第568話 脛の傷

 ほぼ完成したギルド第二支部が円滑に機能するかの最終確認として、ランダムに選ばれた探索者の受け入れを開始した。その忖度なしの抽選に外れ席が半分も空いているギルド本部で昼休憩に入っていた努たちPTは、何処となく沈んだ様子で昼食を食べながら二番台を視聴していた。



「もうツトムが刻印すればいいんじゃないですか?」



 サンドイッチ片手に半ば投げやりな様子で言ったリーレイアの見る二番台には、現状で出来る最大強化の飛行船に巨大な刻印を施し、その砲撃で巨大ミミックを一方的に吹っ飛ばし高笑いしているユニスが映っている。



「なら僕もあんな風にはやし立てて欲しいもんだね」



 そんなユニスの周りには巨大ミミック対策で用意していた毒ポーションを放り出し、流石ですと言わんばかりに尻尾をぶんぶん振っている獣人たちがいる。その中でも元アイドルグループに属していただけあってか一際垢抜けている犬人を眺めながら、努は羨ましそうに呟いた。



「だそうですよ」

「…………」

「……うむ」

「……すごーい?」




 リーレイアからの雑なフリに男性陣がだんまりを決め込んでいる中、ソニアは取り繕うようにバネのような尻尾を弾ませ毒にも薬にもならなそうな賞賛を送った。


 そんな扱いに努がこれだから人間はと言わんばかりに首へ巻きついていたサラマンダーに魔石をあげていると、彼女は困ったようにねずみ耳を畳む。



「いや、実際のところ本当に凄いんだけどね。でもツトムって刻印のことひけらかさないじゃん。むしろ何処か冷めてるっていうか」

「今はまだ先行者利益でがっぽがっぽだけど、そう遠くない内に終わるしね。刻印ばかりにかまけてると探索者として厳しくなるのは明白だよ」

「……あの様子じゃそのまま突っ走りそうだけど、止めてあげたりは?」

「あの調子なら少しは一番台映れるだろうし、成果としては上々じゃない? 僕は絶対真似したくないけど」



 飛行船に近づけもせず吹き飛ばされている巨大ミミックを見るに、恐らくユニスPTはこのまま165階層を突破するだろう。現状では最速の突破となるため一番台に躍り出る形となり、スポンサー利益はうなぎ登り間違いなしだ。


 アルドレットクロウの一軍も既に飛行船の最大強化は済ませ、165階層に挑む準備は済んでいる。ただ飛行船を最大強化するために二週間近く宝物集めに勤しんだ後で、すぐに二軍PTと合流してサクッと突破、というわけにもいかない。


 もし165階層で巨大ミミックの撃退に失敗してしまえば、飛行船の状態はリセットされ再び宝物集めをしなければならない。最大手であるアルドレットクロウがそんな見え透いた失敗を犯すわけにはいけないため、一軍と二軍は綿密なPT合わせを行い万全の状態で巨大ミミック討伐を目指している。


 その点シルバービーストの三軍であるユニスたちはそこまでの責任がない。それに経験値UP(中)の刻印を完成させるため生活資金に困るくらいの馬鹿げた賭けを厭わないユニスは、今回も165階層の攻略失敗で起こる損失を考慮せず挑んだ。



(あの刻印だけでも赤字だろうに、よくあんな量の毒まで仕入れたな。レベル60の刻印士じゃなきゃ絶対破産してるだろ)



 飛行船の強化に必要な宝物集めにかかる探索者5人分の時間と、あれほど巨大な飛行船に刻印するために必要な刻印油。もし攻略に失敗すれば多くの時間と金の両方が消し飛ぶことになるが、結果としてはギルドの探索者たちが度肝を抜いているほど有効だった。



「にしても、毒ポーションはちょっとアリかもね。スキルの状態異常は効かないけど、物理的な毒は有効だったり?」

「あるかもね。パラライズ効かないから無理だと思ってたけど」

「とはいえ、神のダンジョンのモンスターに毒が効いた事例が少ないからな。それにあの巨体ともなれば毒の巡りも遅いだろう」



 古参探索者であるガルムの言う通り、神のダンジョンのモンスターは外よりも異様に毒の耐性が高い。特に沼階層からはそれが顕著であり、それ以降のモンスターは外のダンジョンから持ち込んだ猛毒のキノコを食べてもピンピンしている姿が幾度と確認されている。


 それこそ火竜やウルフォディアで長いこと環境が停滞していた時期には、選択肢の一つとして毒が有効的であるかは検証されていた。だがそのどちらにおいても有効的ではない割に検証のための金だけが飛んでいったため、神のダンジョンにおける毒物は価値がないと認定されていた。


 ただどのモンスターも一切毒が効かないかといえば、そういうわけでもない。それこそユニスは血を操る爛れ古龍に対して蛇毒を投げつけることで血を凝固させ、その操作の妨害に成功していた。



「ただあれだけの毒を仕入れるとなると、薬師の認可はいるだろうね。神のダンジョンで使うとはいえ、それで万が一流失でもすれば大事だろうし」



 迷宮都市における毒物の扱いは大抵の状態異常が治せるメディックがあることで現代よりも緩いとはいえ、その取扱量があまりにも多い場合は警備団に咎められる場合がある。


 それなら先日適当に森の薬屋に訪ねなければ良かったと努がとほほといった顔をしていると、リーレイアは自身の身に着けている刻印装備を見やる。



「割に合うのかも大事ですね、探索者の命は無料ですが、備品は違いますし」

「でも毒の匂い嗅ぐ機会なんて早々なさそうだし、ちょっと興味あるかも。一部の毒草とかはスパイスにも使われてるし」

「自分で薬師になって好きにすればいいかと」

「仕事の内で試すのが一番いい! 森の薬屋の毒ポーションなんて凄そうだし、経費になる!」



 いくら匂いフェチとはいっても自分の好みから外れるかもしれない匂いに自腹を持ちたくはないのか、ソニアは何故か誇らしげにない胸を張った。そんな彼女からリーレイアは視線を外し、ご満悦なサラマンダーをマフラーにしている努を見つめる。



「それにいくら無料とはいえ、何処かが突破したとなれば作戦変更も視野に入ります。飛行船の刻印も候補に入れつつ、毒の検証も済ませておきましょうか」

「飛行船の刻印はまだしも、毒の検証なんてすぐ出来そうだしね。その判断は任せるよ」



 そんな努の気楽そうな返しに、ダリルは複雑そうな顔のまま二番台を見上げる。



「でもどうせなら従来通りの作戦で突破したいですよね。……じゃないと僕の今までの苦労は何だったんだって感じですし」

「よっ、縁の下の力持ち!」

「前回の反省を鑑みれば、あとは船の強化具合でどうにかなりそうではある、……まぁ、あの様子だとツトムが刻印してしまった方が手っ取り早いのかもしれないが」

「そんなぁ」



 ここ二週間はガルムの訓練なり巨大ミミックの攻略で何かと酷い目に遭うことが多かったダリルは、しょんぼりした様子で呟く。そんなあざとさが鼻についたのかリーレイアはじろりと彼を睨む。



「泣き言を言えるとは随分と余裕が出てきましたね。忠義のない出戻りわんちゃんが」

「……す、すみません」



 彼女にそう指摘されると、ダリルは一転して申し訳なさそうに眉を下げた。すると努はにこにこと笑みを浮かべてリーレイアに向き直る。



「そういうリーレイアはさぞ高尚な理由で無限の輪に志願して、清廉潔白に尽くしてきたんだろうね」

「……ダリルと一緒にされるのは心外ですが」

「もう話がついたことをねちねち言う輩もそう変わらないと思うけどね。過去のことをずっと引き合いに出してダリルを恐縮させて満足か? お前だって脛に傷はある方だろ」



 ここ最近は何かとダリルに当たりが激しかったリーレイアに努が牽制するように言うと、彼女は理解したように何度も頷いた。



「……脛に傷がある同士、次回の対人戦が楽しみですね」

「そうだね。今度は本気で精霊にお願いでもしてみるよ。んーこちょこちょー」



 サラマンダーのつるりとした白い腹を指先でこしょこしょしながらふざけるように答えた努に、彼女は心底嫌そうな顔で精霊契約を解除しようとした。だがそれでも火蜥蜴は消えないまま努のくすぐりに悶えている。



「リーレイア、ツトムにはよくもまぁー怒るよね」

「一種の甘えに近いものだろう。何かと気を張っているからな」

「…………」



 そんな様子を何てことなさげに観察しながら話していたガルムとソニアを、リーレイアは神妙な顔で見返す。



「ま、第二支部のクジ外したことについては僕も恨んでるよ。使えない奴だなお前」

「……ツ、ツトムさん?」



 そして先ほどの擁護とは打って変わって辛辣な物言いをぶつけてきた努を、ダリルは涙目のまま顔面にボールでも当てられたような顔で見返した。

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