第645話 蠅の王

 二ヶ月ほど前に帝都へ向かうこととなった元最前線組――アルドレットクロウ、シルバービーストの上位軍たち計数十名。その他にも何かと渦中にいる紅魔団にバーベンベルク家のクランであるアルムフォートレスなど、小規模ながら実力者揃いのクランもちらほらと窺える。


 何でツトムは俺たちにだけ当て付けのように刻印装備を流さないんだと憤る者もいれば、こんな立て続けに迷宮都市を離れるのは嫌だと不満を垂れる者もいる。それに加えて王都のスタンピードで死人を出したアルドレットクロウの一部メンバーと、オルビス教の幹部だったミナとの間に不穏な影もあるので空気が悪い。


 ただその集団の共通認識としては、さっさとスタンピードを片付けて迷宮都市に帰りたい気持ちが強かった。スタンピード如きに手こずっている帝都とやらを鼻で笑い、いつものように一ヶ月もかからずモンスターを殲滅して帰郷するつもりだった。



「何で帝の子供がまんまと攫われてるんだよ、護衛が無能すぎねぇ?」

「貴族と同等の能力とやらを持ってるって噂、嘘なんじゃね?」



 だが帝都で起きていたスタンピードはそう単純なものではなかった。ミナと同様に虫のモンスターを操ることができる能力を後天的に得た存在であるはえの王は、帝都の最高権力者である帝の子供を人質に取り何かを要求していた。


 帝都としては帝の子供が最優先事項であるため、僅かな危険を犯すことも許されない。なので武力的には蠅の王とその周辺を固める虫モンスターの軍勢に勝っていようとも、ろくな手出しが出来なかった。


 そのため初めは蠅の王の要求をある程度飲むこともやむなしとしていたが、その要である条件の摺り合わせが困難を極めた。


 その身体こそ病に伏せりがちな少年のように華奢だが顔面は蠅そのものである彼は、発声器官がないので人に通じる言語を発することが出来ない。それにろくな教育を受けていないからか文字もかけず、彼の要求を正確に見極めることが出来なかった。


 その打開策として帝都は蠅の王と同じく虫のモンスターを操ると噂のミナに一縷の望みをかけて使者を出し、平身低頭で彼との交渉をお願いした。そして彼女が交渉役として対面してみると、細かな言語こそわからないがある程度の意思疎通は出来ることが判明した。


 ただミナも蠅の王もまだ歳半ばであり、大した教育を受けていないこともありすんなりと条件が纏まりはしなかった。なのでその条件等は人質である帝の子供が取り纏め三者で話し合う形となった。


 意思疎通が可能なミナが来てから蠅の王の態度が軟化したのは明らかであり、その高貴な立場上不自由もあった帝の子供も恐怖に震えることはなくなり、この生活も悪くないと文をしたためて帝都に送るほどだった。


 そうして事態も収束を見せ人質の引き渡し日時も決まり、帝は胸を撫で下ろしていた。


 しかしミナと蠅の王が対面して打ち解けるまで一ヶ月。それから交渉が纏まるまでの一ヶ月、他の探索者たちは待ちぼうけを食らっていた。なのでせっかく帝都に来たのだからとロイドは久しぶりに神のダンジョンへと潜り、その他探索者もそれに続き暇を潰していた。



「何で神のダンジョン潜るのに野宿しなきゃいけないの? 黒門もないし、転移陣もない! こんなとこやだーー! おうち帰りたーーい!」



 神のダンジョン内で野営の準備をしている最中にハンモックに寝そべりながら駄々をこねている、シルバービーストの一軍ヒーラーであるロレーナ。その傍らでは赤鳥人のララも同じく身体をバタバタさせ、青鳥人のリリが二人を宥めている。



「地上に帰ってくるだけでも一苦労。そりゃ迷宮都市に比べて人気ないわけだね、探索者。それこそ昔の探索者みたいじゃない?」

「今はまだキャンプ気分で済んでるが、これが毎日となると辛いだろうな。低階層なら生活に困ることはなさそうだが、上がるにつれてそういう施設もなければ娯楽もねぇ。殺しもアリだし物騒だよなぁ」



 シルバービーストのクランリーダーであるミシルは野営を手伝ってくれているクランメンバーと喋りながら、迷宮都市と比較した帝都の神のダンジョンに対する愚痴を漏らしていた。


 そして男女を完全に区切った野営地を完成させてテントの中で寝転がったミシルは。一人物思いにふける。



(ようやく迷宮都市に帰れる目途も立ったが、アルドレットクロウが嫌に静かだ。迷宮都市の帰りにでもやる気か?)



 現状ミナは蠅の王との交渉を取り纏めたことで英雄扱いとなり、豪勢なもてなしを受けて目を白黒させているところだろう。そのため帝都での殺害は困難だと判断したのか、彼女に恨みを募らせる者たちはやけに大人しい。



(あまり対立はしたくないんだが……)



 元々シルバービーストは耳や尾の色形が違うだけで異様な迫害を受ける獣人の子供たちを助けるために設立した団体であるが、その他孤児の保護も行っていた。


 なのでスタンピードで親を失ったミナもその対象に入っていたのだが、オルビス教に先を越され彼女は虫を操る人外に変貌させられてしまった。そうなってしまった責任の一端を感じているミシルはミナの擁護派である。



(帝都はこれにかこつけてあの子を押し付ける気満々だしな。けどシルバービーストで保護するにしても腰は引けるし、紅魔団も同じだろ。今度は口ばっかりじゃなくちゃんと責任も背負いたいところだが……あの見た目じゃ迷宮都市で受け入れられるかも怪しい)



 王族と同じく血の煮詰めすぎによって力を失っている様子の帝からすれば、このままミナを生贄にして蠅の王を厄介払いするのが一番都合の良い選択だ。あとは若い者二人で……なんて仲人気取りの帝都には反吐が出るが、押し付けたくなる気持ちはわからんでもない。


 大人が思わず微笑んでしまうような子供ならでの明るさや愛嬌のある孤児の引き受け先は多いが、虐待されて心を閉ざし問題行動を引き起こす孤児は余るほかない。そんな者たちも出来る限り余さず救うという信条の元シルバービーストは設立された。


 その信条を当てはめれば蠅の王も保護対象ではある。方法こそ違うがミナと同じように人体実験を受け蠱毒で生き残ったのが蠅の王であり、その精神性はミナと変わらず教育足らずの少年に過ぎないという。


 ミナと唯一違うところは性別と、その人間離れした顔である。ミナは蟲化を使わない限りは普通の少女のような見た目をしているが、彼は顔が蠅そのものであるため人から見ればとても醜く映る。


 不幸の象徴と蔑まれた白耳の黒兎人や鍵尻尾で歩行障害のある犬人など、シルバービーストは多種多様な獣人を受け入れてはきた。だが顔が虫そのものである蠅の王を受け入れられる度量があるかといえば、難しいと言わざるを得ない。



(マデリンみたいにフード被せればどうにかなりそうだが……あとはバーベンベルク家か。幸いバーベンベルク家も帝都に貸しは作っておきたいと考えてはいるだろ。その線で行けば迷宮都市に滞在を許可する方向に進められるかもしれない。うちのクランでも拒否反応は出るだろうから、種族柄の見た目が濃い奴らと相談だな……)



 しかしそれでも保護しないという選択肢を既に捨てていたミシルは、どうにかして蠅の王が迷宮都市で受け入れる余地がないか模索していた。



(そのためにも探索者はもう少し続けねぇとな。刻印装備でどうにか……ったく、どうにかなるのかばっかだ。嫌になる。いっそのこと外で稼ぐのもいいんだが……やっぱり探索者としての知名度が大きいに越したことはない。動画機とやらが出た神台の存在がデカすぎる)



 ミシルのジョブである冒険者は環境適応スキルやLUKを上げるスキルなど、他のジョブにはない特殊なスキルが多い。だが環境適応に関してはダンジョン産の装備を揃えれば事足りるので、ほぼ死にスキルに近い。それにステータスもLUKに振られている分パッとしない。


 ただPT人数制限のある神のダンジョン内では精々十人が限界な環境適応スキルは、外においては精神力が尽きるまで付与可能となる。そのため気温の高い地域、低い地域での特殊作業に冒険者は重宝され、召喚士と同様に神のダンジョン外で悪くない立場を確立できるジョブだ。


 なのでミシルもそろそろ探索者引退が本格的に見えていたのだが、迷宮都市からの手紙で帝階層やら動画機やら新情報がざくざく出てきて彼の足を踏みとどまらせていた。



(そういえばツトムもミナを臨時PTメンバーとして入れるなんて噂も立ってたし、意外と協力してくれるかもな。皮算用の一つに入れておくか……)



 それからミシルはクランメンバーたちがシチューを作っている間、帝都でのいざこざを加味しながら今後の立ち回りを練りシルバービーストの方向性を決めようと思い悩んでいた。

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