第661話 見習いの者、マリベル
ユニスとステファニーの模擬戦が終わった翌日。休み明けだからか顔を出していないクランメンバーがいる中、クランハウスのリビングでは瞑想終わりのハンナが青いアホ毛を揺らしながら新聞を眺めていた。
まだリビングに一人しかいない彼女の傍らではクランハウスの管理を任されているオーリが朝の掃除をテキパキとこなしている。
未だに見習い扱いである金髪をお団子の二つ結びで纏めているマリベルという女性も、朝食に出すサラダの仕込みを厨房でこなしているところだ。とはいえ今日は厨房にまで乗り込んでくるような者たちが軒並みいない連絡を受けているので、何処か余裕がある顔つきである。
そんな中、脳ヒールしているとはいえ軽い欠伸をかましている努が階段から降りてくると、ハンナは飛ぶように駆け寄って新聞の記事を広げて見せつけた。
「師匠を巡る弟子の争い、決着っすね! いやーステファニーっすかー。ユニスかと思ったっすけどねー」
「ハンナも参加して纏めてぶっ飛ばしてきたら?」
「あたしはあれとは違う弟子っすから、争う必要もないっすよ。それにほらー? ユニスほどあちあちなわけないっすからねー♪」
彼が望むなら狐の嫁入りも悪くないと匂わせる台詞がいくつも書いてある記事を指でなぞり、ハンナは恋愛シミュレーションゲームの親友みたいにしししと笑っている。その記事に映る写真を見た努は露骨に顔をしかめた。
「もう少しお淑やかな人はいないもんかね」
新聞記事に映るユニスは勇ましく自分の身長よりも長い薙刀を掲げ、ステファニーは据わった目で彼女の腹を抉っている。こわ、戸締りしとこ……といった様子の努を前にハンナは呆れたような声を漏らす。
「探索者でそれは無理じゃないっすか?」
「そうだね。だから少し探索者から離れた人がいい」
「でもユニスとステファニー振ったとしても、その二人を押し退けて師匠に迫れる人なんていないっすよ。観念して責任取るっす」
「何の責任だよ。また高跳びするぞ?」
「おー、出来るといいっすね? 今度はうちの蛇も噛みついて離さなさそうっすけど!」
ハンナは手を合わせてにょろにょろと動き回り、最後にはがぶっと努の腕を挟んだ。そのまましばしの間ぶらぶらとしている内に朝食の準備ができると、彼女はすぐに手を離して食卓についた。
普段なら少なくとも四、五人はいるが、今日はクランメンバーの予定が重なり朝食に集まったのは努とハンナだけである。そこに管理人のオーリとマリベルもいるが広い食卓に座っているのは二名だけであり、随分と寂しく見えた。
「今日、相当集まり悪いね。逆に珍しいやつ」
「各々泊まり込みだそうで。朝食はいらないとご連絡を頂きました」
「おっ、じゃあせっかくだし一緒に食べるっすか? ほら、マリベルも!」
「いやぁ……私は……」
そう言ってぐいぐいと手を引っ張ってくるハンナにマリベルはご遠慮モード全開だった。だが努と目を合わせて確認を取ってから着席したオーリを見ると、おずおずと席に座った。
「にしてもコリナがいないのは珍しいね」
「最近はホテルのびっふぇ? に夢中っすからねー。一回あたしも付いていったっすけど、中々良かったっす。オーリもやったらどうっすか?」
「追加で料理人数名雇えばビュッフェ形式も可能ですね。その費用、お出しになりますか?」
「やっぱ大丈夫っす! やー、サラダおいしい!!」
にこやかな笑顔を浮かべたオーリにそう返された金欠のハンナは、葉物野菜を口に詰めることで話題を逸らした。丁寧に裏ごしされたコーンスープに舌鼓を打っていた努は、そんな彼女を残念そうな目で見つめる。
「よくもまぁそんなに毎月溶かせるもんだね。オーリにお金管理されてなきゃ高跳びしててもおかしくないだろ」
「いーや? むしろオーリがちゃんと貯めてるからこそ、あたしはバーッと使わなきゃ損っすよ!」
「その考え自体は尊重しますが、今はオーリの先取り貯金があるからと余計に散財している節が見られます。今月は特に酷いです。もう引き出させませんよ」
「えっ」
「そういう小賢しい計算は出来るのに阿保みたいに破産するの、何で?」
そんな努の野暮な突っ込みに声にならない苦しみを見せているハンナに、マリベルは苦笑いを零している。
「うぅ……。21で揃えるやつなら勝てるって聞いたのに、全然勝てなかったっす……」
「いや、一番カジノ行ったら駄目な奴。終わりだろ」
「でもこっちが有利って聞いたっす!」
「それ、出てるカードの数字数えて覚えられる人ならでしょ。ハンナに出来るの?」
「……そんなの聞いてないっす」
それを聞いたハンナは遭えなく撃沈といった様子だったが、努の言葉にマリベルは目を見開いて思わず口を滑らせる。
「確かにツトムさんならカウンティングも余裕そうですね」
「あー、多少は出来るでしょうけど、やったことないですからねー」
「ただ迷宮都市のカジノにはスプリットがないんですよ。ダブルはあるので多少は期待値上げられますけど、プレイヤー有利とまでは――」
すらすらとブラックジャックの知識が出てきたところでオーリの厳しい視線に気付いたのか、マリベルは恥ずかしそうに顔を下げた。それにハンナは首を傾げたが、納得したように頷き始める。
「そういえばマリベルのやらかし、師匠は知らなかったっすか?」
「なんかオーリさんからそれとなく聞いてはいたけど、詳しくは知らないね。元々カジノで働いてたとか?」
「そーそー。元ディーラーっすよね? でもイカサマがバレて首になったって聞いたっす」
「へー。客に対して?」
「そうですね。指を落とされなかったのが不思議なくらいです」
そんなオーリの厳しい言葉にマリベルは弁解するように両手を振った。
「あの、実際に現場を押さえられたわけじゃなくて、カジノの経営が立ち行かなくなって蒸発した形なので……!」
「それを偉業と勘違いして親戚にうっかり自慢し、一族から今も破門を叩きつけられている状態です」
お恥ずかしい過去ですと視線を下げているマリベルに努は意外そうな顔をした後、安心させるように笑みを浮かべる。
「でも実際にバレてないならギャンブラーとして食っていけそうな気もするけど」
「カジノで働いて得た教訓としては、普通に働いて生きていくのがいいかなと……。結局最後は失う人がほとんどでしたし」
「なるほど。まぁうちには数億G騙し取られて平気な顔してる輩もいますし、お気になさらず」
「それ、あたしの台詞っすよね? 周りからは本当にしこたま怒られたっすけど、師匠だけは爆笑して許してくれたっす。だからマリベルもクランのお金ちょっと溶かしても大丈夫っすよ? 師匠は金銭感覚イカれてるっすから」
「全然はんざぁい……。オーリに指落とされるどころじゃ済まないよぉ……」
「流石に全部スってるとは思わなかったけどね。魔流の拳に倫理感まで吸われてるよ」
何も考えていないであろうハンナの言動にマリベルはドン引きし、努はそう言い切ってオレンジジュースをストローでちゅーちゅーした。
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