40話 後悔
どうして…どうして!?
どうしてッ…こんなことになってるのよ!
それは、とても受け入れ難い現実だった。
怜悧な私の知性は片隅にへと追いやられ、僅かに残った理性で私はこの現状に叫びを上げる。
今すぐにでも拒絶したい程なのに、身体は理性とは違いすっかりと受け入れていた。
まるでその身を喜んで開け渡すかのように従順で、私ではないかのような恐怖を感じた。
そんな従順な身体は、否応なく蹂躙される。
白き指先は絡め取られ、絹のような滑らかな肌は許可なく触れられる。
どんな男にも許したことのなかった行為に、蕩けた瞳はその女を映す。
それは悪魔の姿をしていた。
意地悪に口角を歪めて嗤い。
螺旋を描く角は禍々しく。
つぼみを開花させる尾は悍ましい。
最初の頃の姿は煙に巻かれたかのように姿を消していた。今あるのは自身が想像する悪魔そのものであり…その姿に後悔する。
けど、その後悔は…もう遅かった。
やめろ、やめて…お願いだから!
近付く悪魔に、身体をくねらせて抵抗する。けれど悪魔にとっては誘っているように映るのか、その手はすぐさま頬に触れられた。
そっと優しく、花を愛でるようにして優しく触れると、悪魔の顔が近づいてくる。
薄い桜色の唇が、ツンと尖った鼻先が、甘ったるい吐息が、私を映すその瞳が、容赦なく迫りくる…!
いや、やめて、やめてやめてやめて!
悪魔が、何をするかなんて分かっていた。
届くはずのない願いを何度も何度も垂れ流して、首を横に振るう…。
が、頬に添えられた手は顔を固定して…。
「んっ、うぅ〜っ!?」
桜色の唇が私を塞ぐ。
柔らかな感触の押し付けなのに、押し付けられた途端、頭の奥がチカチカと瞬いた。
同時にじんわりと快感の波が下半身を襲い、じわじわと滲むようにして溶ける感覚で意識が遠のきそうになる。
足元の感覚が覚束ない。
僅かに残っていた理性が弾け飛びそう。
初めてのキスを奪われて、自慢であった知性すら失いかけて、じんわりと目尻に涙が浮かぶ。
もうやめてと頭の中で壊れたレコードのように呟くが、悪魔はそれ如きで止めるはずもなく…下唇を喰んだ。
ふにふにと優しく噛んで、なぞるように唇を移動させて唇の周辺をキスする。
その後も、舐めたりキスして触れたりと繰り返す。
もう、限界だった。
1ミリにも満たない理性の狭間で、私はこの悪魔を呼んだことを後悔する。
ボロボロに泣いていて、明らかに自分よりも弱そうだと見下していたのが仇になった…。
利用してやろう、全て吸い尽くしてやろうと画策していたけど、もう全て遅い。
私は騙されていたんだ、この悪魔に…笹木ユウに。
◇◇◇
事の始まりはカカシをバラバラにし終えた後のこと。
どのようにして笹木ユウを利用してやろうかと画策していた私は、彼女の元へと歩み寄ると…笹木ユウは弱った様子で佇んでいた。
「…?」
何か様子がおかしい。
戦闘前よりも、明らかに顔色の悪い彼女に私は首を傾げずにはいられない。
だってどこも悪い所はなかったからだ、戦闘で大きなダメージを負った訳もないし…元から病気を持っているような人ではなかったから。
じゃあどうして?と思う前に笹木ユウは私に気づくと、青い顔のままふにゃりと笑顔が溶けた。
「あ!エミリー!」
まるで犬のような警戒心のなさで、ふらふらとした足取りでやってくる。
その表情に、突然戦闘に巻き込んだ事の怒りは全く無くて、彼女は開口一番に感謝の言葉を発した。
「ありがとー!さっきエミリーが命令してくれなかったら死んでたよー!」
「…はぁ?」
「えと、あれ?変なこと言ったかな?」
「変もなにも…」
と言いかけて、ぐっと言葉を飲む。
どうして笹木ユウは、人一倍ズレているの?
そも、最初からズレているとは思っていた。突然召喚して振り回して、常人なら怒っても当然なのに彼女は以前変わらずふにゃふにゃしてる。
馬鹿だからそうなのかしら?
けど、まあ…今はそんな事を考えてても意味はないわよね。とりあえず。
「なんであなたは顔色悪いのよ」
「へ?」
ビシッと指差して指摘する。
笹木ユウは素っ頓狂な声を上げていて、全く気付いていないようだった。
「そんなに悪い?」
「ええ、今にも倒れそうね」
ふらふらとした佇まいを見て、興味もなさそうに答える。
すると、彼女は独り言にも似たぼそぼそ声で、辛そうに笑った。
「あー…そっか、お昼は魔力補給してなかったもんね、体調悪いのも当然かぁ…」
「…?」
なんて言ったの?
声がいまいち拾えずに、私は耳を傾けて近寄る。けれど、笹木ユウは顔色の悪くしたまま両手をぶんぶんと振って否定した。
「大丈夫大丈夫!こういうのたまにあってさ…!時間が経てば治るから!」
だから大丈夫!と青い顔のまま親指を立てると、笹木ユウは笑った。
まあ、別に本人がいいなら私は気にはしないわ。
そもそも世話する必要もないのだから。
この悪魔は私の目的の為に使う道具であって、馴れ合う必要が何一つない。
例え今のような状態だとしても、私が気にする理由なんてないのだから。
「そう、平気ならそれでいいわ」
青い顔の笹木ユウを見て、視線を逸らすと身に纏っていたローブを翻して歩みを再開する。
「あれ?どこ行くの?」
「なにって、これからあなたを使っていろいろと実験するのよ?」
「へ?」
「なによその間抜けな顔は…いい?私の使い魔になった時点であなたは私のモノなの。このまま帰ろうだなんて許さないから」
「え、それは…イヤなんだけど」
今にも帰りたそうにもじもじする笹木ユウを睨んで、その胸ぐらを掴む。
どうやら使い魔としての意識が足りないようね…。
「こ、怖いよ?」
「ええ、従順な使い魔にするには恐怖が大事だもの…なんならもう一度あのカカシと戦ってみる?」
ニヤリと口角を歪めると、先程の恐怖が脳裏に過ぎったのか笹木ユウの顔がさらに青ざめる。
「そ、それはイヤかなぁ……」
「なら、従順であることね」
掴んでいた胸ぐらをポイっと投げ捨てて、私はもう一度身を翻す。
そしてそのまま先へと進もうとした時…。
ドサリ…と背後で何かが倒れた。
「?」
私は背後を向いて音の正体を見る。
そこには、苦しそうに倒れ伏した笹木ユウの姿があった。
「大丈夫じゃないじゃない…」
はぁ、と苦言と共に息を溢す。
私は倒れ伏した笹木ユウの元へと近付いて、身を屈む。
顔色はさっきより悪くなっていた、息も荒く、とても苦しそうだった。
「……はぁ」
とりあえず、倒れられたら私がどうにかするしかない…。
自室にポーションが幾つかあったから、それを飲ませれば回復するだろうか?いや、悪魔だから効き目がないかもしれない…けどまぁ。
「めんどくさい…」
溜息を吐いて自室にあるポーションを取りに行こうとした時、笹木ユウの腹の底から叫び声が聞こえた。
ぐ、ぎゅぅぅぅうう…。
低く高く、絞り上げて湧き出たその声は私の耳に入り込み…。
思わず裏声が飛び出た。
「は?」
目を大きく見開いて笹木ユウをまじまじと見つめる。
倒れ伏したそのお腹からは、渇きに飢える音が今も続いている…これ、もしかして。
「お、お腹空いてる…だけ?」
いや、いやいや…。
「そ、そんなわけ…」
だってあれだけ顔色悪くて、今にも死にそうなのに今の状態がまさかの…空腹なわけが。
ぐぎゅぅるるるるるるる…!
否定するようにもう一度お腹が鳴る。
早く食べ物を持ってこいと促すように、大きな鳴き声を出したそれに、私はがくりと肩を落とした。
心配して損した…。
はぁ、と溜息を溢して笹木ユウの元に寄る。
とりあえず、目を覚ましたら何かあげておこう…前に飼ってた使い魔の餌でも与えていれば大丈夫でしょう。そう思いながら彼女に触れようとした…その時だった。
「……!」
私の白い指先が彼女に触れると同時に、笹木ユウは息を吹き返したかのようにピクリと揺れた。
私はそれに驚いて、思わず後ずさると彼女はミイラのようにゆっくりと立ち上がる。
のそりのそりと、生気もなさそうに立ち上がるそれには…悪魔のツノが生えていた。
「きゅ、急にツノなんか生やしてどうしたのよ?」
たじろぐ私は疑問を投げるが、反応がない。
ゆらりゆらりと陽炎のように揺れる彼女は私に抱き付くようにして身を寄せる…。
ふわりと、花のような…甘い匂いが私を覆った。
一瞬…くらりと立ちくらみが私を襲う。
チカチカと一瞬瞬いて、足元が溶けるような謎の感覚を覚えながらも、被りを振って笹木ユウに視線を移す。
「どうしたのよ…なにか変」
そう、変だった。
突然ツノが生えて、尻尾も生えて…変としか言いようがなかった。
でも、疑問に思う前に…逃げておけばよかったと私は後悔する。
「ねぇ、返事くらい…!!」
ぼーっとする笹木ユウに言葉を投げる。
すると、ゆっくりと顔を私の方へと向けると優しく笑った。そして、優しく微笑んだまま……。
「……………は?」
唇に…何かが当たった。
「…え?」
理解するのに…時間が掛かった。
ぐるぐると脳が思考を回すが、情報が一切完結しなかった。
めまぐるしくまわる世界で、私はもう一度笹木ユウを見つめる。
「な、なに…」
ふるふると唇を震わせて…問う。
だけど、その行為に答えはなく。
うっすらと笑う笹木ユウに押し倒された。
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