第559話 誓いの定義
「これだけ選り取り見取りだというのに、随分と小さな神台に夢中なようだな?」
ギルド第二支部に入るや否やアルドレットクロウの二軍が映る下位台にずっと張り付いていた努に、ギルド長のカミーユは困った学童でも見るような顔で歩み寄る。一緒の席にいたコリナはおっかない先生でもやり過ごすように影を薄くし、息を潜めて食事を続けている。
「下位台に人気のあるPTが映ってると、逆に視聴できないってパターンが多いですからね。それに、ここの神台なら他と違って顔の毛穴まで見えそうですし。セレン、行けー」
「気に入ってもらえたのなら良かったよ」
親の買ったPCに付属していた古いモニターから、ゲーミングモニターに買い替えたかのような解像度の鮮明さとぬるぬる感。第二支部にある神台はそんな違いを感じるほど高品質であり、努だけでなくクランメンバーもそれについては言及していた。
「びっくりしすぎて思わず見入っちゃいましたよ。これに見慣れるとギルドの神台が物足りなくなりそうですし、目が肥えない内に帰ろうかな」
「あと数時間は無限の輪の貸し切りだから、それまで好きに過ごしてくれたまえ。それに、以前はクランハウスで話せなかったこともあるし、なぁ?」
胡散臭げな顔をしている努に構わず、カミーユは意味深な笑みを浮かべながら正面の席に陣取った。その間にちょこちょこと距離を離して席を離脱しようとしていたコリナの袖を、努は逃がさないよう指でつまんでみた。
すると彼女は餌でも取られたハムスターのようにギョッとした後、ぷるぷると震えながら二人の間で視線を彷徨わせた。
「は、離してくださぁい……」
「僕もギルド長とサシで突っ込んだ話はしたくないし、取り敢えずいるだけいてくれない?」
「何も取って喰うわけじゃない。そう怖がらないでくれよ。悪い話ではないと思うぞ?」
見惚れてしまうような美しさがありながらも親しみすら感じられる笑みを浮かべるカミーユに、努はため息をつきながら今も内装工事を進めている業者の人たちを眺める。アルドレットクロウの大手スポンサーであるネオン建設という大企業が携わっているだけあって、その規模や仕事への気概も並々ならないものが垣間見えた。
「いや、こんな大規模の第二支部が完成間近なのもそうですけど、神台一つとってもおかしいでしょ。神台作る魔道具、新しいのでも発見されたんですか?」
「企業秘密だ」
「そうですか」
迷宮都市において絶大な力を持つことが明らかである、神台を生み出す魔道具。今までギルドが独占していたであろうそれは、一体誰が手に入れてどのような経路でギルドへと渡ったのか。
その魔道具自体は神のダンジョンで手に入れる他ないのだろうが、そんな情報は神台に張り付いている迷宮マニアが真っ先に掴むはずだ。だがその情報は努も知りはしなかったし、ギルドに融資していた他のクランメンバーも知らない情報統制ぶりだった。
そんな代物をギルド職員がたまたま掴めたとは思えないし、何処かの幸運者が拾ったのなら情報は自ずと漏れてしまうだろう。精霊術士の専用アイテムである霊玉ですらあの騒ぎだったので、統制が取れているクランがそれを手に入れたことは推察できる。
「……この神台を生み出せる魔道具の入手には、ギルドでもさぞ苦労したんでしょうね」
そして最近になってギルドが総出で新通貨の魔貨を推しているのは何故なのか。やたら画質の良い神台を見ながら推察はしていた努がそう言うと、カミーユは机に肘を立てて組んでいた手を解いた。
「ギルドが無理を通したのは推察の通りだ。探索者に直接融資を頼み込むくらいにはな」
「とはいえお金に困ってるわけじゃないでしょう。アルドレットクロウにバーベンベルク家とも協力してるんでしょうし」
「さてな。金はあるに越したことはない」
「……あー、もしかしてロイドとスパーダに上手く丸め込まれでもしました? それで探索者相手に小銭拾いしなきゃならないとか。だとしたらご愁傷様ですね。ちょっと恵んであげましょうか?」
「……はっはっは。本当にそう思うか?」
カミーユはまだ笑顔を維持しながらも、その目は爬虫類のような
「でもそうじゃないとわざわざ僕に声を掛ける必要性もないですよね? さっきからこちらの様子を窺ってた感じからして、ただの世間話ってわけでもなさそうですし」
「探索者からの融資はギルドからすれば特段必要なわけでもない。第二支部の宣伝と、魔貨の流通を兼ねている」
突然魔貨なる新通貨が発行されたところで、それを使える場所がなければただの加工された魔石でしかない。そんな石ころの価値は迷宮都市を治めるバーベンベルク家が保証し、それを扱える場所としてギルドが率先して魔貨の利用を取り入れている。
ただ神のダンジョンで得られたドロップ品や魔石をいきなり魔貨での買い取りに限定しようものなら、探索者からそっぽを向かれることは間違いない。Gの素材である金の不足が懸念されているとはいえ、まだその価値が高騰しすぎるなどの問題が実際に起きているわけではないからだ。
なのでまずは探索者の中でも特別なお客様限定でギルド第二支部の融資を持ち掛け、魔貨の価値を教え込むことからギルドは始めていた。探索者も資産の大部分を預けているギルドへの信用は高いので、多少の胡散臭さは気にしない。
それに加えてGと魔貨の為替相場も初めはかなり良くしているため、探索者は魔貨に替えるほど名目の資産自体は増えていく。そしてその魔貨はギルドで扱えるため、場所の限定こそされるが使いどころには困らない。
「最近、魔貨でのギルド買い取りもちょこちょこと見かけるようになりましたもんね。コリナも見たことある?」
「……えっ? あっ、まぁ……食堂の券売機も魔貨用のやつ最近出来ましたよね。あっちは空いてること多いんで楽なんですよね。おかわり券も付きますし」
ギルドでなら魔貨を使っても問題ないしむしろ儲かるという成功体験を探索者に積ませ、通貨としての信用を高めていく。密かな融資から始まったそれは今となってはドロップ品の買い取りや食堂の支払いにも徐々に浸透し、ギルド内で扱える通貨としての信用だけなら確立しつつある。
「ギルドから魔貨の流通が始まっていずれは迷宮都市内の何処でも使えるように広がっていく、なんて未来もあるかもしれませんね。バーベンベルク家が弱体化した分、魔貨の命運はギルドに掛かってそうですけど」
それこそ一昔前ならばバーベンベルク家が新たな通貨を発行しその価値を保証すれば、迷宮都市の基軸通貨は魔貨に置き換わったかもしれない。だが探索者の台頭とスタンピードでの失態により、貴族社会は幕を下ろし民への影響力は薄れている。
そんな貴族の代わりに台頭してきた探索者の影響力は神台のおかげもあって強く、ギルドへの信頼も厚い。衣食住だけでも結構な金を使うのでそれだけで魔貨の流通には事欠かないが、探索に必要な装備や道具には金の糸目をつけない。
「そのためにも、ツトムの助力があると大変助かるのだが」
「刻印装備、魔貨での取引限定で販売とかしたら探索者間の流通は加速しそうですよね。今のところやる予定はないですけど」
「……しまったな。いつものように搦め手を使えばどうにかなると思ったのだが」
カミーユは妖艶に目を細めながらコリナに視線をくれた後、残念そうにため息をついた。そんな発言を受けた彼女は途端に訳知り顔になって席を立とうとしたが、再び努に袖を掴まれて止められた。
「いつものような搦め手に応じたことなんてないし、そもそもこの案件で女に転ぶ人なんていないでしょ。数十、数百万の話じゃないんだし」
「誓って言うが、ツトム以外に搦め手を使ったことはないぞ?」
「ご、ごゆっくり~!」
「いや、なら僕にも使うなよ……。ギルド長がハニートラップ使うとかギルドの信用問題にならないんですか?」
「ツトムなら冗談と流してくれるだろうし、乗ってきたらそれはそれで……」
「数十億の損益が頭にチラついてる中じゃ、とても使い物にならないでしょうね」
「ぶっ」
そんな努の言葉にコリナは不意でも突かれたように噴き出したが、何とか二人の邪魔はしないよう堪えた。
「しかし困ったな。搦め手が使えないとなると、取引は難航しそうだ」
「そんな風には見えないですね。バリア、バリア」
弱ったような顔をするカミーユに嘘をつけと毒づきながらも、努は席を囲むようにバリアを多重に張り巡らせた。そして扉を閉めるように締め括って獣人対策の防音を済ませると一息ついた。
「やたら神の子説を推してくる帝都出身のロイド、神の寵愛がどうたら言ってたオルビス教に似た臭さがあるんですよね。僕はただの異世界人だっていうのに」
既に三年前の手紙で自分の出自については明かしているので、努は明け透けもなくカミーユに告げた。それに目を丸くしている彼女に向かって言葉を続ける。
「盤外戦術使ってきそうだったので一手は打ちましたけど、僕のやりたいことはあくまで探索活動ですからね。でも刻印装備を作るのにいちいちロイドやら大手企業やらにお伺いを立てるなんて御免ですし、かといって完全に敵対したいわけでもない」
「その駆け引きを私が受け持つ代わりに、刻印装備を融通してくれると?」
「取引の落としどころとしてはそんなところでしょう。カミーユに対しては弱みもありますし」
それこそカミーユにお前が異世界人だってことバラすぞとでも脅されると、努としても苦しい立場になる。ただ不可抗力でバレたクランメンバーたちとは違い、彼女には遺した手紙でその情報を記している。そこは信頼するしかない。
「自ら弱みを晒してくれた者に、あまつさえ脅しをかけるほど落ちぶれてはいない」
「まぁ、カミーユは現物見たわけじゃないですし、誤魔化せはしそうですけど」
「でもツトムはわざわざ手紙くれたもんねー私にだけ」
急に小学生みたいな物言いをしたカミーユに努は苦笑いを零す。
「そのついでにロイドとはいい感じに話をつけてもらえると助かります。直接会った感じでは僕と同じように異世界人ってわけではなさそうでしたけど、色々探りたいことはありますから」
孤高階層で対面して話した感触では、地球生まれの異世界人というわけではなさそうだった。ただ帝都にある神のダンジョンを初踏破した同業者で、アルドレットクロウのリーダーに成り代わり刻印装備の制限やらきな臭い動きを見せている。
それに神の子説を推していることに加え、神台を生み出す魔道具の譲渡にも関わっていることからして神と何かしら関わりがある人物なのかもしれない。それは神運営への手掛かりになるかもしれないので繋がりは保っておきたいが、だからといって刻印装備をぶちかました今になってこちらから忖度しては立場が弱くなる。
刻印装備に関しては手を緩めるつもりはないが、魔貨にまで手を出すとロイドとの関係性が致命的になりかねない。その橋渡しをギルド長のカミーユなら上手いことやってくれるだろう。努としても変な提案さえなければ渡りに船だった。
「こういう駆け引きはカミーユでお腹一杯ですからね」
「男と密会してもそそらないだろうしな」
「人見知りなもんで」
「人見知りは嫌われてる職人たちに挨拶なんてしないし、その辺の探索者に取引を持ち掛けないと思うのだが?」
「アクティブな人見知りなんですよ」
「…………」
ただ猛獣の間に挟まれたように縮こまっているコリナの顔には、もう帰らせて……という声がありありと浮かんでいる。
「そもそも、刻印装備の一手で盤面を引っくり返しすぎだろう。その裏で動いていた企業たちも、魔貨の計画まで頓挫するのではないかと冷や冷やしていたぞ?」
「でもバーベンベルク家が貨幣の扱いに長けてるとも思えませんし、怪しいところじゃないですか? 実際、ギルドもルークの二の舞になるかもしれないなーって様子見しましたし」
「ならその信頼を得てから搦め手にすれば良かったか。思わず成功したからつい功を焦ってしまった」
「……何が誓って言うが、だよ」
「男にはしていない」
だが無慈悲にも二人の打ち合わせはそれから数十分は続いた。
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