第570話 いいよ
「しょうもないですわね」
一軍のマネージャーから急遽として165階層の攻略を毒殺に切り替えることを食堂で知らされたステファニーは、うんざりしたように呟いた。そんな彼女の言葉にマネージャーの顔は驚いたように固まり、その会話が漏れないよう急いで席の周りにバリアを展開する。
そしてマネージャーがその発言の真意を探るようにステファニーを見やると、彼女はにっこりと笑った。
「2PTでの探索を強制されたかと思えば、今度は毒殺ですか。そこまで振り回される謂れはありませんわね」
ここ二週間ステファニーたちは神のダンジョンに挑む際、毎回二軍PTでの合同練習をするため七面倒臭いダンジョン内での合流をさせられていた。今となっては浮島階層に潜るPTが100を超えている中、更に観衆の見やすいゴールデンタイムで行われるその厳選作業は虚無そのものだ。
その時間を短縮するために探索者が少ない深夜を主に2PT練習を行うことになったが、観衆の多い夕方から夜にかけての活動を外すこともスポンサーの関係からして出来ない。なので必然的に深夜3時ほどまでぶっ続けで探索活動を行い、そこから帰って昼過ぎまで寝る生活習慣にならざるを得ない。
そんな状況もあってか笑顔が怖いステファニーを横目に、ディニエルは欠伸を噛み殺す。
「このまま夜番みたいなこと続けるくらいなら毒殺でもいいけど。毒の準備は?」
「勿論、準備はこちらで既に整えています」
ユニスの刻印無双の様子を神台で見ていた情報員たちは、彼女が使わずとも準備はしていた毒ポーションを見つけてからの行動は早かった。探索者や迷宮マニアなどが騒ぐまでに情報を精査して仕入れの契約を始め、高騰や品切れを起こすほど目星のつけた毒ポーション数種を確保した。
今までの神のダンジョンにおいて毒は幾度か試されてはいたものの、有効な手立てには成り得なかったというのが共通認識だ。ただ高火力で押し切るしかないとされていたシェルクラブは、巣にある回復魚に沼階層の素材で調合した毒を仕込むことでどんなPTでもその討伐は容易になったケースもあった。
しかしそれでも火竜やウルフォディアなどの明確な壁にはまるで効果がなかったことからして、神のダンジョンをよく知る者ほど毒物の有効性には疑問を持ってしまうことが多い。
だがここ数年で発展してきたアルドレットクロウは、大手クランの中でも一番の影響力を持っている自負があった。ステファニーを筆頭にした迷宮都市のスターを持ち、粒揃いの探索者にそれを下支えする軍ごとのマネージャー、情報員、各分野の職人たちが一堂に会しているクランなど他にない。
その影響力は迷宮都市を飛び越えて王都でも一目置かれるほどだった。そんなアルドレットクロウの名は迷宮都市内においてはもはや印籠のようなものであり、ギルド、大手企業、警備団、バーベンベルク家などとも対等な立場で交渉できるほどだ。
「アルドレットクロウとしても、このまま一番台を譲るわけにはいけませんから」
そんなアルドレットクロウが、今やシルバービーストなんかに一番台を取られる有様だ。刻印装備という一手をしくじったにせよ、一番台を奪われている状況を看過することは出来ない。その大手クランとしての威信を賭け、アルドレットクロウの裏方たちは一番台奪還に向けて死に物狂いで取り組んでいた。
「その気概は結構なことですわね。私としても権威にかまけてふんぞり返っていたアルドレットクロウがようやく変わってきたことを嬉しく思います」
毒ポーションの大量確保とその所持と使用が迷宮都市で問題にならないかを数日で調整したからか、マネージャーの目も少し血走っている。そんな彼女の働きをステファニーは褒めた上で、いち早く席を立つ。
「ですが、女狐の後追いなど趣味ではありませんので」
「……ステファニーは、それでも勝てるのならその趣味を捨てる人です」
「それしかないのであれば捨てますが、今回はそういうわけでもありませんしね」
そう言うとステファニーは席の周りを囲んだバリアをコンコンと指で叩く。
「開けて下さいます?」
「……この後、どうするおつもりで?」
「そうですわね。165階層で適当に当たったPTとでも協力してさっさと突破してしまいましょうか。2PTで挑もうとしているところがほとんどですし、どうにかなるでしょう」
「…………」
情報員の仕入れた情報によればミミックに毒が有効であることは既に検証され、確実なものとなっている。だからこそアルドレットクロウは毒ポーションをいち早く買い占めて他の探索者の攻略を遅らせることで、一番台の奪還がより確実になるよう盤面を築いていた。
それに2PTで突破したとしても、そのどちらも突破できるかは不明なままだ。そうなった場合にどちらが先に黒門を潜るかでトラブルが起きることは必至であり、それによるイメージダウンも懸念される。だからこそ今まで二軍と合同探索をしていたのだ。
そんなリスクが瞬時に頭の中を巡り沈黙を返すしかなかったマネージャーに、ステファニーは演技のように大袈裟なため息をつく。
そして彼女は白いふんわりとしたドレスの端を手でつまんで少したくし上げ、張られていたバリアを前蹴りで蹴破った。
そのガラスが割れたような音に比較的近くに座っていた周囲のPTはギョッとしたように振り返り、話し声も消えて食堂が静まり返る。
「さっ、行きますわよ! いつまでも女狐風情に負けるわけには参りません!! ちんたら攻略するのはここまでです!!」
「元気な子」
「ふん」
張り詰めた空気すらぶち破るような荒々しい言葉を放つステファニーに、ディニエルと付与術士のポルクが続く。刻印装備持ちのアタッカーはステファニーとマネージャーをどっちの味方をすればいいのかとあたふたしていたが、最後にはビットマンに連れられて後に続いた。
「……マネージャーには素直に話す選択肢もあったんじゃないか?」
後からステファニーに追い付いたビットマンは、食堂を出た途端にその怒気を霧散させた彼女に尋ねた。
「半分以上は本心ですよ? ユニスの後追いなんて、本当に真っ平ごめんですわ」
「俺も非生産的な活動にはうんざりしてきた頃だった。ステファニーが爆発してなければ俺が抜けてる頃合いだ」
「またポルクに里帰りされては困りますからね。マネージャーもその意を汲み取ってはくれるでしょう」
「…………」
里帰りという言葉を聞いたディニエルは、ポルクのぽっこりと出た腹を見つめて何処か納得したように頷いた。それに彼は長年つきすぎたせいか触っても硬い脂肪を撫でるに留めた。
――▽▽――
「ねぇ、どうするのリーダー? リーレイアのPT戦法パクる? それとも毒殺かにゃ?」
エイミーはあの努と模擬戦で引き分けたと散々言われた腹いせか、まだPTリーダーの立場に慣れていないアーミラを煽るように選択肢を突きつけていた。それをコリナとゼノは苦笑いで見守り、ハンナは普段より騒がしいギルドに感化され一人お祭り気分である。
ユニスたちが飛行船刻印で165階層を突破し、アルドレットクロウは2PTで、リーレイアPTは独自の戦法で翌日には攻略する気配がある。
そんな中ミミックに毒が有効という噂がまことしやかに広がり、探索者の話題はそれで持ち切りになっていた。なのでアーミラPTも一先ず夜まで状況の把握に努め、探索活動を控えていた。
だがその間にリーレイアPTへ提案した共同探索をにべもなく断られ、かといって何か斬新な突破法が浮かんでもいないアーミラは首筋の赤鱗を掻きながらコリナを見やる。
「……毒ってのは、今から揃えられるもんなのか? コリナ」
「んー。これだけ騒ぎになってると難しいんじゃないですかね。この様子だと同じことを考えてる人ばかりでしょうし」
「その通り! それに妻から聞く限りここ数日は手に入れることすら困難らしいぞ!」
「……じゃあ、今まで通り2PTでいくしかねぇんじゃねぇの」
「そーっすね」
「へー、そっかー。ふーん」
そんなアーミラの消去法での選択に、ハンナだけがわけもわからず同意した。そしてエイミーは何処か失望したような様子で相槌を打つ。
「…………」
アーミラはまだ初心者だった頃に設立したクランが崩壊した経験があるため、自分にリーダーとしての資質はないと思っている。そんな自意識がある中でエイミーからつつかれるのは思いのほか効くのか、ここ最近は言い返すことも出来ず押し黙ることが多かった。
「そろそろ慎みたまえよ。もう恨みは十分返しただろう?」
「……しょうがないにゃあ」
無限の輪最弱の努に!? 引き分け!? と散々煽られピキピキ状態だったエイミーは、彼が聞けば大興奮間違いなしの台詞と共にアーミラを精神的にいたぶるのを渋々とやめた。実際のところPTとしての成果もそれほど上がっていないこともあり、リーダーの彼女は本格的に落ち込んできている。
「ま、毒ポーションに惹かれるようなPTは、元々2PTに自信のない人たちでしょ? 今潜るようなPTは自信ありのPTなんだし、勝率は上がったって考えることも出来るよね」
「その通り! 私たちも165階層は苦手なわけではない。そんなPT同士なら突破も不可能ではないだろう!」
ウルフォディアと同様に打撃はある程度通る巨大ミミックにおいて、アーミラの神龍化は有効打になり得る。それにコリナの殴打とハンナの魔流の拳も馬鹿にならないので、強化を重ねて耐久性を高めた飛行船ならば2PTなら突破できる可能性は高い。
「黒門どっちが先に潜るのか問題は残りますけど……」
「多分、それは代表の模擬戦で決まる流れになりそうだしね、コリナよろしく」
「えぇ!? 嫌ですぅ!! プレッシャーには弱いんですよぉ!!」
「……じゃあアーミラに任せるぅ? もし負けでもしたらポッキリ折れちゃいそうだけど」
ひそひそ声でアーミラには聞こえないように意地悪く問いかけてくるエイミーに、コリナは信じられないと言わんばかりに目を見開く。そんな彼女の顔にエイミーはにししと笑った。
「ま、相手によるけどね。それこそハンナに任せたら大抵は大丈夫でしょ」
「ですよね! 私も魔流の拳ありだと大分しんどいですし」
「それこそツトムより初見殺しみたいなもんだしね」
「ふっふっふ。ありなら負ける気しないっすよ~」
下手をすればジョブのスキルよりも数多い種類の魔流の拳を会得しているハンナは、対人戦において初見殺しの宝庫のような存在だ。そんな彼女相手に勝てそうな探索者など片手で数えられる程度しかいないだろう。
「それじゃ、いい時間になったら挑戦しにいく感じでいいかな。リーダー?」
「…………」
「えー?」
努との模擬戦について言及してから十日ほどはお局にガン詰めされた気分だったアーミラは、帝都のドロドロ女社会で揉まれてきたエイミーを末恐ろしそうな目で見ていた。
「……じゃ、行くか」
そして対ミミックの毒物が判明したことで探索を控えているPTを横目に、アーミラたちは観衆が最も多くなりやすい19時を狙って165階層へと転移した。
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