かき氷

小澤怠惰

かき氷

 これは夢であろう、というような空間に居た。拓けていて一面が見渡せるというのに、何もかもが白いようで天も地も認識できず、地平線が捉えられない。まあこれは夢だろうからそのうち目が覚めるだろう、現実に戻ったところで楽しいことは何もないし暫しこの夢を楽しんでやろう云々……と考えていると、背後から男の声が聞こえてきた。

「すみません、そこにいる方。少々あなたのお力をお借りしたいのですが……。」

 声のするほうを振り向くと、視界の隅に入ってきたのは見知らぬ男の姿だった。

年の頃は30代後半から40代前半。顔立ちは平均的でこれといった特徴は無い。強いて言うなら多少鼻が高いことくらいだろうか。ほかにやることもなさそうなので私はその頼みを承諾すると、男はお礼を言って人懐っこい笑みを浮かべる。

「で、私は何をすれば良いのです?」

「ここから少しばかり離れたところにある機械を稼働して来て欲しいのです。というのも、氷が足りないからなのですが……。」

 氷が足りない。それを聞いて真っ先に思い浮かぶのは地球温暖化で極地の氷が溶けているという話である。が、しかし、この何とも言えない空間に北極や南極などというもの、そもそも海などというものは存在するのだろうか。と考え始める。まあ、この後の男の話を聞けば、地球温暖化とは一切関係ないということがすぐにわかるので私のくだらない妄想は省略する。

「それがですね、氷を作る機械が壊れてしまったのです。これですと十分な氷を提供できません。」

「氷が作れないことの何が問題なんでしょうか。」

「モカイエを冷やすことができないのです。ほら、あれをご覧なさい。」

「も、モカ…イエ?」

 男が指差したほうを見るとそこには半透明でピンクがかったシャボン玉のようなものが浮かんでいた。それが一体何なのか考え始める前に球体の中には映像が浮かぶ。どうやらこれはパソコンのモニターのような役割を果たすようだ。

 そこに映し出されたのは20歳前後の若者だった。携帯電話の画面を見ながらコンクリートの道を歩いている。しばらく歩いているのを見ると、何があったのだろうか。足を止めたかと思うと、手に持っていた携帯電話を地面に放り、急に踊り出す。するとカメラがズームアウトしたようで周囲の人々が映る。踊っている若者の腕や足、胴体が次々と周囲の人にぶつかる。若者の身体が当たった人はそれに驚き動きを止めたかと思うと手に持っているものを放りだして、踊り出す。そして映し出されている全ての人が踊り出したと思うとまたカメラがズームアウトする。これをしばらく繰り返し、初めは自分の身長の半分くらいあった人々が米粒くらいに小さくなったところで映像が途切れ、再び男が話しかける。

「氷でモカイエを冷やせなくなった今、このようなことが起こってしまうのです。」

「モカイエとは何ですか。」

「モカイエです。」

「だから何なのですか。」

「モカイエはモカイエです。」

 このようなやりとりをかれこれ10分は繰り返しただろうか。それ以上の答えは返って来ないと悟った私はしばし地面を見つめて深いため息をついた後、このよくわからない男のほうに向き直った。

「わかりました。まあ良いです。」

 私はそう話ながら男の足下に目をやる。この男は足を怪我でもしているのだろう。この男の歩き方には少々癖がある。左足を慎重に出したかと思えばすぐに右足を出してきてその様子が非常に滑稽だ。

「とにかくあなたの代わりに機械を稼働してくれば良い訳ですね。」

 男は頷き、向かって左のほうを指差す。

「この方向に30分ほど歩くと機械が見えてくると思います。機械はそうですね……あなたの3倍くらいの高さです。直方体の箱に棒が沢山突き刺さったようなものだと思ってください。」

 私の家からいつもの駅までの往復がだいたい30分。それ故長くはないだろうと思ってはいたが、この一面が白い空間を30分歩くというのはなかなかに気力を使うものであった。もしあの男が大嘘つきで何十時間とかかる距離だとすれば、いや、そもそも機械なんて存在しないとすれば、もし私が真っ直ぐだと思っていても真っ直ぐ歩いていなければ……と考えただけで恐ろしい。わたしは自分の妄想にいちいち怯えて時々後ろを振り向きながら、真っ直ぐ進むことを心がけて歩いて行った。

 私は暫く真っ白の拷問にかけられていると、例の機械だと思われるものが見えてきた。この機械も白いので相当近づくまでわからなかった。私は一安心していると、恐ろしい事実に気付く。そういえば稼働の方法を一切聞いて来なかったのだ。ああ、なんということだろう。手で触れながら機械の周りを見ていくが、ボタンらしきものも、レバーらしきものも見当たらない。私は先ほどの男のもとに戻って話を聞いてこなければならないのか。そしてまたここに戻ってきて機械を稼働させなければならないのか。そんなの御免である。

 私は目を皿にして機械の周りを見ていると、一人の男がこちらに向かってくるのが見えた。遠くから見ても把握しやすい大きな身体は、筋肉が程よく発達し、がっしりとした印象を受ける。そんな健康的な身体は彼を若々しく見せているが、ピンっと跳ねているモミアゲの白髪や少したるんだ首の肉が、彼の本当の年齢を物語っている。さきほどの男の一回りくらい上と見えるその男は私を見つけて驚いたような顔をしたが、それはほんの一瞬で、すぐに先ほどの男同様人懐っこい笑みを浮かべてこちらに手を振った。私が近づくと男は

「初めて見る顔だね。こんなところまで何をしに来たんだい。」

 ここで私はさっき出会った男に機械の稼働を頼まれたという旨を伝えると、彼はおおそうかと一言放ち、ひょいと消えたかと思えば戻ってきて一言

「稼働の準備はできた。あとは……」

 と、ここで男の声が止まったかと思うと


―彼は踊り始めた―


『欠き氷』、終り。

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かき氷 小澤怠惰 @yuzu_tea

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