庶子の私も恋をしてもいいですか?

スプーン

第1話「出会い」

「俺と結婚してくれますか?」

「はい。」


あぁ……こんなに幸せなことがあるだろうか。 白無垢に袖を通し、愛しい人の隣に並ぶ事が許される。


彼の人の緊張した顔を覗くと、それに気付いた彼は固まった顔を緩ませた。


「緊張してるんですか?」


いつもの彼らしくない行動に微笑むと 、


「今日からあなたの隣に堂々と立てるのかと思うと緊張してしまってな。」


と、次は私が頬を赤らめてしまった。


ーーーこれは庶子だった私が紆余曲折の末に、幸せを勝ち取るまでの話だ


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「これより貴方は佐々木の名を捨て、榊(かしわ)と名乗るのです。いいですね?」

「はい、お義母様。」


今日この場から、佐々木美都子(ささき みとこ)は苗字を変え、榊美都子となる。


理由はひとつ。 美都子の母親は織物で名を馳せた歴史ある名家……榊家の当主と女中の関係でありながら、子を持った。 美都子は庶子ということになる。


その母親が数日前に亡くなったのだ。 身寄りのなかった美都子は顔も知らない父親の元へ預けられる事となり、つい数刻前、母の形見などご入ったカバンを片手に榊家に着いた。


榊家は名家と言うに等しい主屋をしていた。瓦の作りや庭の美しさ、何一つとっても名家というに等しい。 初め、期待で胸膨らんでいた美都子だったが、その期待は儚く散ることとなった。


「あなたが行う仕事は炊事洗濯、その他雑用。内容については女中達に聞きなさい。」


その声は酷く冷たく、美都子を義理の娘として家へ置こうと考えていない事がよく理解できた。 畳に付けさせられた額が何よりもの証拠だ。


美都子は頭を上げ、 「かしこまりました。」 と、声を平坦に鳴らした。


「ママ、その子が昨日言ってた妾の子?」


静まり返った空間によく響く甲高い声。 正妻との間に産まれた美都子よりひとつ下の榊家の本当の娘、弥生(やよい)だ。弥生は軽やかに舞う黒髪を毛先で巻き、派手な赤い着物を着こなす器量の良い娘だった。 庶民の暮らしをしていた美都子の黒髪は毛先から痛み、指先も酷く荒れていた。素材は弥生と負けず劣らずのものだが、それ以外の容姿が弥生とは圧倒的な差があった。


「私の事は弥生様と呼びなさい。パパはあなたのこと覚えてすらないって言ってたわ!あなた……可哀想ね。」


嘲笑う声と見下す視線。 美都子は再び畳に額を付けると、「かしこまりました。」と、唇を噛んだ。


ーーーお母さんは言っていた。榊家とは関わるなと。きっと、このことを分かっていたからなのね。


「榊家の品位があります。外に行く際にのみ着用する着物を一着差し上げますので、それを着るように。私たちの食事は貴方が運んできなさい。貴方は女中達と共に取るのです。」

「かしこまりました。」

「あと、お義母様と呼ばれるのは不快です。奥様と呼びなさい。」

「……かしこまりました。」


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「今日からここで共にする美都子様です。皆さん、分からないところは丁寧に教えてあげるのですよ。」


早速向かったのは女中達のいる台所だった。 昼飯を4人分、余った食材で女中分の飯を5人分、作る予定だった為に美都子が台所へ来るなど予想外。女中達は目を丸くし、15になる少女に目をやった。


さぞ妾の子だと嫌味を言われ、母は亡くなり、辛く涙を流しているのだろう……女中の1人が美都子の顔を覗き込んだーーーが。


「私は榊美都子です。どうか様など付けず、美都子とお呼びください!」


美都子は満面の笑を女中達に向けた。


「家事洗濯などは幼い頃からやってましたので、大抵の事は出来るつもりです。ご指導の程、よろしくお願い致します。」


深く頭を下げる美都子に女中頭は大きな声で笑うと、背中を勢いよく一発叩いた。 痛っ!と背中を抑える美都子。


「これからよろしくね、美都子!でも奥様達の前じゃあ美都子様と呼ぶことにするよ。妾とはいえ、榊家の人間だからね。」

「あ、ありがとうございます。」

「じゃあ美都子。まずはこの街に慣れる事からだよ。買い物から行っておいで。」


買い物かごを持っていたのは、美都子と変わらない歳の女の子だった。


「着替えてきますので少し待っていただいてもよろしいですか?」

「もちろんです!」


三つ編みの少女はミサと名乗り、玄関前で待つこととした。


美都子の部屋と言われた狭い女中用の部屋には一着の着物が掛けられていた。青水色地に波に源氏香模様の着物は弥生の物と比べると地味だが、美都子にとってはとても高価で有難い物であった。


「家族になんてなれないことくらい分かってたことじゃない……私は大丈夫よ、お母さん。」


そう空へ向かって微笑むと、足早に着替えを済ませ玄関へと向かった。


「ミサさん!お待たせ致しました!」

「全然待っていませんよ。早いくらいです。じゃあ行きましょうか、まずここを右に曲がるとここより大きな商店街がありますのでそこに行きましょう。」


この街の商店街はとても栄えていた。 米屋、八百屋、魚屋……件数も多く、活気がある。


ーーーなんだか視線が痛い気がするけど……人混みに来たのが久しぶりだからかな。


榊家に来る前に居た街に商店街はあったものの、ここまで栄えてはいなかった。古びた屋台が何件かあったほどだ。


「今日は足りないものを買うだけなので……魚屋さんと八百屋さんですね。」

「買い物には何回行くんですか?」

「今日は美都子が来ることが分かっていたので朝に行きましたが、いつもは昼に一度ですね。」


他愛のない話を挟みながら買い終えるが、買った物は今の格好の美都子には持たせられないと首を振られ、美都子は渋々隣を歩くのみとした。


「あの使用人達、榊家の人じゃない?」 「じゃああの隣にいるのが養子になったっていう?」

「まさかぁ、あんな気位高い人達がこんな所に買い物なんて来ないわよ!きっと使用人とかよ。」


痛い視線の理由はこれかと、美都子はようやく理解した。ミサに言われ警戒はしていたが、榊家の噂は決して良いものではないようだ。傲慢……その一言で榊家だと分かるほどに。


そんな色々な人が溢れかえる商店街。 散らばる声に混じり、聞こえてきたのは子供の泣く声だった。辺りを見渡すと、路地の手前で泣く一人の男の子が蹲っていた。


「迷子ですかね。でも直ぐに見回りの方が来ますから私たちは戻りましょう。」


ミサが振り返ると、そこに美都子の姿は無かった。誘拐!?と顔を青ざめさせながら見渡すと、美都子の姿は路地の少年のもとにあった。


「大丈夫?迷子かな?」

「……、う、うん。」


美都子は少年の目線に合わせ屈み


「今まで動かないで偉かったね。」


と、頭を優しく撫でた。


「私の名前は美都子。君の名前を教えてもらってもいいかな。」


少年はつかの間の安心感で涙を袖で拭い


「……せーじ。」


と、鼻の詰まった声で呟いた。


「美都子ーー!!」


人をかき分けながら走ってくるミサ。


「屈んでは折角の着物が汚れてしまわれますよ!それとすぐそこに見回りの方がいらっしゃいました。引き渡して行きましょう。」 「着物の汚れは落ちるけど、この子は泣いていたし、なんか走らないのは違うかなって。」


美都子はー……とため息を漏らすミサが苦笑いの美都子に口を酸っぱくさせていると、


「この子が先程聞いた迷子の子ですか?」


聞こえてきたのは太く伸びる男の声だった。


2人が振り返ると、そこには黒く長い髪を脳天の高さまで結った着物の男が立っていた。ひと目で分かるほどに男は整った容姿をしていた。くっきりとした目鼻に細身でありながらがっちりとした体はいかにも剣士に相応しい。 腰には刀がさしてあり、美都子は見回りの方ってこんな風なのね、と直ぐに視線は少年へ向けられた。


「この人が来たからもう大丈夫よ。お母さんとすぐ会えるからね。」

「うん。」

「……九条(くじょう)様?九条 陽(くじょう あきら)様ではありませんか?!」


ーーー九条様?なんだか凄そうな苗字だけど誰なんだろ。


張り切るミサを横目に美都子が会釈すると、


「まさか知らないのですか!?」


次は目を丸くさせてしまった。


「九条陽様と言えば代々天皇の護衛をしてる、みんなの憧れの的ですよ!」

「代々天皇?!」


憧れの的とかはあまり詳しくは分からないが、天皇の護衛を代々続けている家系が凄いことなら分かる。美都子は深く頭を下げた。


「も、申し遅れました!榊美都子と申します。」


と、思い当たる丁寧を詰め込んだ声を張った。庶民以上の暮らしをしている人達の印象は榊家で構成されている美都子。恐怖以上の感情がわかなかった。


しかしそんな美都子の心配など嘲笑うかのように、男の声はとても真っ直ぐで暖かい声色をしていた。


「そんなに深く下げないでくれ。この少年への対応を見ていたが素晴らしかった、俺も見習わなくてはな。」

「そんな!滅相もございません。」


頭を上げた美都子に子を愛でるかのように微笑むと、陽は少年の手を取った。


「あっちに迷子が集まる所があるんだ。歩けるかな?」


そういい少年と手を繋ぐとあっという間に人混みの中へと姿を消してしまった。


「あの人……美都子と言ったか。あの少女には礼をしに行かなくてはな。この街にしては珍しい心根の優しい少女だった。」


「僕もありがとうって言いに行く!」


「そうか、じゃあお母さんと会えたらお願いしような。」


ーーーそう、これは名家九条家の長男である九条陽様と、庶子の私が想いを紡ぐ話だ。

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