第15話 時の試練

 ミスリルは、聖なる木ミスティリナの樹皮ミスティリルを加工して造られた希少素材だ。


 聖白銀とも呼ばれ、樹木の皮のように軽く柔軟でありながら、鋼鉄を遥かに凌ぐ強度も持っている。


 もし傷つくことがあったとしても、特定の条件下に置くことで自己修復するという特性を持っている。


 このミスティリナは「世界樹の苗木」や「聖樹の娘」とも呼ばれ、国や種族を問わず、誰からも神聖視されている樹木だ。


 トゥカラーク大陸では、その苗木はミスティリア教会によって厳重に管理されている。もちろん、樹皮ミスティリルを得るために傷つけるなんてことは一切許されていない。


 樹皮を取るにしても、それには非常に厳格で複雑な儀式手順が必要とされている。もしいい加減に樹木を傷つけてしまうと、樹皮ミスティリルを得ることは叶わず、樹木も枯れてしまう。


 つまりミスリルは超希少素材なのである。


 魔王国の人々が千年の時を掛けて、どれだけ心血を注いでミスリルジャイアントを作り上げたのか、ぼくには想像することさえできない。


 例えショートソード一本だとしても、それがミスリル製ということであれば、まさに国宝と言って良いものとなる。


「然り。失敗者に、このミスリルエッジを授くのである」


 ツォルゼルキンが、ぼくの前にミスリルエッジを差し出してきた。


 夢うつつの中で、ぼくは差し出された剣を受け取る。


「もはやこの力はお前のものである。なればお前の正義を振るうが良い」


「正義の……刃……」


 ミスリルエッジの刃に、ぼくの顔が映る。


 ぼくの両目からは血の涙が流れていた。


 瞬きをした一瞬の間に、ぼくは孤児院の管理人ハンクの前に立っていた。


 ハンクは今、バケツを持ってベッドの前にいる。 


 ベッドには、ぼくの友達のミーナがびしょ濡れのまま横たわっていた。


 ミーナは真っ青な顔で、その小さな全身をガタガタと震わせていた。


「チッ! 今日も働けねぇってか! このクソゴミが!」


 段々と、ミーナの動きが止まっていく。


「クソがっ!」


 動かないミーナを蹴りつけたハンクが振り返る。


 後ろにぼくが立っていたことに気付いた彼は、驚愕でその目を開く。 


「てめぇっ! いったいどこから出てきやが……」


 ザシュッ!


 ぼくがミスリルエッジを一閃させると、ハンクの首が落ちた。


 その表情は恐怖のまま凍りついていた。


「ミーナ!」


 慌ててミーナに駆け寄って声を掛ける。


「フォ……フォルトなの?」


「そうだよ! フォルトだ! ミーナ! ここから一緒に逃げよう!」


 ミーナの瞳が薄く開く。


 ぼくにはもうその瞳が何も映していないことを知っていた。


 目の前が光で真っ白に埋め尽くされていく。


「フォルト……フォルト……フォ……」


 ぼくを呼ぶミーナの声が、次第に遠くなっていく。


 一瞬、目を閉じた瞬間――


 ぼくは違う場所に立っていた。


 ぼくの目の前にカントが現れた。


 ぼくは、ぼくを奴隷商に売ったお金を掴もうとするカントの腕を切り落とした。


 ジョイスさんや、女戦士や、孤児院長や、名も知らぬ誰かが、次々とぼくの前に現れる。


 その度にぼくは、ミスリルエッジを振るって彼らを斬り捨てた。


 聖白銀のミスリルエッジが、真っ黒な血で染まっていった。


 ふと気が付くと、ぼくはミスリルジャイアントそのものとなっていた。


 ジャイアントの手には巨大なミスリルソードが握られている。


 周囲を見渡すとツォルゼルキンの姿はなく、が視界に入ってきた。


「然り。失敗者よ、お前を苦しめ続けた世界である。思うがままに、その剣を振るうが良い」


 ツォルゼルキンの声にうながされて、ぼくはミスリルソードを振りかぶる。


 この力を解放すれば、大陸中の全ての都市を一瞬で消し去ることができるだろう。


 ぼくの脳裡には走馬灯のように、これまでぼくを傷つけてきた全ての事象が映し出される。


 それは激しい怒りとなり、ミスリルソードにさらなる力を与えていくのをぼくは感じた。


「うわぁぁぁぁぁ!」


 ぼくの脳裡に、人間によって魔族たちが狩られていく光景が映し出された。


 平和に暮らしていたコボルト族の村が、一夜にして冒険者パーティーに全滅させられていた。


 山奥で迷った旅人たちを助けていた巨人たちが、騎士団によって皆殺しにされていた。騎士団は、四肢を切り落とされた巨人の前で、残虐な方法で子供たちの命を奪っていく。


 人間との共存を望んでいたエルフ族が人間の王国によって蹂躙され、生き残った者たちが奴隷に落とされていた。


 人類に知恵を授けたケンタウロス族の長が、人間の王によって断頭台で処刑されていた。


 獣人族の子供が、人間の子供たちによって石を投げられていた。子供は動かなくなった。


 多くの魔族が獣人が亜人が、その住処を追われ、虐げられ、殺されていた。


 それでも人間たちは飽くことなく、彼らを獲物として狩り続ける。


 ミスリルジャイアントに込められた魔王国の人々の怒りが、不条理かつ無慈悲に殺された魔族たちの怨念が、ぼくの思考を真っ黒な血の色に染める。


 それは激しい怒りとなって、ミスリルソードにさらなる力を与えていく。

 

 こんな世界!


 こんな世界!


 こんな世界は壊してやる!


「ぬぉおおおおおお!」


 その瞬間――


「フォルト……」


 ぼくの頭にミーナの声が聞こえてきた。


 とても小さな声。


 ぼくが大好きだった声。


「フォルト……わたしね……フォルトと会えてよかったよ……」


 ミーナの声が、ぼくの心に響いてくる。


 今やミスリルソードは、天をも貫くほどの巨大な炎の剣となって、ぼくの頭上で燃えている。


 このクソの塊のような世界。


 滅びて当然の世界。


 だけど……


 だけど……


 彼女を残酷に殺したこの世界。


 だけど……


 だけど……


 ミーナがいたこの世界。

 

 もし、この腕を振り下ろしてしまったら。


 ミーナが生きた証まで消えてしまう。


 ぼくには壊すことはできない。


 できない。


 できなかった。


「然り。その剣を振るわぬか」


 またツォルゼルキンの声が、ぼくの耳に響いてきた。


「振るわない」


 ぼくは、ミスリルソードをゆっくりと降ろす。


 いつの間にかミスリルジャイアントの姿は消え、ぼくは元の姿に戻っていた。


「然り。この憎き世界を壊さぬのか」


 ぼくは、ゆっくりと息を吸ってから、静かに答えた。


「壊さない」


 そう決意したぼくの頬に、


 ミーナの優しい手が触れた――


 ような気がした。

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