第584話 輩の人
伝説的なドワーフに皮肉を零しつつ紅魔団とシルバービーストに納品する装備への刻印を済ませた努は、最後に精霊術士用の刻印装備だけ仕上げると筆を仕舞い油の蓋を閉めた。そんな帰る気満々の彼にアルドレット工房の女性職人が遠慮がちに尋ねる。
「あの……他の装備の刻印は――」
「事前の契約通り、あとはユニスに頼んで下さい。……フェーデには個人的に頼まれたのでしましたけど、アルドレット工房なんかに肩入れするつもりはないんで」
努は周囲に押し出されたような形で声をかけてきた彼女に軽い調子で返した後、その後ろに控えている壮年の男たちを虫の探索者でも見るような目で見下げてそう宣告した。
ただここで顔を真っ赤にして喚き散らすほど判断能力の衰えている者は既に閑職へ飛ばされたのか、アルドレット工房の者たちは黙って頭を下げるのみだった。
そんな覇気のない連中に努は鼻を鳴らして帰り支度を進めていると、紅魔団の工房からドワーフが剣呑な顔でずんずんと歩いてきた。身体の大きさこそツトムより小さいが、まるで岩から削り出したような肉体と堅気には見えない顔つきの男。
「紅魔団の装備に刻印を付与してくれたことは感謝する。だが、それはそれとして口の利き方には気を付けろよ、小僧」
本来の努なら自然と震え上がってしまいそうなドスの効いた声色と目つき。だがダンジョン脳に切り替わっている彼は物怖じした様子もなく答えた。
「あの、どちら様ですか? 名も腕もない輩に絡まれる暇はないんですけど」
「あ?」
「え、そんなに喧嘩腰ならやります? レベル168の僕に勝てるつもりなら受けて立ちますけど。弱い者いじめは好きじゃないんだけどなぁー」
「大好きそうなのです」
努はそう言って自身の身体に張られたバリアをこんこんと叩き、刻印の手を止めたユニスは呆れたような半目でぼやく。
単純な身体と度胸なら現代っ子の努に勝ち目などないが、ステータスとスキル込みなら戦いにもならない。ドワーフからすれば安全圏から自動照準付きの銃を突きつけられているようなものである。
その見た目にはよらない実力差についてはそのドワーフも理解はしている。だがここで退くようでは祖先に顔向けできないと並々ならぬ度胸で居座った。
「ユニスの嬢ちゃんはまだわかるが、てめぇにドワーフの装備を弄る資格はねぇ」
「あぁ、お互い両想いみたいで何よりですね。それじゃ、僕の刻印消しましょうか。こっちに戻してくださーい」
「…………」
納品が完了した刻印装備をマジックバッグに仕舞っていた見習いであろう職人に努が声を掛けると、その当人は困惑の瞳で伝説的なドワーフの右腕とも言える男に視線を向ける。
「僕は元々ユニスと職人たちから工房の面子を立てろどうこう言われてなかったら、初めから紅魔団のメンバーが引き当てたダンジョン産の装備に刻印する予定だったんだよ。これでヴァイスに直接交渉できる口実も出来たし丁度良いい。吐いた言葉には責任を持てよ?」
「……貴様こそ、ドワーフに喧嘩を売ってただで済むと思っているのか?」
「馬鹿は主語がデカいな。僕はドワーフじゃなくてお前らに喧嘩を売ってるんだよ。お前らより優秀なドワーフと一緒に装備作って、ヴァイスに譲ってやるよ。クランメンバーの命が狙われてる中、どっちの装備を着るか見ものだな?」
「…………」
「それじゃ、早くしてもらえます? 僕も暇じゃないんで」
こうなってはもはや取り付く島もなさそうな努の急かしに、ドワーフたちは沈黙するしかなかった。彼に装備を弄る資格がないことにはほぼ全員が同意しているところだが、帝都への遠征にはツトムの刻印装備が最善であることも理解していた。
しかしだからといって森の薬屋のエルフと並び立つ、生きる伝説ともいえる親方を愚弄されて黙っていることなど出来なかった。吐いた唾は吞めぬが、吐きかけるべき相手ではあった。そしてその責任を取るべく右腕のドワーフは自らマジックバッグの方へと向かう。
そんな努とドワーフを仲裁できるのはもう彼女しかいないのでは、とゼノ工房のノルグがユニスにお伺いを立てるような視線を送る。
「いや、もう知ったこっちゃないですよ? そんなに意地の張り合いしたきゃ好きにすればいいのです」
だがユニスは本当に馬鹿な男たちと言わんばかりの顔でそう言いつつ、言葉の最後には伝説的なドワーフを睨みつけていた。
「手を組むつもりがないなら初めから来るんじゃねぇですよ。刻印抜いたらさっさと出てけです」
先ほどの仲裁をも台無しにされて頭には来ていたのか、ユニスは男顔負けの剣呑な目つきで出口に目を向けた。そんな彼女に周囲は少し呆気に取られたものの、努はドワーフの持ってきた5着の刻印をわざと失敗しその能力を喪失させた。
「それじゃ、深淵階層ですら細切れにされるような装備の作成、頑張ってくださーい。僕は浮島階層以降も通用する刻印装備作っておくんで、隠居しておいた方がプライドも傷付かずに済みそうですけど」
「一生趣味で作ってろです」
そんな努の送り言葉とユニスの実力行使で叩き出すぞと言わんばかりの圧力と共に、紅魔団の職人たちはゼノ工房から締め出された。
すると彼女は次の獲物でも狙わんばかりにアルドレット工房に目を向けた。そして自身で刻印した杖を竹刀のように肩へかける。
「で? さっきから黙って聞いてたですが、そっちはツトムに謝罪の一言もなしですか? 今まで散々嫌がらせして、オルファンまで送り付けたくせして何だんまり決め込んでるのです」
「……オルファンをけしかけたという事実はありません」
「だったら何でアルドレット工房は人員が一新されてるのです? 私はちゃんと進言したですよね? ツトムに直接詫びろと。言い訳だけはすらすら出てくるですね」
「いや、まぁ、この人たちが僕にどうこうしようとしたわけじゃないんでしょ。一新されたって言ってたし」
自分と違い先ほどから妙な迫力のあるユニスに努は軽く引きながらも、何故かアルドレット工房を擁護する側に回らされた。
「アルドレット工房に居座ってるくせに過去の罪を見ない振りするからおかしいのです。先代のやらかしを帳消しにして美味しいとこ取りなんて出来るわけないのです。まともな謝罪も出来ないような工房と取引するつもりは私もないのですが?」
「……も、申し訳」
「だからって今更謝られてもね。僕としてもしばらく許す気はないし。とはいえこの人たちもアルドレット工房として謝れない事情とかありそうだし、責める気はないよ」
「というか、オルファンを送りつけといてよくそんな舐めた態度が取れるですね。暴力には暴力を返されても、文句を言えないとは思わないです?」
高校生になってからは喧嘩もしたことがない努と違い、ユニスは人殺しが容認される帝都のダンジョンで数年過ごし対人経験も積んできた。そんな彼女の脅しはその可愛らしい見た目とは裏腹に妙な生々しさがあり、職人たちはその殺気に当てられ身体を震わせていた。
そして努はその殺気こそわからなかったが先ほどからアーミラみたいに剣呑だなと思いつつ、隣で杖を握る彼女をおずおずと言った様子で覗き込む。
「えっと……輩の人?」
「やからの人ってなんなのです?」
「カミーユみたいな人って意味だよ」
「……んぅ? 中々言ってくれるですね」
努からすればそれは手慣れたヤクザみたいですねと言っているようなものだったが、ユニスは違う解釈で受け取ったのか嬉しそうな笑みを何とか堪えていた。
ただそんなカミーユばりの脅しはアルドレット工房にも効いたのか、その後の謝罪と共に態度は矯正されていた。
そして地獄のような空気のまま刻印が済んでゼノ工房の者たちだけになると、努はエキノコックスを持った狐でも見るような目でユニスを見下ろす。
「こわー」
「ツトムが甘すぎるだけなのです。こういう時はガルムやリーレイアでも控えさせた方が舐められなくていいですよ? ……ほら、そういう奴なのですし」
言外に異世界の平和な育ちなんだからと付け加えたユニスに、努はお前が言うなといった顔をした。
「僕もヒーラーの弟子に来た時は口の利き方に気を付けろよ、小娘くらいには思ってたけどね。その後まともな謝罪をしてもらった記憶もないな」
「まぁ、いいじゃないのです」
「よくそんな舐めた態度取れるですね」
「うるさいのです……」
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