第15話 ヨハナ家とクララック家
次の日の夕方、レリアはアクセルに呼び出された。
急な呼び出しというのは珍しい。『降臨と誕生』の前で待ち合わせ、そして館内レストランのビップルームに入って行く。直ぐにテーブルが食事で満たされたが、アクセルはそれに手を付けようとはしなかった。
彼の表情は出会ってからずっと、小難しいままだ。
「アクセル様、今日はどうされたのですか?」
「……聞きたい事がある」
「何でしょう……あの、クロードからはまだ話を聞き出せてなくって」
「そうじゃない。レリアがヨハナ家に嫁ぐという噂は、本当か?」
レリアは体が固まった。
アクセルはレリアを、クララック家の令嬢だと思っている。当主などとは、露ほどにも思っていないのだ。故にレリアがヨハナ家に嫁ぐと聞かされれば、恋人であるレリアの方を思い浮かべた事だろう。
なのでこのアクセルの質問は、至極当然の事である。しかしレリアは、あまりに突然の事で何と答えて良いのか悩んだ。
自分ではなく娘のレリアが嫁ぐのだと答えれば、ロベナーの妻だという事がばれてしまう。彼の潔癖さは、この何ヶ月かでよく分かっている。きっと蔑まれ、意図せず不義を働いてしまった自分を責めるに違いない。
物言わぬレリアを、アクセルはじっと見つめてくる。
別れなきゃ、いけないのね……。
とうとうレリアは決意した。いつか来ると覚悟していた別れ。このままずるずると関係を続けられはしない。だがそれでも、出来るだけ綺麗に別れたかった。既に結婚している事を伝えて、愛する者に蔑みの目で見られるのだけはどうしても嫌だった。
「本当です。私は近く、ヨハナ家に嫁がなければなりません」
アクセルの顔に哀惜と憤怒の色が入り混じる。きっと彼には、何故こうなっているのか理解できてはいまい。
「俺は、レリアと結婚したいと伝えた! なのに、何故……」
「ごめんなさい……もう決まった事なんです」
「どうしてだ!? レリアは俺の気持ちを知っているはずだろう!」
「……とてもいい縁談で、断れないんです……断りたく、ないんです」
娘の努力が実を結んだ縁談だ。絶対にご破算にしてはならない。
アクセルの顔は義憤に満ちた。彼にすれば、理不尽な事この上ない話だ。怒るのも当然である。
「レリアだけは俺を選んでくれる……そう信じていたのに……!!」
「……ごめんなさい……」
レリアはもう頭を下げるしかなかった。いくら頭を下げても、アクセルの怒りがそうやすやすと収まるわけがない事は分かっていたが。レリアは自責の念に押し潰されそうになりながらも、謝罪し続ける。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
「レリア……レリア!」
謝り続けるレリアを、アクセルは席を立って強く抱き締めた。
「アクセル様……」
「ヨハナ家に断りを入れてくれ」
「それだけは、許して下さい」
「何故だ!? こういう言い方はしたくないが、ヨハナ家よりもユーバシャールの方が利があるだろう!?」
そうだ。ヨハナ家も高貴な貴族だが、ユーバシャール家の方が遥かに格上だ。婚姻を結んで利があるのはユーバシャール家の方である。しかし娘のレリアが恋しているのはユーバシャールのアクセルではなく、ヨハナのラファエルなのだ。利がどうという問題ではない。ロベナーなら何と言うか分からないが。
「ヨハナ家の方が先に話が進んでいたんです。今更断れませんわ」
「俺がどうにかする」
「やめて下さい!!」
「レリア……」
「お願いします! お願いします! ヨハナ家との縁談が無くなっては、一生を後悔する事になります!」
「後悔なんかさせない! 俺は、貴女を……」
「駄目なんです! ごめんなさい、許して……下さい……」
涙を流さんばかりに訴えると、アクセルは言葉を詰まらせた。その悲壮感漂う表情に、レリアの胸もまた、張り裂けそうになる。
「何を言っても無駄なのか……? 俺を選ぶと言ってくれた言葉は、嘘だったのか!?」
「ごめん……なさい……っ」
「…………っ」
アクセルは悔しそうに、納得の行かぬ表情のまま、食事にはひとつも手を付けずに部屋を出て行った。バタンと閉じられる荒々しい扉の音が、彼の怒りを表しているかの様だ。
テーブルの真ん中に活けられた花が、レリアを見て嘲笑っている様に感じる。誠実、貞節という意味を司るその白い花。マーガレットが嫌いになりそうだった。
レリアはうなだれたまま、クスクスと可笑しそうに笑う花を眺めていた。
***
ヨハナ家のラファエルと娘のレリアが婚約をする、という一日前の出来事だった。その婚約に待ったが掛かったのは。
一日も早く娘に結婚して貰いたいレリアとクロードにとって、これは思惑違いの出来事だ。それも、待ったをかけたのが彼なのだから、レリアは動揺した。
「ユーバシャール家の坊ちゃんが、レリアを嫁に貰いたいと言ってきた」
ロベナーがそう家族に説明をする。レリアは青ざめ、娘のレリアはきょとんとし、息子クロードは苦い顔をした。
「ユーバシャール家の坊ちゃんって、アクセル様? どうしてアクセル様が私なんかを?」
娘のレリアが不思議そうに問い、皆がレリアを見た。アクセルと繋がりのある人物と言えば、レリアしかいない。
「ど、どうしてかしらね……あなたが良い子だと言い過ぎたから、興味を持ってくれたのかしら」
レリアが空惚けてみせると、娘レリアは興味無さそうに「ふーん」と呟いた。
「でももうラファエル様と婚約するんだし、関係無い話よね」
「そうはいかん。あのユーバシャール家の求婚を断ったとなれば、我がクララック家の損失だ」
ロベナーの言葉に、二人のレリアは眉を寄せた。それでなくともアクセルは、娘の方のレリアではなく母親の方のレリアの事を言っているのだから、慌てざるを得ない。
「ロベナー、レリアが愛しているのはラファエル様なのよ! アクセル様にはお断り差し上げて!」
「そうよ、お父様! いきなりアクセル様と結婚しろと言われて、納得出来るわけないわ!」
「お前達こそ分かっていない! あんなに高貴な方の求婚を、無下に断れるとでも思っているのか!? 折角取り付けたヨハナ家との縁談だったが、そちらを断るしかなかろう」
「そ、そんな……」
娘の顔が絶望に変わった。危惧していた事が、現実に変わる。
「どうして、こんな事に……?」
事態を理解した娘が、にわかに瞳から雫を降らせた。何と贖罪していいか分からない。娘の幸せを、母である自分が奪ってしまった。
「アクセル様が今日、職務が終わり次第こちらに挨拶に来てくれるそうだ。皆、きちんと礼服に着替えておけ。急だが、あちらは婚約を希望しておられる」
「ロベナー、どうにかならないの? ヨハナ家だって面子があるんだから、このままでは亀裂が出来るわ」
「その点は大丈夫だ。ユーバシャール家の力で何とかすると仰って下さったからな」
「……」
クリーンなアクセルが、権力を振りかざす様な真似をするとは思っていなかった。そうさせてしまったのは、紛れもなくレリア自身であったが。
「私……ラファエル様と、結婚出来ないの……?」
誰に言うでもなく、一人呟いた娘レリアを、クロードは慰めるようにぎゅっと抱き締めている。レリアは自分には抱き締めてあげる権利さえない事に気付いて、一人唇を噛み締めていた。
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