第622話 神か悪魔か

 ハンナの打ち上げた風を目印に合流してきたアルドレットクロウの一軍PT。それを指揮するステファニーは上空から舞い降りて努の前にふわりと着地し、少し乱れた桃色の前髪を指で整えた。


 そして二番台に映像を映している神の眼をこれ見よがしに引き寄せると、ステファニーは何時ぞやに被っていたとんがり帽子を取って黄色いドレスの端をつまみお辞儀した。



「ツトム様、お久しぶりでございます、この帝階層という舞台でお目にかかることが出来て光栄ですわ」

「随分と大袈裟だね」



 努も被っていたフードを取って軽く礼をした後、神の眼でいい感じに撮ろうとしていたエイミーに手を払って止めさせた。するとステファニーはマジックバッグからうやうやしく手紙を取り出す。



「ツトム様から啓示を受けた通り、アルドレットクロウ一軍の座から降りることもなく一番台に映り続けて参りました。……とはいえ、ツトム様が帰ってきてからは少々情けない結果となりました。なので帝階層でわたくしの成長を見届けて頂ければ幸いですわ」



 そうは言うもののステファニーの顔からはまたご指導ご鞭撻のほどの念が溢れ出していた。そんな姿を神の眼の前で半ば見せつけるようにしている彼女に、努は困ったように視線を宙に彷徨わせる。



「まぁ、その手紙を書いた時はもう帰ってくるつもりがなかったからこんなことを言うのも変だけど、お疲れ様。白魔導士として誇りに思うよ」

「なっ、そうだったのですか!? いえですがわちゃ、ありがゃ!?」



 まさかこの手紙が今生の別れのつもりだったとは思ってもおらず、それに加えてお褒めの言葉もあってステファニーの情緒はバグっていた。そんな彼女から努はそろりと視線をずらす。



「ポルク、何か言いたげな顔してるね」

「……はぁ?」



 付与術師の中でも抜きん出てスキル操作能力を持つポルクは、努から突然そう話を振られて意味もわからず反応した。その間にステファニーは深呼吸を繰り返し、ハンナは師匠面でうんうん頷いている。



「僕が迷宮都市から失踪した時、多少は探してくれてたんでしょ?」

「まぁ、今度は俺が脱走した輩を連れ戻してやるかと考えはしたが、今する話かそれは? 尻尾を振ってる愛弟子を差し置いて」

「うーん。でも今になって僕が師匠面で弟子がどうこう言うの、流石にイタくない? 何年前の話だっての」



 ねー。と同意を取るようにビットマンへと視線を向けた努に、落ち着きを取り戻したステファニーはそれに割り込み遠慮がちな笑顔を向けた。



「確かに私がツトム様からヒーラーのご指導を受けてから少なくない時は経ちました。ですが今でも師として尊敬の念を持ち合わせていることに変わりありませんし、現に最前線で再び相まみえることが叶いました。流石、ツトム様ですわ」

「それは結構なことだけど、わざわざ神の眼引き寄せてまで言うことかな? もしかしてクランの中でもそんなこと言ってるの? だとしたら僕がアルドレットクロウのヒーラーからやたら嫌われてるのも納得だけど」

「……それは」



 努が何か成果を出せばツトム様はツトム様はと言っていた覚えのあったステファニーは、その追及で口が露骨に詰まった。そんな彼女に努は困ったように首を掻く。



「悪気はないんだろうけど、アルドレットクロウの一軍ヒーラーが三年もブランクあるぽっと出の古参を絶賛し続けるのは、ちょっと不味いんじゃない? 二軍以降のヒーラーはそれ以下だって言ってるようなものでしょ」

「はい」

「それでも一軍ヒーラーを維持してるのは凄いけど、その調子だと足下掬われるよ」

「はい、はい……」



 事前に想定していた師弟の問答とは異様にかけ離れたやり取りだったからか、ステファニーは思いのほか沈んだ声で頭を下げて身を縮みこまらせた。


 だがステファニーはその説法に悲しみを覚えると同時に、まだ自分にはツトム様に指導される余地があるのだと望外の喜びを感じてもいた。その二面性が垣間見える彼女の僅かな表情の変化に努は気付き、後ろに控えているディニエルも男を前に声色を変える女友達でも見るような目をしていた。


 しかしステファニーが努と帝階層で会うのをどれだけ楽しみにしていたかを見ていたラルケにはそれがわからず、彼女の寂しげな後ろ姿を見てこんな仕打ちが許されていいのかと気持ちがたかぶった。そして悪魔と狂信者のやり取りに勇気の一歩を踏み出す。



「つ、ツトムさん……。それはあんまりです」

「ラルケ。余計な口出しは無用ですわ。これは私とツトム様の……」

「あー、そういえばラルケも大変だったでしょ? 宝煌龍ってワードを滑らせただけであぁなったのはとんだ災難だったね。フォローできなくてごめんね」



 自分の言葉ではもう変わらないであろうステファニーを前に、努は丁度良く出てきたラルケにそんな言葉をかけた。悪魔の関心が突然こちらに向いて狂信者の肩が震え始め、彼女は慌てたように弁解する。



「わ、私のことはどうでもいいんですよっ! ステファニーを、ステファニーをもっとこう、労ってあげて下さいよぉ! そのためにステファニーがどれだけ努力していたか、同じクランにいた人なら誰でもわかってます!」

「……まぁ、それもそうか」



 努は一先ずラルケにぶん投げてみたものの、同じPTである彼女がステファニーから敵視されるのは不味いと思い直した。そして何とかして無表情を保っていたステファニーに歩み寄る。



「ヒール。長い間、ご苦労様」

「……え?」



 先ほどバグっていた脳を治すように努は手にヒールを付与してステファニーの頭を撫でると、彼女は小鳥が頭に止まったような顔をした。そして恐る恐る努の顔を見上げた後、マグマでも盛り上がるようにその顔が赤くなる。


 ゼノ工房でもまるで脳内デトックスだと話題だった努のヒールが、170階層の突破と帝階層の最速攻略で使い込んでいたステファニーの脳を癒す。それは施術者もあってか陶酔と安らぎを同時に与えた。



「つっ、ツトム様のひーるがぁぁぁ!! わたくしのなかにぃぃぃ!?」

「えぇ……?」



 まるで電気でも流されているかのように地面へ膝をつき痙攣しているステファニーに、努はそんな効果はないぞと引きながら治療を終えてその手を離そうとする。だが彼女はその態勢のまま両手でがっと努の腕を掴んで離さない。


 その有様にはディニエルやポルクもドン引きといった様子であり、神の眼でその様子を収めているエイミーの視線も冷たい。ラルケはヒヤリとさせられたものの間に入って良かったと満足し、ハンナは瞑想が足りんぞと師匠面である。



(どうするかなぁ……)



 自分が鞭を打とうが飴を与えようがステファニーがこの調子では、白魔導士全一の彼女を超えることは出来ない。この絶対的な師弟関係を崩す方法はないかと、努は彼女に手を押さえられながらぼんやりと考えていた。



「それ、寝不足でも頭がすっきりするって噂だけど本当?」



 そんな彼にディニエルは一矢を放つように話しかけた。その問いに努は少し意外そうな顔をした後、空いた左手で彼女を招く。



「割と好評だね。試してみる?」

「気持ち悪い」

「えぇ……?」

「でもゼノ工房の職人たちは口を揃えて言ってた。ユニスがあれだけ早く刻印士として大成したのも、それのおかげ?」

「……あぁ、まぁね」



 そんな努の肯定にステファニーの頭がぴくりと動き、彼の手首の脈を計るように添えられていた両手も止まる。



「ロレーナとかと違ってユニスにだけはどうも入れ込んでいるように見える。もしかして、彼女にだけ何か特別な感情を抱いていたりする?」

「あー……」



 そんなわけがない。ツトムはヒーラーに対して並々ならぬ執着を持っている。男女の関係なんかに絆されて特別扱いすることなど有り得ないし、そもそもそんなことも有り得ない。。


 それなのに何故、迷っているような沈黙があるのか。そんな師の真意を確認するようにステファニーは顔を上げて縋るように努を見つめた。



「もし仮にそうだったとしても、関係ないでしょ?」



 努はそう言うと力が抜けたステファニーの手をそっと離させ、自身の服で汚れでも落とすように手を払った。一度は満たされたステファニーの頭から、緑の気が抜け落ちていく。それどころか抜け落ちてはいけないものまで流れ出ていく。



「つっ、ツトム、様? 嘘……。うそ、ですわよね?」

「でも実際、このヒールはゼノ工房に泊まり込みで作業してた時に、ユニスで実験して確立したやつだしねぇ」

「あくっ、悪魔ぁ……!!」



 その返しにステファニーは拒否反応を示したように動かなくなり、ラルケはそんな彼の仕打ちに目をかっぴらいて背に担いでいた大剣を抜いた。すると努の後ろに控えていたアーミラは好戦的な笑みを浮かべて前に出る。



「抜いたな? セーフポイントでもあるまいに」

「いくら刻印装備の恩があるとはいえ、ゆっ、許せない暴挙だっ!」

「落ち着きなよ、ラルケ」

「どの口がっ!?」



 人間の屑みたいな発言でステファニーを傷つけておいて何が落ち着けだと言い返そうとしたラルケに、アーミラが大剣を横合いから振り下げて鍔迫り合いに持ち込む。



「眠てぇ話を聞かされてダレてたところだ。死なねぇ程度に付き合えや」

「邪魔、するなぁ!!」



 そのままアーミラに押される形でその場を離脱していくラルケを見て、努は脅威が去って一安心したように息をつく。エイミーはその模擬戦を神の眼に映すために二人を追いかけた。


 その間に頭痛に悶えるように頭を押さえていたステファニーは、ゆらりと立ち上がる。



「ツトム様は、ヒーラーとして優秀な者と尊びます。あの駄狐じゃ、ない」

「うん? でもステファニーってさっき自分でも言ってたけど、僕が帰ってきてからはてんで駄目じゃん。ヒーラーとして本当に優秀って言えるの?」



 そんな努の最前線を改めて試すような問いに、ステファニーは異様なほど口角を吊り上げた。見つけた。師を取り戻す方法を。



「確かにそうですわね。でしたら帝階層で証明してみせます。貴方が尊ぶ本当の弟子の存在を」

「そう」

「それにツトム様。その台詞は貴方にも返ってきますわよ?」



 超えてはいけない一線を踏み外すようにステファニーは努へと近づき、湧き出てくる加害性をその目から涙として零す。



「刻印士として活動しここまで辿り着いた手腕はお見事ですが、果たしてヒーラーとして優秀と言い切れますか? キサラギにも刻印装備を渡していたそうですが、そのまま私だけに師事していた方が身のためでは? 今のツトム様は私の想う師、足り得るのですか?」

「さぁ、どうだろうね」

「あぁ、私としてはそれでも構いませんよ? その時は、私がツトム様を尊びます。先ほど私がして頂いたように、慈しみを以って包み込んで差し上げますわ」

「結構でーす」



 そう言って手を広げて抱きしめようとしてきたステファニーから、努はサッと離れる。そんな彼の釣れない態度にステファニーは蛙のような笑みを深めた。



「ふふっ。今はまだ逃げられるでしょうが、これから先、嫌というほど実力を見せつけてあげます。三年間、迷宮都市から離れたことを……そうだ、いっそのこと帰ってこなければと思ってしまわれるかもしれませんね? ですがもう絶対に逃がしません。逃がしませんからっ……!」



 そうと決まればここで話しているのも勿体ない。一刻も早く自分の実力を努に知らしめてやらねばとステファニーは嬉し涙を零しながらラルケを迎えに森の奥へと向かっていった。それにビットマンが続き、ポルクは豚のように鼻を鳴らした後に神の眼を連れて去っていく。


 そして誰の目にもつかなくなったところで努はため息をつき、ディニエルに視線を向けた。



「やってくれたね」

「また若木を折りたそうな顔をしてたから」

「そうだけどさぁ……色恋営業はいずれ刺されそうで怖いんだけど?」

「これ幸いと乗ってきたのはそっち。甘んじて受け入れるといい。あとエイミーにも謝れ」



 ステファニーを折る切っ掛けを作ってくれたディニエルであるが、努からすれば何を拗らせてくれたんだという気持ちもある。しかしこうでもしなければステファニーに火は付かない気もしたので責める気にもなれず、言われっぱなしになっていた。



「ディニエル……いつ、帰ってくるっすか?」

「…………」



 ただ無限の輪の中でも初期PTの思い入れもあってか特にディニエルが帰ってくることを待ち望んでいるハンナの唐突な問いに、彼女は虚を突かれて無言になった。それに努はこれ幸いと乗った。



「おい、答えてやれよー?」

「うるさい。……まぁ、ツトムがあのステファニーに喧嘩売ったし、考えとく」

「い、言ったっすね!? エルフに二言はないっすね!?」

「考えただけ、なんてつまらん言い訳は無しだぞ」

「わかってる。元々そういう契約だし、アルドレットクロウに話は通しておく。……だけど、ツトムはあのステファニーに勝てるの?」



 そんなディニエルの問いに、ハンナは期待感丸出しのキラキラした目で努を見上げた。ガルムも信頼するように努を見つめていたが、当の本人はそんな期待の眼差しに思わず吹き出しながら首を振る。



「いやー、それはわからないでしょ。まだ帝階層主も判明してないんだし」

「ちょっ、ちょーーい!! なら何でわざわざステファニー煽ったっすか!? あのままなでなでしとけば穏便に済んだじゃないっすか!! 今からやっぱりごめんって撫でてくるっす! そうすれば解決っす!」

「それでヒーラーとして勝ったは無理筋でしょ。実力で頑張るしかないんだよ。厳しい勝負でもね」

「帝階層が終わる頃にはどちらにせよ帰る。でも負けたら承知はしない」

「わかってるよ」



 ステファニーに負けた奴にやっぱり一流でしたと評価されても意味がない。そんなディニエルの要求に努は楽しげに答え、一軍PTの後を追った彼女を見送った。

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