第4話 「軽く、逝ってもらおうか?」
「お待たせ」
少女が式へと向き直ると、それを待っていたかのように式がステッキの柄に手を掛ける。
ギチギチと擬音を発する式。ひび割れた間接部分から黒い何かが見え隠れし、まるで甲殻類を彷彿させる。
ここまでくると、普段の心和むカーネルの姿はない。
「なかなか手の込んだ式。魔術師の作品じゃないわね」
太陽の光が、僅かに顔を出した白刃に反射される。
式は「答える必要はない」とばかりに抜刀する。
猛烈なスピードで突進してくる式。
「何かと思ったら、なんて単純なヤツ」
少女はその単調な動きを嘲笑する。
ひゅん、という空を斬る音。
式の横一文字の直線的な初斬を、いとも簡単に回避する少女。
回避の際、身を屈めた少女はそのまま式の懐に潜り込んだ。
「ぶっ飛べ、クソ野郎」
刹那の一閃。
少女の一言とほぼ同時に式の腹部は粉々に砕け散り、式は力なくその場に崩れ落ちた。
「我が拳に砕けぬモノ無しぃ、ってね」
小さくガッツポーズをとる少女。
一方、崩れ落ちた式は風化し、塵となって消えた。
ℱ
「訳が分からねぇ」
零司は心の中で絶叫をあげ、よろよろと植込みから立ち上がる。そこに少女が悠然と歩み寄ってきた。
「見たまま聞いたまま。訳なんて分かる必要はないわよ。全く、そんな性格じゃこれから先、身体が保たないわよ?」
少女は溜息まじりにそう言った。
「は? どういう意味だ?」
零司の問いかけにまたも溜息を吐き、少女は呆れた瞳で零司を見る。
「だーかーらー、見たまま聞いたまま。状況から理解しなさいよー。アナタが式に襲われたってことは、アナタは式を作り出した誰かに狙われているってこと!」
「またさっきみたいなのに襲われるってことか!?」
冗談じゃなかった。何故、自分が? 零司には心当たりが全くなかった。
「当たり前じゃない。アナタは自分が襲われたっていう自覚はあるの?」
──自覚って……ん? ちょっと待てよ。
零司はあることに気が付いた。
「なぁ、本当はお前が狙われていたんじゃないのか?」
「はぁ? なんでよ?」
少女は心外、とばかりに不満そうな顔をしている。
「よく考えてみろよ。さっきのカーネル、俺の方なんて見向きもしてなかったじゃないか」
ぴく、と身体が一瞬痙攣し、俯く少女。
少女はゆっくりと顔を上げ零司を見つめる。
「……一理あり」
そう言った少女の目は泳いでいる。
「〝一理あり″じゃねぇぇっ! まるっきり、俺はとばっちりじゃねえかっ!!」
零司は声を張り上げ怒鳴った。その怒鳴り声に両手で耳を塞ぐ少女。
「うっさいわね! この町のこと調べてるアナタなら遅かれ早かれこうなっていたわよ。バカッ!」
少女も零司に負けないほどの大声で反発する。しかし、明らかに不条理なのはこの少女であって俺はむしろ被害者だろ、と零司は思っていた。そもそもあれは俗にいう命の危機というものではないのか。この若さで命を狙われるなんて零司は認めたくなかった。
「さっきからお前は次から次へと、何でそんなに俺のこと知ってるんだっ! ストーカーかっ!!」
「えぇ、しましたよストーカー。アナタがこの町に戻ってきてから昼夜問わず、ずっと隠れて見てたわよ!」
──してたのかよっ!
もはや少女は開き直りだした。
「とーにーかーくぅー、これからは隠れずにずっと見張ることにした!」
全くもって迷惑千万な少女だ。とにかく、零司にとっては絶対にお断りしたいタイプだった。
「ふざけんな! テメェなんかに」
「さっき守られたよね?」
ニヤッ、と得意気に笑みを携える少女。
確かに零司は何も出来なかった。しかし、だからといって守ってもらう理由がない。
「う、だ、大体なんでお前が俺のことを守るんだよ! 赤の他人じゃねえか!」
「アナタの親と知り合いなのっ!」
──何? 知り合いだと?
もし本当に親の知り合いだとしたら、零司には訊きたいことが山ほどあった。
「とにかく、アナタの家まで連れて行きなさい!」
「ちょっ――」
『それは困る』
零司の質問を遮ったのは〝上″から聞こえた第三者の声だった。
突如、零司と少女の間に音もなく降り立つ黒い影。
その人物は黒のローブを身に纏い、頭もフードですっぽりと覆っている。顔はマスケラで隠され、しっかりと確認は出来ないがそれでも僅かに覗く口元から、女性であることだけは認識できた。
「審問官、さっきの式はアナタの作品?」
「言うまでもなし」
抑揚のない返答。ボイスチェンジャーの様なものを使っているのか、女性の声は野太く変声されている。
「どうりで人間が干渉してこない筈。〝投影空間″アナタ達、審問官の得意術式だったかしら?」
──畜生、さっきから話についていけねぇ。審問官? 術式? 投影、なんだっけ?
零司は聞き慣れない単語に頭を悩ます。確か〝審問官″という単語は歴史の授業で聞いた記憶はあるが、どういう内容だったかは思い出せない。
「おい」
「黙れ少年。貴男に発言は求めていない」
振り向きもせず、ローブの女は零司を一括した。
女性と分かっていながらも、その全身から滲み出る鋭利な威圧感に、零司は思わず足が竦みそうになった。
「相変わらず傲慢なことね零司を連れていってどうするの? 人体実験にでも使うのかしら?」
「知っていながら、戯言を。 〝転写ノ法″の事、我らが知らぬとでも?」
ローブの女が口にした『転写ノ法』という一言に、少女の顔が引きつる。
「残念だけど、その術式は完成してないわ。さっきの彼を見れば分かるでしょう?」
「おい、だから何の話をしてんだよ」
零司の方へと振り向くローブの女。マスケラ越しに睨まれている気がした。背筋を冷たいものが駆け上がる。
「先程言ったはずだ。貴男に発言を求めていない、とな」
女性は冷めた声で言い放ち、右の掌を零司へとかざした。
「軽く、逝ってもらおうか?」
瞬間、女性の陶磁器のように白い掌から、何やら小さい雷のようなものが迸る。激しい輝きを放ちながら、次第に形作られていくのが見て取れる。やがて、槍状に形成された雷がこちらに向かって放たれた。
「なっ!?」
咆雷は火花を散らしながら、一直線に零司へと疾駆する。空気を切り裂き、錐揉み状に高速回転する黄金の雷槍。刹那、凄まじい閃光と雷鳴が辺り一帯を飲み込んだ。零司は反射的に身を屈み瞼を閉ざした。
やがて耳鳴りが止む。
辺りを数秒間、静けさが支配する。
──死んで、ないのか?
恐る恐る目を開いた零司の前にあったのは、凡そこの世のものとは思えない幻想的な輝きを放つ、白銀の盾だった。
「雷、ね。〝アステロペテス″だったかしら?」
少女がローブの女の名前らしき単語を言うと、女はフン、と軽く鼻を鳴らせる事で返事を返した。
「なん、だ、コレ」
零司が指で白銀の盾に触れようとしたとき、それはガラス細工の様に砕け散って消滅した。
それを見たアステロペテスは、少女へと向き直り微笑を浮かべる。
「確定、だな。殺戮しか出来ない貴女が慣れない守護術式を使ってまで護るとは、やはりその少年は〝メソテス″の転写体なのだろう?」
「だったらなに? 私が易々と零司を渡すとでも?」
言い放ち、少女がアステロペテスに向かって中指を立ててみせる。
「これも思ったとおり。我とて貴女とまともな話し合いなど期待していなかったよ」
アステロペテスは少女の挑発を物ともせず、パチンと指を鳴らす。すると、アステロペテスと同じような格好をした人物たちが上空から降り立ち、あっと言う間に少女を囲んだ。
「な、なんなんだよコイツら」
人間は頭で考えられる以上のことに出逢ったとき、心で感じられる以上のことに出遇ったとき、その思考は停滞する。零司もまた例外ではなかった。只々、目の前の光景を見つめることしか出来ない。空白の思考で──。
先ほど舞い降りた黒衣の集団は、両手を後ろに組み少女をじっと見据えている。
「多勢に無勢。相変わらずアナタたち審問官のやることは不粋で、スマートじゃないわね」
「不粋、か。何とでも言うがいい」
アステロペテスが再び合図をすると、黒衣の集団は一斉に懐から銃を抜き少女へと向ける。獣の持つ凶暴さを具現したような銀色が、今まさに獲物を仕留めようと狩りの瞬間をじっと待っている。
「コルトパイソンマグナム。この銃ならば、貴女の動きを止めるには十分な威力。さて、どうするアーシェ?」
さも余裕とばかりに冷笑を浮かべるアステロペテス。
──アーシェ。それが少女の名前なのだろうか? いや、そんな事よりこの状況はマズイ。いくら彼女が並はずれた力を持っていたとしても、マグナムの全方位からの一斉射撃に耐えられるはずが無い。
「ふん。不粋も極まればたいしたものね。銃なんて、アナタたち一体どこまで堕ちたの?」
零司の心配を余所にアーシェは鼻で笑った。
「魔術師を駆逐するためなら悪魔にだって加担してみせるさ」
「未熟ね。思想から行動まで、なにからなにまで全部見当違い」
「戯言だな。見当違いなのは貴女の方だ」
毒突くアステロペテスに、猶も余裕を携える笑みを浮かべるアーシェ。
「その銃の弱点、何だか知ってる?」
アーシェはアステロペテスに蔑んだ微笑を向けた。
「ッ!!!」
突然の出来事に、黒衣の集団は全員その場に硬直する。
アステロペテスを含める黒衣の集団一人一人の急所全ての寸前に、宙に浮いたナイフが向けられていた。それはまるで静止画のように微動だにしない。しかし、動かずとも恐怖を与えるには十分過ぎた。
「オーラム、ベリアー……」
言ったアステロペテスの声色は微かに震えが交じっている。
「ナイフは私の掌握一つで一斉に動きだす。この意味、解るわよね? そんな重く粘るトリガーじゃあ、どう考えたって反撃は不可能」
「殺戮の魔女が、なんの真似だ? 逃がしてくれるとでも言うのか?」
「えぇ。私も忙しくて、アナタ達と全面戦争している暇なんて無いのよ」
「後悔するんだな」
吐き捨てると、アステロペテス達はまるで蜃気楼のように消えていった。
アーシェが軽く指を鳴らすと、宙に浮いていたナイフが盾同様、ガラス細工が割れるかのように四散する。
「これで、自分の置かれた状況が理解できたかしら」
子供のような悪戯な笑顔を向ける少女。
──俺は彼女の笑顔を見たとき、今まで信じて疑わなかった世界が音を立てて崩れていく、そんなような気がした。
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