5-3


(あいつは何をやっているんだ)

 ジェラルドはルルがすみの方のベンチに座るのを見ていた。

 顔色が悪く、ひどくつかれているようにも見える。

 具合が悪いのか、それとも誰かに嫌なことでも言われたのか……。声をかけに行きたいが取り囲んでいる令嬢たちがじゃで身動きがとれない。

 昔のジェラルドだったらばしてでもこの輪を抜けていただろうが、高位の貴族令嬢たちばかりでじゃけんにもできない。


(連れの男は何をしてるんだ)


 ルルのエスコート役を務めていただけでも腹立たしいのに、一人にさせておくなんて言語道断だ。

 ふとルルが背後を振り返るりを見せる。

 街と庭園を区切っているアイアンのフェンスの向こう側に十歳くらいの女の子がいた。

 声をかけられたらしいルルは少女と二言三言話すと立ち上がる。何かを指差しては首を振ったり、頷いたりしていた。


「……ジェラルド様、聞いていらっしゃいます?」


 令嬢たちのむくれたような声にハッとした。


「ああ。もちろん」


 適当に返事をしながら、ジェラルドはひかえていたアンソニーを視線で飛び寄せる。


「……失礼、少々席を外させていただきますね」


 令嬢たちから不満そうな声が上がったが、離れた場所でアンソニーにささやいた。


「悪いが、馬車を回しておいてくれないか」

「構いませんがもうお帰りになるのですか?」

「……ルル《あいつ》の顔色が悪い。……まあ、何もないならそれでいいんだが」

「念のため、というわけですね。かしこまりました」

「ダミアン伯爵とも少し話がしたかったんだが……」

「今はトリスタン公爵とお話しされているようです。公爵が繫いでくれそうな気もしますが、どうなさいますか?」


 今日の目的はダミアン伯爵だ。

 ダミアンか、ルルか。僅かになやんだジェラルドは「……馬車の手配を頼む」とルルを選んだ。


「かしこまりました」


 アンソニーは普段通り、よくようのない口調で返事をして下がる。

 本来の目的より私情を優先させたことに対し、彼は何も責めなかった。否定も賛同もしない態度は、時々ジェラルドを不安にさせる。

 一方、令嬢たちはジェラルドがアンソニーとやりとりを始めるとわかりやすくくちびるとがらせた。熱心にジェラルドにアピールしていたのは今年デビュタントを迎えたばかりでこわい物知らずの令嬢が数人。そして、若い令嬢たちががっつく姿を内心ではみっともないとこき下ろし、余裕を見せつけている二年目、三年目のお姉さま令嬢だ。


「あーん、ジェラルド様。向こうに行ってしまいましたわ」

「残念ね。すぐに戻ってきてくださるといいのだけど」

「ふふっ。アスター侯爵令嬢のお話が退たいくつだったのではなくて?」


 水面下で、女同士の戦いが静かに開幕する。


「まあ、バーネット様ったらひどいですわ。まるでわたくしのせいでジェラルド様の興ががれてしまったような言い方……」

「あらごめんなさい? 責めたつもりはなくってよ」

「あちらにいる蜜蜂の彼女がおかしなことをしているから、きっと気にさわったのよ」


 誰かの言葉に、他の令嬢たちもジェラルドの見ていた先に視線を移す。

 黄色のドレスを着たしょみんの娘が、植えてある花をってフェンスの外にいる少女にわたしていた。たんに令嬢たちはいっ団結して一様に顔を顰める。


「まっ……。やだわ、これだから庶民は」

「パーティ中に何をやっているのかしら。草木をさわったきたない手でうろうろされたら嫌だ

わ」

「だいたい、庶民の娘のくせにこんなところにいるのがおかしいのではなくて?」


 やりだまにあげられていた一人、アスター侯爵令嬢は「わたくしが注意してまいりますわ」

と胸を張り、腹いせとばかりに庶民の元へと近寄った。




*****




 フェンスの向こうで去っていく少女に手を振ったルルは、いくぶんか気がまぎれて元気を取り戻していた。


『庭園に植えてあるハーブが欲しいんですけど、警備が厳しくて中に入れないんです。おねえさん、ちょっとそこの花を摘んできてもらえませんか?』

 少女の頼みごとはルルにとってはお安いようだった。


(お供はいないようだし、この辺りに住んでいる子かな?)


 家族や友人の体調が悪くて、ちょっとハーブを摘みにやってきましたというようなていだった。ルルが手渡してやるとじゃに喜んでくれ、そのくったくのない笑顔にいやされる。


(気分も落ち着いたし戻ろう。……エインワーズ商会を売り込みにきたのに、こんなところに座っていたら時間がもったいないわ)


 ロイの姿を探そうとする。すると、はなやかな装いの令嬢に声をかけられた。


「あなた、手洗い場は向こうですわよ」

「え?」


 いきなり話しかけられてまどっていると、「先ほど、土を触っていらしたように見えた

から」とにっこりされる。

 土というか花を摘んだだけなので別によごれてはいないのだが、この令嬢は気に障ったのかもしれない。ルルはとりあえず頭を下げた。


「あ、……おづかいいただき、ありがとうございます」

「いいえ。汚れた手であちこち触られたらかいですから。ああ、手洗い場の側から外にも出られますわよ」


 圧を感じる微笑みだ。


(遠回しに帰れって言われている?)


 中身が入ったグラスを握っている令嬢の手は白くたおやかで美しく、せんさいなレースで飾

られたドレスに、おくれ毛まで計算しつくされたかみがたに……、いかにも上流階級然とした

少女に強気な態度を取られ、ちがいなところにいることを責められているような気分にな

る。


「あ、あの、わたし――」

「申し訳ありません!」


 あわててやってきた誰かがサッとルルと令嬢の間に入った。……ロイだった。


「彼女が何か失礼なことをしてしまったでしょうか?」

「あら、あなたは確か、コールドスミス商会の方でしたかしら? この子はあなたのお連れ様だったのね」

「はい。共同開発者として一緒に仕事をしている者です」


 ロイはちらりとルルの方に視線を向けると、令嬢に向けて頭を下げた。


「彼女のせいでご気分を害されてしまったのならおび申し上げます」


 ルルは何もしていない。

 だというのに理由も聞かずに令嬢に向けて謝るなんて……。

 ルルはロイの態度に閉口してしまう。


(ロイのしていることは……正しいわよ。貴族のげんそこねていいことなんてないもの。こっちが悪くなくても謝るのは当たり前で……)


 だけど、それを実際にされると悲しくなる。

 この場に現れたロイはルルを助けるためではないのだ。長い物に巻かれておけと言わんばかりに「ルルちゃんもとりあえず謝っておいて」とロイの目が言っている。

 むっとしてしまったルルの表情を令嬢はのがさなかった。


「この子、こういった場には不向きなんじゃないかしら。パートナーを連れてくるならもう少し相手を選んだ方がいいわよ。コールドスミスさん」

「おっしゃるとおりです」

「お連れの方にごめいわくをおかけして恥ずかしいと思わないの? ここはあなたのような子

が来るようなところじゃなくってよ」


 じんに責められたルルは反論しようと口を開いたが、


 ――ビシャッ。


 ワインを顔にかけられ、ぜんとした。

 え。ものすごく言いがかりだし。

 わたしがあなたに何かしました? って感じだし。

 驚きといかりとくつじょくがルルの心を意固地にする。とりあえず謝っておくべきだと頭ではわかっているのに、心はきょしていた。

 なんでロイはパートナーであるわたしをかばってくれないのよ。

 ……別に庇われたいわけではないが、それにしたって令嬢の顔色をうかがいすぎなんじゃないかと思う。そしてロイと令嬢に腹を立てながらも言い返せない自分が情けなかった。

 あごを伝って赤ワインがしたたちる。

 ルルのドレスの胸元はまだらに染まり、周囲からはひどくみっともない娘として注目を浴びている――……。


「何をしている!」


 せいに顔を上げると、まっすぐこちらに歩いてきたのはジェラルドだった。

 自分の上着をサッとルルにかけ、怒りに満ちた声で令嬢とロイをにらむ。


「俺の大切な女になんてことをしてくれる」


 ……この人は。

 自分の、味方だ。

 ルルの言い分を聞いたわけでもないのに、無条件に助けてくれた。

 一方的に責められて傷ついたルルの心がえる。かたくなになっていた心が解け、鼻の奥が

ツンとした。かけられた上着の合わせをぎゅっと握ってしまう。


 令嬢はジェラルドの発言に驚いていた。


「俺の大切な……? ジェラルド様、この子は庶民ですわよ。お知り合いのお嬢さんだとしても、そのような言い方では誤解を招いてしまいますわ」

「誤解? どんな誤解だ? 俺が彼女に惚れていることは紛れもない事実だ」

「え!?惚れ……ッ」


 ざわ、と空気がれる。

 衆人かんの中、ジェラルドは堂々とルルの肩を抱いてその場から立ち去ろうとする。

 ルルはようやく我に返った。助けられてほっとしている場合じゃない。


「こ、こんな大注目の中、何言って……」

「人目はまんしろ」


 そうじゃなくて。

 仮にも貴族のジェラルドがルルなんかを助けたら問題なんじゃないか。

 庶民の娘相手に「惚れている」とか大スキャンダルだ! 絶対におもしろおかしくさわてられてしまう。だというのにジェラルドはルルの肩を抱いたままで歩き続け、ぎわよくスタンバイされていた馬車に乗せられた。

 ジェラルドはルルの向かいではなくとなりに座った。


「顔色が悪そうに見えたから、馬車を手配させていたんだ。そのせいで助けに入るのがおくれてしまった。……悪かったな」

「あなたが謝ることなんて何もないわよ」


 隣にいるジェラルドの顔を見られず、ルルはうつむいて「ごめんなさい」と言った。


「わたしのせいであなたに変なうわさが立ったりしたら」

「言わせておけばいい」

「でも、せっかくあなたが努力して立て直した地位なのに、こんなことで台無しに……」

「台無し? どこがだ? 世界一格好良いシーンのちがいだろ」


 えらそうに顎を上げて言われて、ちょっと笑った。

 笑ったついでに気がゆるんでなみだにじんだ。


「……何があった?」

「よく、わからない。ハーブを摘んだ手を洗わずにいることを注意されたんだけど、多分、庶民のわたしがパーティに参加していることが気に障ったんじゃないかしら。招待された『蜜蜂』はたくさんいたけれど、若い女の子の蜜蜂なんていないもの」


 男あさりにきているのではないかとかんちがいされたのだと思う。


「話した貴族たちもみな――わたしのことを『エインワーズ商会から来た娘』じゃなくて『ロイに同伴したこいびと』みたいに思っているようだった。そのことも、くやしかったの」


 おまけにロイがとうさくしたのではないかと疑ってしまうような話……。


 自分のアイデンティティがうばわれてしまったように感じた。


「わたしなんかがこんなところに来て、場違いだったわ」

「堂々としてろ。お前はひとつも悪くない」


 ジェラルドはきっぱりとした口調で言う。


「『ふざけんな、あいつら見返してやる!』って言うのが普段のお前だろ。『自分を見下すような奴は許すな、相手に文句を言わせないレベルまでのし上がれ』と俺に向かってたんを切った子どものころのお前はどこに行ったんだ」

「そんな乱暴な論調で言ってないわよ!?」

「意味合いとしてはそうだろ。俺に大口をたたいておいて、自分は弱気な態度か?」

「…………」


 ジェラルドの言うとおりだ。

 今日はめそめそとしてしまって自分らしくない。


「そうね。あなたの言うとおりだわ」


 ルルは滲んでいた涙を乱暴にぬぐった。

 あの場を助けてくれたこと、そしてはげましてくれたこと、たくさんのことに思いをめて「ありがとう」と口にすると。


「どういたしまして。……惚れ直したか?」


 普段通りの意地悪な笑顔を向けられる。

 人が真面目に謝っているのに茶化すなんて……、とふくれたが、ジェラルドのまなしはひどく優しかった。


「……惚れ直した、、、って何よ。まだ惚れてもないわよ」

「じゃあ惚れたか?」

「惚れてない」

ごうじょうな女だな。さっさと俺のことを好きだと認めろよ」

「っ、認めない……」

「六年前の約束を俺に守らせろよ。『俺は本気だ。必ず迎えに行く』って言っただろ」


 ルルは思わず半眼になった。


「言われてないわよ、そんなこと。勝手に過去をねつぞうしないでくれる?」

「いいや。言ったんだ。どうやらお前には伝わっていなかったみたいだがな」

「……どういうこと?」

「退学の手続きを取りに行った日、お前は学校にいなかっただろう? 休みだと聞いたから、やむを得ずそこらへんにいた奴に伝言を頼んだんだ。俺は出立で時間がなかったし、そいつはお前と親しいと言っていたからな」

「え、そんな……。……じゃあ、『本気にするなよ、馬鹿女』って伝言は何?」

「なんだそれは。俺はそんなことを言った覚えはない」


 きっぱり否定されてルルは狼狽うろたえる。

うそ」と呟くと「噓なんかついていない」とジェラルドは言う。

 じゃあ、ルルに伝言を伝えてくれた人の嫌がらせ?

 それとも、ジェラルドの記憶からすっぽり抜けているだけなんじゃないかとも疑ってしまうが……。


「……もしかしてそんなよくわからない伝言とやらを信じてずっと俺のことをきらっていたのか? やっぱり出立の日取りを遅らせてでも直接言えば良かったな。そうしたら、再会したしゅんかんにお前は喜んで飛びついてきたかもしれないのに」

うぬれすぎよ」


 ルルはあきれたように軽く睨む。じょうだんを言ったジェラルドは笑った。


「悪いか? いつでも喜んで飛びついてきていいぞ」

「飛びつくわけないでしょ、ばか……」


 ジェラルドの顔が近づいてくる。

 じっとこちらを見つめてくる青いひとみに視線をからめとられた。

 げようと思えば拒否できる時間はじゅうぶんにあるはずなのに逃げられない。こうちょくして引き結んだ唇にジェラルドが触れる。


 六年しのキスはワインの味がした。

 昔の、訳がわからないまま勝手に奪われたキスとは違い、愛情やいつくしみが伝わってくる口づけにどうが速くなる。ったようにルルは頭がくらくらした。

 ジェラルドに優しく抱きしめられたルルは――そこで我に返る。おおあわてで身をよじった。


「おいっ。今さら逃げるな」

「違っ、ドレス! わたしのドレスは汚れているから!」


 先ほどかけられたワインがかわいておらずにべたべたなのだ。抱きしめられたりしたらジェラルドの服までみがついてしまう。しかし、ジェラルドはルルを離さなかった。


「ぎゃー! ちょっと! あんたの服、高いのにっ」


 かくしもあって大げさに騒いでしまうと、耳元で色っぽく囁かれた。


「うるさいな。あとは帰ってぐだけなんだから別にいいだろ」

「は!? 脱……っ」

「……何を考えたんだ? せんたくって意味だぞ」

「~~~っ、今の、わざと意味深に聞こえるように言ったでしょ!?」


 赤くなって睨むルルにジェラルドはどこく風。再度のキスもこばめず、ジェラルドの服にもワインの汚れが移ってしまっていることは間違いなさそうだった。



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