彼女の答え
ガタン、と音を立ててアリィは椅子から腰を浮かせた。テーブルに手を付き、赤い瞳をこれでもかと見開いて、まじまじとオメガを見つめる。
「人間の世界にって……どうやって?」
「それはもちろん、単純に、まず人間を増やすことから始めます」
「だから、それってどういうこと!?」
悲鳴まじりに問い詰めるアリィを、リオとエカは驚きをもって見上げた。好奇心旺盛な妹の顔には今、恐れが浮かんでいた。
「……賢い子、ですねぇ」
アリィを見上げたオメガの淡い微笑。その低い声に、リオは身を震わせた。ここに来てはじめて、リオはオメガに得体のしれないものを感じはじめた。
オメガはテーブルの上で両手を組み、その上に顎を載せた。笑みで細まった黒い瞳がキラリと光る様子に身構える。
「あなたたちのことは、報告書を読んで知っています。サイとシータの子どもたち。数少ない〝人間〟の成功例」
その台詞に抵抗感を覚え、リオは身を仰け反らせた。
「成功例……って。まるで人間じゃないみたいな――」
「人間ですよ」
間髪入れずに、オメガ。
「ただし、過去に世界にいた人間たちと同じかと言われると、違うと答えますけれど」
アリィの顔が歪められる。リオは、その言葉をうまく飲み込めず、ただ眉を顰めた。
その顔を一つ一つ見つめて、オメガは表情を弛ませた。期待に満ちた親のような、はたまた憧憬の人物に逢えた歓びのような、眩い眼差しを兄妹に向ける。
「あなたたちは、私たち〝
リオとアリィはエカのほうに目を向けた。眉を顰め、沈黙をもって事態を見守っている彼女。自身を人形と呼ぶ彼女は、カイという人物に造られた存在だ。
オメガの口ぶりでは、自分たちも彼女と同じ存在。
リオは、目と口を開いて固まる。
だが、信じ難い事実を聞いた衝撃の中で、何処か納得している自分が居るのは、どうしてだろうか。
一度滅びたという世界。
その中で自分たちだけが生き残っていることに、疑問を抱いたことは何度もある。
アリィはテーブルに付いた手を離し、背を伸ばした。ふぅ、と一息吐き、薄く目を開ける。
「……そういうの、人造人間っていうんじゃないの?」
対面のオメガは一度目を瞠った後、感心したように首を縦に振った。
「よく知ってますねぇ。娯楽にまで精通しているなんて」
リオは、家にいた頃にアリィがよく本を読んでいたことを思い出した。勉学の本だけではない、娯楽小説と呼ばれるものにも手を出していたのは、家族としてよく知るところだった。
「でも違いますよ。だって我々は人間ではないのですから」
〝人造〟ではないのだ、とまるで冗談のような事を言った。
「父さんと、母さんも」
「ええ。同じ媒介者です」
頷いて、オメガは視線を上げた。あえて表情を出すまいと努めているアリィに微笑みかける。
「うすうすは気付いていたんじゃないですか?」
表情を歪めて俯いた妹を見て、リオは視線をテーブルの上に落とした。黄緑色の水面に、唇を引き結んだ自分の顔が映り込んでいる。
アリィは胸の中に溜まった息を吐き出すと、観念したように席に着いた。テーブルの上に手を載せて、指先でカップのハンドルをいじる。
「リノウと会ったときに思った。まるで実験動物だって」
ガラスの半球の施設に暮らしていたリノウ。彼が〝フラスコの中の小人〟と自らを呼んでいたことを、リオは思い出した。
「そのときから思ったの。私たちも同じじゃないかって」
アリィの指先が止まる。言葉を切り、一度俯いて、落ち着きのない両手をテーブルの下に引っ込めた。
「どうなの……?」
オメガを見つめるアリィの瞳が潤む。
「どう、とは?」
「私たちは、父さんと母さんの
絞り出すような声。両親を信じたい妹の気持ちを察したリオは、膝の上で拳を作ったアリィの手を取った。軽く握れば、縋るように強く握り返される。妹の不安が掌を通じて伝わってきた。
「それについての回答を、私は持っていません。本人ではないので」
冷淡とさえいえる応えを返すオメガに大きな変化はなかった。同情もなく、小馬鹿にするわけでもなく、ただ淡々と事実のみを並べていく。
その様子はいささか機械めいてもいた。感情らしきものは見えている。だが、現在バスで待機しているだろうペンギンのロボットと同じような無機質さをリオは感じた。
彼女が人間ではないという事実が、ひしひしと押し寄せてくる。
そして、両親がそんなオメガと同じ存在であることが、信じがたく思う。
少なくともこれまでに、両親にそういった違和感を覚えたことはないのだから。
「大事なのは、あなたがたが今
あなたたちは私たちの希望なんですよ。静かにそう言うオメガに、リオたちはただ戸惑った。
「希望って言われても……」
自分たちはただ、母親がいなくなったあとの身の振り方に悩んで、放浪中の父を当てにしていただけだ。大層なことなどできはしない。まして誰かの理想を実現するだなんて。
「複雑に考える必要はありません。ただこれまでと同じように過ごしていただければ良いだけです」
そうは言われても腑に落ちない。
リオとアリィが顔を見合わせているその向こうで、エカが不機嫌そうに口を開いた。
「それをお前たちは観察するというのか」
エカの指摘に、リオとアリィは身動ぎした。リノウに対して抱いたものと、自分たちも無縁でないことを実感する。
やはり自分たちは造られた存在なのか。
だが、オメガはその指摘を訂正することなく、
「見守ると言っていただけると。あなたたちがどうなっても良いわけではないので」
悪びれる様子も見せずにあっけらかんと言ってのけた。清々しさまで覚えるそれに、リオは溜め息を溢す。エカはオメガを睨みつけていたが。しかしそれでもニコニコと笑みを浮かべたままの彼女に呆れ、しまいには肩を竦めた。
「いささか不愉快だが、悩むことはない。私たちの旅の目的は、まだ果たされていないはずだ」
励ましとも取れる台詞を言うエカは、あくまで冷静だった。当然だろう、彼女は元々自分が被造物であることを知っている。知らなかった自分たちとは、心構えが違う。
「……そうだね」
旅の目的。父を捜すこと。
確かに、タウのいう真実には行き着いたが、まだ父には会えていない。
エカと違い衝撃から立ち直れないリオたちは、まだ気になることが多々残っていた。とはいえ、それをうまく言葉にすることもできずにいるのも確か。それをおざなりにしていいものかと悩んだが、結論として、リオたちはエカの言う通り、父捜しの旅を続けることにした。
というより、それしか選択肢がなかった。他にすることもできることも見当たらないのだから。少なくともただ絶望に浸るよりはずっと有意義に感じられた。
「それで構いませんよ。ただし、お気をつけて」
死なれては困りますから、というオメガの言葉を、どんなふうに受け止めればいいのか判らなかった。
お茶を飲むのもそこそこに立ち上がったリオは、一つ気に掛かっていたことを思い出した。
「一つ訊いても?」
座ったまま見送ろうとしていたオメガは、リオを見上げて目を瞬かせた。
「新天地って、あるのか?」
それは、母の日記に書かれていた言葉だ。
そもそもリオたち兄妹は、それを求めて父の手紙を頼りにここまで旅していたのだ。父が彼女と同じだというのなら、父が求めていたもののことを、彼女も知っているに違いない。そう僅かな期待を込めて、リオはオメガに尋ねた。
「もしそれがあなたたちが思うような、あなたたち以外の人間がたくさん住んでいるような場所を指すのであれば――ありません」
リオは目蓋を閉じ、その事実を粛々と受け止めた。
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