷くと、魔王様は指示を飛ばす。


「ログはそこのソファに寝かせろ。スクル、すぐに医者を呼べ」

「わかりました」


スクルはすぐさま、通信すべく控室へ向かう。


「何があった」

「同期に、刺されました」


魔王様は、ログの服を捲り上げる。


「腹を刺されたか。傷はそこまで深くはない」


自らの上着を脱ぎ、止血のため傷口を塞ぐ。


「……お前も死にそうな顔をしているぞ。少し座っていろ」

「いいえ……自分だけ休んでいるわけには……」

「お前にできることはない。黙って座っておれ」


しばし躊躇うが、言われた通りだと項垂れ、近くの椅子に腰掛けるフォールス。


魔王様は、ログを寝かせたソファの傍らに膝をつく。

発熱しているのか、ログの呼吸が荒い。何とかしてやりたくて、頬を撫でる魔王様。

ただそれだけのことで、ログの表情が和らいだことに気づく。それだけで、どうしようもないくらいの愛おしさを感じ、胸が痛んだ。


こうやって撫でられるのが好き……そう言ったログの声が、魔王様の頭の中で響く。


その時、ログの目が開いた。


「ログ……大丈夫か」


ログは、声を出すのも辛いのか、頷くことしかできない。


「動くな、すぐに医者が来る。それまでの辛抱だ。先生がずっとついてるからな……」


そう言うと、ログは嬉しそうに笑う。その笑顔さえも、痛々しく見える。


「先生……私だけの先生……ずっとそばにいて……」


そう言い、ログは再び意識を失った。


***


医師の判断は、とにかく入院を、ということだった。


ログが運び込まれた個室は、当然一番立派な部屋である。ログが知ったら、もったいないと言いそうだ。


そして今、広く、豪華なその部屋には、魔王様と、意識のないログだけがいる。


仕事は山積みだが、部下たちがうまくやってくれる。魔王様は決してログの側を離れることはなかった。


そこへ、ドアをノックする音が聞こえ、部屋に側近のスクルが入ってきた。


「魔王様、ログの様子は?」

「まだ……意識が戻らぬ」

「そうですか……実はそのことで、ひとつご報告が」


スクルは、厚い布に包まれたものを取り出し、布を広げた。そこには、護身用に使われる短刀があった。


「犯行に使われた刀です。呪いがかけられていたと報告がありました」

「呪いだと?」


頷くと、布を包み直し、魔王様に手渡す。


「ログを刺した者は、この刀を譲られたそうです……フォールスの父親から」

「……死してなお干渉するか……忌々しい」


ログの母親殺しの主犯として、先日手を下したばかりの男だ。まさか、このような物まで残しているとは……と魔王様は舌打ちする。


「フォールスが言うには、ログと自分を見てから様子がおかしかったと……犯人自身にも何かしら術がかけられていたのかもしれません」

「利用されただけとはいえ……哀れだな」


入院から3日も経つが、意識が戻らない。傷は深くなかったにも関わらずだ。だが、呪いが原因だとすれば納得がいく。

このまま放置すれば、命を落とす可能性が高い。


「呪いは解けそうか?」

「調べさせていますが、あまり期待はできないようです」

「……あやつを殺した事を、今初めて後悔しておるよ」


魔王様は思案する。

呪いが解けない限り、ログの命の火が消えるのをただ眺めているだけ……考えるだけで、自分の半身が失われるような恐怖に襲われる。


「魔王様……ひとつだけ、ログが助かる方法があるのでは」


その言葉に、魔王様は気づく。

呪いは、対象が命を失えばその効果も消える。

そして、魔王のみが使える、人間を魔族に迎える技法……人としての生を終わらせ、魔族として作り変える。

一度死ぬのだから、当然呪いは解けるだろう。


「ログは……どう思うだろうな。無理矢理闇に堕とされたと知ったら」

「このまま死んでしまうより、いいではありませんか……ログが死ねば、皆が悲しみます」


そして、スクルは一礼し、病室を出ていった。


魔王様は、ログの手を取る。

初めて触れた日から、ずいぶん大きくなったその手を、優しく撫でる。


「なあログ、お前の気持ちを聞かせておくれ。人のまま死ぬか、それとも、私と共に生きるか」


魔王様は、強く願った。

その時、ログの指が少し、動いた。


「先生……あれ、ここ、どこ?」


目をゆっくりと開き、魔王様を、そして辺りを見るログ。

ゆっくりその上半身を起こそうとするので、魔王様が背中を支えて手助けする。


「ここは病院だよ。入院した方がいいと言われたからね。もう3日も目をさまさなかったんだよ……心配させないでくれ」

「ごめんなさい先生……。

わたし、ずっと、どこか知らないところにいたの。でも、先生が呼ぶ声がして、気づいたらここにいた」


願いが、通じたのだろうか。

何に感謝すべきか、神への信仰がない魔王様には、分からない。


と、ログが口を開いた。


「ねえ、先生……わたし、もうすぐ死んじゃうの?」

「……なぜ、そう思う?」


驚きで、魔王様は体が凍りついたような感覚になる。


「夢の中で、男の人がわたしに言ったの。お前の母親も、お前も、絶望しながら死ぬんだ……って」

「そんなこと……ただの悪い夢だ、忘れなさい」


あの男は、どこまでログを苦しめるのだ……魔王様はその瞳に憎悪を宿す。


「先生……顔、こわくなってる。わたしの前でだけは、優しい先生でいて?」

「すまないログ……怖がらせたね」

「ううん、大丈夫。魔王城の中で、そんな先生たくさん見てきたから。もう慣れたよ」

「そうか……仕事だからな、厳しくないとすぐ舐められる」


くすくす、と笑うログ。魔王様もそれにつられて笑う。

ふたりきりの時だけの、柔らかい空気。くすぐったい気分になる、この時間がログは大好きだ。


「ねえ先生?……わたし、先生の愛を独り占めしていていいのかな?」

「……約束しただろう。お前が死ぬその日まで、愛し続けると」


その言葉に、ログは首を横に振る。


「わたしがいるから、魔王様は妃を迎えないって、言われたことがある……そんなのは嫌。わたしとの約束に縛られてるなら、もう、破ってしまっていい」


そんなふうに考えていたのか、と魔王様は驚く。ただ素直に、慕ってくれているだけだと思い込んでいた。


「馬鹿を言うな……私の愛は、お前だけのものだ」


そう言うと、握ったままのログの手に、そっと口づける。


「……男として見てほしいって言われた時と同じだ」

「どういうことだ?」

「フォールスくんが、今みたいに、わたしの手にキスしてきたの。女の子として見てるからって」


初耳だ。あいつ、そんなことまでしていたのか。

その瞬間、魔王様の中に、強い嫉妬が渦巻いた。

ログの傍らで座っていた椅子から立ち上がると、ログの頬に手を添える。

ログの額、頬、そして、唇に口づけを落とす。


「嫌じゃ、ないか?」


魔王様に問われ、ログは、戸惑いの表情を浮かべる。誰ともしたことのない、愛を表す行為。


「……嫌じゃなかった」


その言葉を聞いた瞬間、魔王様はログに深く口づけた。何度も、何度も。


***


「わたしね、怖かったの。

先生は、わたしがかわいそうな子供だったから愛してくれてただけで、わがままを言ったり、役に立たない子になったら、嫌われてしまうんだって」


愛されたい、それだけを原動力にして頑張ってきた。


「だから、必要以上に求めるのが怖かった。これ以上は無理だと言われたらどうしようって」


ログの告白に、魔王様は笑う。


「私に嫌われたくないから、頑張ってくれてたのかい?」

「そうだよ、ずっと見ていてほしかったから。ずっと嬉しくて、そして同じくらい怖かった」


思えば、こんな話をしたことなど一度もなかったな、と魔王様は思った。

もっと早くからしていればよかった。そうすれば、ログがこんな目にあうこともなかっただろう。


「なあログ……私と、添い遂げるつもりはないか?」

「添い……遂げる?」

「ああ。思っていることを互いに全て話し、たくさん口づけを交わし、他の誰も触れられない場所に触れる……そんな関係になることだよ」

「……わたしで、いいの?」


不安と疑いの眼差しを向けるログに、魔王様は苦笑した。


「ログでなければ駄目なんだ」

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