第567話 不思議っ子

「酷い面だね。愛犬に手でも噛まれたかい?」



 最近は一ヶ月周期でポーション作りに使う深海階層の水魔石をこさえてやってくる若い人間の男が、珍しく三日もしない内に再訪してきた。そんな彼に森の薬屋の店主は思わずそう尋ねた。



「最近は毒蛇にも噛まれて大変なんですよ」

「牙は引っ込めてるみたいだから、毒の心配はなさそうで何よりさね」

「あれで牙を引っ込めてるとか信じられないんですけど?」



 エイミーとの一戦から二週間ほど経った現在、努は浮島階層で飛行船の強化をしつつ慣れない模擬戦をこなしていた。ただ最近は相手を後回しにしていたリーレイアにボコボコにされ、訓練中はダリルに親から優遇されている弟でも見るような目で見られるのでここへ逃げ込んでいた。



「次に来るのは大きな宝箱を開けた後だと思ってたんだけどねぇ」

「近いうちに何処かしらが突破しますよ」



 その第一候補がアルドレットクロウの一軍と二軍だ。飛行船の強化を進めつつ刻印装備を着た者も混じった2PTで巨大ミミック討伐を目指す王道方針。金色の調べや紅魔団もそれに続く構えである。


 対して無限の輪はその王道方針も検討はしつつ、迷宮マニアのピコと協議しながら巨大ミミックを独自の攻略法で突破しようとしていた。それにシルバービーストと努信者の集う中堅クランも同じような方向性である。



「なら頑張り屋の狐嬢ちゃんが報われて欲しいもんだ」

「……まぁ、そうなる可能性も普通にありますね。飛行船刻印も完成したみたいですし」



 この二週間の間にユニスは巨大な飛行船にPT総がかりで刻印を施し、ミミックすら魔力砲で遥か彼方に吹っ飛ばして無双する姿を神台で見せている。


 ユニスが試作的に施したのは複数のステータスUP向上の刻印だけだが、それだけでも飛行船の能力は目に見えて上がった。それに宝物の納品による飛行船の強化によって基本スペックは上昇し、魔力砲以外の追加設備にも刻印効果は乗るため170階層での活躍も見込まれている。



「それならツトムも真似すればいいんじゃないかって思っちまうもんだけど、駄目なのかい?」

「駄目ってわけでもないんですけど、僕は色々と加味してやらないですね」



 努も浮島階層に潜ってから船長骸骨には色々と質問して可能性は探っていたが、飛行船への刻印に関しては一種の罠のように感じていた。刻印自体は可能だが弱体刻印を施すことが禁止されているのが、努からすれば裏切りフラグのように見えてしまう。


 恐らくそれで巨大ミミックは突破できるのだろうが、未知の170階層で不安の種を残すことになる、仮に船長骸骨の裏切りがあるとすれば刻印によって強化された状態で戦う羽目になり、弱体どころか打ち消しも出来るかわからない。


 そんな詰み状態になりかねない攻略法に首を突っ込むつもりはないし、刻印士の地位を向上させるために探索者をしているわけでもない。


 それにこれもあくまで『ライブダンジョン!』を筆頭にしたゲーム文化に触れてきた努の偏見も入った予想であるため、絶対にやめとけと断言できるほどでもない。なので努はチラチラと様子を窺ってくるユニスを肯定もしなければ否定もしない曖昧な態度で接していた。



「そうかい。弟子に余計な世話を焼かないのはいいけどね、それであの子が自信をなくして薬師になっても返してやらないよ?」



 ユニスは元々帝都に住まうエルフにポーション作りを教わっていたこともあり、薬師としての才は森の薬屋でも見込まれている。それに腹を空かせた子供のように知識と経験を吸収していく彼女がここに訪れるのも、最近のささやかな楽しみの一つでもあった。


 そんなお婆さんの魔女みたいな笑みを浮かべての問いに、努は澄ました顔で答える。



「別にいいですよ。どうせ薬師になったとしてもまたあっちこっちに手を出して、いずれは戻ってきそうですし」

「難儀なこったね。もう迷宮都市に根を張る気にはなったみたいだし、女の子には優しくしときなよ」



 その物言いに努は痛い腹でも探られたように眉をひそめた。



「帝都行ってもいいんですけどね」

「そうかい? まぁ一回くらい行ってみるのもいいだろうけどね」

「それに根を張るにしても探索者と生涯を共にしようとは思いませんよ」

「ならカミーユとかかい? 最近随分と入れ込んでるみたいじゃないか」



 ギルド第二支部の完成も間近となった現在、バーベンベルク家が打ち出した魔貨の流通も探索者の間では流行り始めていた。努製の刻印装備の購入を魔貨限定にすることでその一助を担っている彼は、げんなりとした顔で呟く。



「ギルド長の夫とか荷が重すぎません?」

「それこそツトムくらいの男じゃないと背負えないだろうし、引き受けてやりな」

「……ほら、僕は探索者として最前線に返り咲いてディニエルを連れ戻さないといけないんで」

「それこそ根が張りづらくなるよ。ツトムが折ったとはいえ、あれはまだ世界を見て回る年齢さね」

「いーやわかりませんよ」

「そんなに言うなら仲立ちしようかね?」

「冗談なので本気にしないでくださーい」



 ハーフエルフのルークが存在していることからして人間がエルフの伴侶になれないこともないが、かなり珍しい事例であることは確かだ。それにエルフの結婚適齢期は200歳前後のため、ディニエルがその気になる可能性は薄い。



「でももし結婚したら最前線の探索者は厳しくないですか?」

「銀髪の人は根を張ってなかったかい?」

「まぁ、うちはガルムとかダリルはまだ独身ですから」

「どうせなら早めに済ましちまうのがおすすめだよ。丸っきり人間と同じってわけでもないけど、エルフの遅産はそりゃあまぁ大変そうだった。あ、早産は悪い結果になることは少ないから大丈夫さね」

「……いや、ないですよ?」

「今度会った時にでも伝えとくよ。さっ、今日はもう仕込みをしなきゃいけないんだ。帰った帰った」



 普段と違って何処かよそよそしいお婆さんに、努はがっくりと肩を落とす。



「僕の憩いの場が……」

「わたしも弟子には厳しい方さね。そんなに甘えたいならギルド長室でも訪ねるといいさ」

「お婆さんくらいの関係値が丁度良いんですよ。利害関係があんまりないですし、かといってそこまで気を遣うわけでもない。……三年空けても怒られませんし」

「それでも怒るエルフの恨みは相当なもんだから、気を付けるこったね。……これ以上居座るようなら本当に言いつけてやるよ」

「それじゃ、また一ヶ月後―」



 そう言うや否や努は瞬く間に退散していった。そんな彼にお婆さんは困ったようにため息をつき、直弟子であるエルフの女性はポーション作りの再開準備を終えてカウンターの奥から出てくる。



「普段もあのように寛大な心で対応してくれると助かるのですが」

「やかましい。さっさと始めるよ」



 調合中に事前連絡もなしで会いに来た相手に対しあの程度の態度で済ますのなら、彼と同じように訪ねてきた貴族やエルフの長老たちを大目玉で追い返していたのは何だったのか。


 そんな弟子からの苦言をお婆さんは鼻を鳴らして制すと、ポーション作りを再開した。

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