父の想い

 挑むようなアリィの眼差しを、サイは真っ直ぐに受け止めた。落ち着いた様子で娘を見返し、ゆっくりと口を開く。


「ここに来るまでに、誰に会った?」

「エカとリノウ以外なら、タウってひととオメガってひと」

「余計なことを言ったのは……オメガの方か。彼女はいささか、そういう配慮に欠けるようだから」


 父の酷評に、彼女のことを思い返す。確かに、無遠慮な物言いをするひとだった。


「……それってさ」


 アリィは目を眇めた。


「私たち如きが知る必要はないってこと?」


 リオは少しだけ眉を顰めた。アリィの口調に父を責めるものが混ざっている気がして。不安が大きくなっている所為か、少しばかり攻撃的になっているらしい。


「お前たちに知って欲しくなどなかった。造られた存在であるなんて」


 アリィの疑念の眼差しを前に、サイはゆるゆると首を横に振り、肩を落とした。大きな父の身体が小さく見えた。


「……叶うならば、何も知らずに過ごして欲しかった」


 頼りないその姿は、リオが初めて見る父の姿だった。

 以前の父は、大きな存在だった。身体はもちろんのこと、その存在感もまた大きかった。家族が頼るのは、このひとの他にいないと思っていたのだ。……途中から、リオも父のような存在に憧れて、密かに張り合うようなことをしていたが。

 だが、今の父はどうだろう。一年会わなかっただけなのに、ずいぶんと違う人に見えた。年月の隔たりがそう感じさせるのか、それともリオたちに変化が生まれたか。

 ――おそらく、後者だ。


 リオは思う。今自分たちは、サイを父ではなく〝媒介者インターメディエイト〟と呼ばれる存在の一人として見ている。特にアリィは、自分たち人造人間の存在意義を問い質すために、サイに対峙しているのだ。

 それを、サイも感じたのだろう。アリィの表情を見た彼は、寂しげに口元を歪ませた。


「確かに我々は人間などではない。この滅びた世界を再び人間のものとするために造られた存在だ」


媒介者インターメディエイト〟。彼らは人の世界をもう一度創り出すために、形而上の存在に創られた。形而上の存在とは、曰く天使だとか。だが、何故そのような存在が人の世を望んだかまでは、サイたちも詳しくは知らされていないらしい。

 彼らはただ、己が指名に従って、人間を造り上げた。旧世界から遺された、人間の遺伝子情報に従って。


「そしてお前たちは、そんな私たちがフラスコの中で造り出した子どもたち」


 天使は人に似せて媒介者インターメディエイトを創り上げたが、それは存在の有り様からして完璧なる人間とはいかなかった。見た目は人間。だが、存在は天使にも近い半端もの。とても人間といえるものではなかった。

 故に、天使は媒介者インターメディエイトに人間を造らせることにした。完全なる形而下の存在とするために。

 それが、媒介者インターメディエイトが媒介者と呼ばれる所以。

 そしてリオたちが、この世界で新しい〝人間〟として生まれた所以。


「……だが」


 父は、慈しみの色を持って、リオとアリィを見つめる。リオは、アリィは息を呑んだ。その眼差しは、あまりにも優しかった。


「私たちは、親としてお前たちのことを想っている」


 使命を果たすための研究素体などではなく。

 被造物に対して抱く愛着とはまた異なった。

 ともに暮らし、苦労の中で育て、成長を見守った相手に対して抱く慈しみの感情を、リオとアリィに向けてきたのだ、とサイは語った。

 紛れもない父親の顔で。決して、ただの造り手ではない。これが〝父〟なのだと思わせる表情で。


 アリィは唇を引き結んだ。そのまま何かを堪える表情で、上目遣いで父を睨みあげる。


「……私たちは、なんのために生きてるの?」

「それを決めるのは、私ではない。お前たち自身で選ぶといい」

「……そっか」


 そうなんだ、と口の中で繰り返し、アリィは俯いた。その目には涙が浮かんでいる。泣くまいと必死に堪えているようだった。

 リオはその頭に手を乗せる。妹を慰めることで、自分もまた慰められる。

 自分たちは、両親の期待を裏切っていなかったという安堵と、自分で自分の道を選ばないといけないという心許なさが、リオの胸の中に去来した。

 だが、憂えることはない。

 リオたちはすでに、やることが決まっている。


「父さんは、これからどうするの?」


 尋ねてみれば、父は顎の髭を弄りながら考え込んだ。


「お前たちを迎えに行く必要がなくなってしまったからな……」


 だが、いくら考えても答えは出ないようで、肩を竦めてリオの方を見た。


「お前たちはなにか考えているのか?」

「このままエカと旅をする約束をしている」


 エカを視線で示しつつ言うと、彼女は力強く頷いた。


「その前に、カイに会いたい」

「そうだったな」


 どういう再会の仕方をするのか、エカの気性を考えると恐ろしくもあるけれど。


「そろそろ戻ってくるはずだ」


 それまで茶でも飲もう、と父は腰を上げる。つられてか、アリィも椅子から立った。


「私も手伝う」


 不安が解消されたアリィからは、父に対するよそよそしさがすっかりなくなっていた。狭い台所に肩を並べるその様子は、完全に親子のものだ。


「……どうしたの?」


 そのアリィが、父の顔を覗き込んでいた。ケトルに水を入れていた父が、流しの前で棒立ちになっているのを不思議に思ったらしい。

 父は、流しの上にある細長い窓の外を眺めているようだった。


「花が咲いているな、と思ってな」

「花?」


 アリィもつられるように窓の外を覗き込んだ。どうやら見つけたらしく、本当だ、と声を上げている。

 二人を眺めるリオの口元に、自然と笑みが浮かんだ。


 リオのほうもまた、父に抱いていた距離感がいつの間にか埋まってしまったようだ。初めて訪れた家なのに、居心地の良さを覚え、やすらぎさえ感じ始めている。

 思い出すのは、家族四人で暮らしていたときのこと。目の前の光景が、かつての様子と被る。

 母は今ここに居ないが、やはり自分たちは家族なのだとそう思わせた。


 かたかた、とケトルの蓋が音を立てた頃、家の玄関の扉が開かれた。入ってきたのはもちろんエカの父で、彼は突然現れた娘の存在に面食らっていた。

 呆然とするその父に、突然殴りかかろうとしたエカをどうにか宥め。

 人数分の茶が淹れられた小さなテーブルを、所狭しと五人で囲った。


「どうして街で大人しく待っていられなかったんですか」


 若干咎めるように言い募るカイを、エカは睨みつける。よほど怒っているのだろう。人形のような整った顔立ちは凄みを増していた。


「いつ帰ってくるか判らないものを、いつまでも待っていられるか」

「二、三年で戻ると言ったでしょう。それよりもその乱暴な言葉遣いはどうにかなりませんか」


 論点のずれた発言に、リオたち家族三人は、呆れのあまり頭を振らずにはいられなかった。


「……何年も一人で待たせれば、寂しくもなるだろうに」


 捨てられたと思うのも道理だ、という父の呟きに、リオもアリィも何度も頷いた。


「捨てるはずがないでしょう。人間らしくはなりませんでしたが、僕が造った娘です」

「不安にさせるなと言っている。それに、彼女が何をもって人間らしさに欠けているのか、私には判断できないな」


 それは長いことリオも思っていたことだった。人形めいているのは、整った見た目だけ。感情を剥き出しにしている彼女は、ここにいる誰よりも人間らしい。

 だがカイは、彼女の粗暴さを、理性の乏しさと判断していたようだった。〝人間〟であれば、もっと理知的であると。

 サイが否定して、ようやく彼は失敗でない可能性に行き当たったようだった。


「それじゃあやっぱりエカも、私たちと同じ〝人間〟なんだ」


 嬉しそうなアリィの言葉を、エカは鼻で笑い飛ばした。


「そんなこと、今更どうでもいい」

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