第518話 国ごとの発音

 その翌日に努は朝からギルドで神台を見ながらミシルのPTを待ち伏せして声を掛け、アタッカー枠についての今後について軽く話し合った。


 結果としてはガルムのPT以外になる可能性を事前にミシルが言っておけば問題ないし、仮に灰魔導士のソニア、呪術師のマデリンが駄目でも他に参加したいアタッカーは多いとのことだった。



「まぁ、こっちのPT平均レベル大分低いですからね。140あればいいんで」



 かなり場違いな天空階層で効率の良いレベリングが出来たとはいえ、努のレベルはようやく120を越えたくらいだ。ダリルとアーミラも中堅の探索者に多い140帯のため、シルバービーストにそのレベル帯のアタッカーはいくらでもいるだろう。


 そんな努の言葉に最近また無精ひげを生やし始めていたミシルは羨ましそうな目で呟く。



「俺が行きてぇくらいだわ」

「近距離そこまでいらないんで……」

「ひっでぇ。でも、わざわざ遠距離限定にしなくてもいいんじゃねぇか? 確かにダリルとアーミラは近距離特化だが、ゼノがいる分ツトムは遠距離アタッカーにも回れるだろ?」

「とはいえ僕はアタッカーが本職じゃないですからね。そろそろ本格的にヒーラーやりたいんで」



 進化ジョブによりヒーラーも担えるようになったゼノの支援回復は聖騎士の中でもかなり上手い部類だし、コリナとスイッチする機会も多かったので連携自体そこまで苦労しないだろう。


 ただ努としてもそろそろ本格的にヒーラーをしたいところではあったし、刻印士としてもまだ活動はしなければならないのでアタッカーは他のPTメンバーに任せたかった。



「刻印♪ 刻印♪ 刻印装備♪ よ・こ・せ! よ・こ・せ!」

「シルバービーストの生産職にそのまま歌ってくれば?」



 そうこう話している内に後ろで業を煮やしたロレーナから恨み節の歌を送られたが、努はにべもなく返した。すると彼女は信じられないと言わんばかりに兎耳をピンと立てた。



「一体誰のせいでみんな刻印漬けになってるとお思いで?」

「最近の職人は根性が足りなくて困るね~」

「……現場で言ったらぶっ殺されますよ、マジで」



 刻印士のレベル上げに必死なのはアルドレット工房だけでなく何処の工房でも同じだが、100%成功する刻印ばかりでは到底努のようなペースでレベル上げをすることは出来ない。それどころかユニスにすら追いつけないことにそろそろ気付き始めた頃だろう。


 かといって不当な価格や取引制限はなくなったにせよ、需要自体は高いので依然として高額である刻印油をおいそれと無駄にはできない。誠実で義理を通すまともな職人ほど気に病んでいき、何とか刻印油の消費量を抑えようと必死になる。


 だが職人の個人的な腕によって刻印油が節約できたり、レベルが上げやすくなることなどない。いかに分業して刻印の時間と油を買う金を確保し、乱数の女神に振り回されない精神を保って挑むしかないのだ。



「その調子で生産職に刻印油貢いでたら、二、三ヶ月くらいでまともなレベルにはなるんじゃない? 知らんけど」

「目の前に今すぐ作れる人いるんですけどね? 一応、シルバービーストと無限の輪は同盟関係を結んでいてですね? もしかして忘れてます?」

「まぁでも、浄化対策自体は呪い部屋にあるっぽいじゃん。浄化対策さえできれば160階層は刻印装備なくても何とかなりそうじゃない?」

「仰る通りですわ」



 そんな背後からの声にロレーナは怪訝そうに兎耳を立てた後、白けた顔のまま振り返った。ウルフォディアからの攻撃を一度も受けないと宣言しているかのような黒いドレス型の刻印装備を身に纏ったステファニーは、そんな彼女を無視して努と目を合わせると恭しく礼をした。



「呪いの隠し部屋で出現する宝箱の装備で、浄化は対処できる可能性が高いようですわ。とはいえ、まだその方法論は確立しておりませんが」

「検証が早いね。でもステファニーたちの装備は変わらなそうだけど」

「えぇ、私たちはこのまま160階層の突破を目指します。もう仕上がってきましたので」



 実際にステファニーたちのPTは中盤までウルフォディアを完封し、強制的な浄化で三人が蘇生不可になろうとも二人だけで突破の可能性が見える唯一の存在だ。そんなPTが浄化対策を手に入れれば攻略は容易になるだろうが、彼女としては検証が済むまでに突破する気概のようだ。


 わざわざ隠し階層のことについて直接教えてくれた彼女と話していると、その間に白い兎耳が不機嫌そうに割り込んだ。



「何? 人様の会話に突然割り込まないでくれる?」

「油集めに勤しんでいるような兎如きが会話できる相手ではないと思いますが?」

「流石、勝てない勝負にムキになってる人間様は言うことが違うね」



 二人の立ち回りはそれこそ王道と邪道のような対立構造で語られることが多いが、もはやそれだけでは片付けられない因縁はこの三年間で深まったようだ。


 獲物を前にした蛙のようににんまりと笑うステファニーと、普段は決して見せないような嫌悪感丸出しのロレーナ。そんな彼女たちの争いに巻き込まれない内に、努は後ろで控えていたエルフに声を掛けた。



「随分と精が出るね」

「…………」



 ステファニーと同様に光属性に弱いが特攻でもある闇属性を増幅する装備を着込んだディニエルは、単純に眠いのか嫌悪感かは不明だがとにかく目を細めたまま胡乱げに視線を向けてきた。



「何故、刻印装備を作らない?」

「いやいや、作ってるよ? 最前線の人たち以外には」

「下民を救済する神様気取り、楽しい?」

「そっちも一番台で一流気取ってるの楽しそうで何よりだよ」



 するとディニエルはエルフ特有の長い耳をぴくりと動かした後、小さくため息をついた。



「リーレイアに入れ知恵でもされた?」

「随分とお気に召されているようで」

「それは貴方も。……フェンリルに乗れるのだけは羨ましい。リーレイアと組めば話題にはなりそう」

「160階層攻略まではゼノ、ダリル、アーミラと、シルバービーストのアタッカーでPT組むよ」

「そう」



 ディニエルはどうでもよさそうに呟くと、未だに険悪なヒーラー談議をしている二人を見つめた。そして会話も途切れてステファニー待ちとなった彼女に努はふと尋ねる。



「そういえばディニエルって、無限の輪に戻ってくる気あるの?」

「……少なくとも、今の段階では戻ろうと思わない」

「あぁ、そうなんだ」

「今の貴方がステファニーより強いとも思えない」

「そりゃそうだ。ウルフォディア完封突破なんて今の僕には出来ないだろうし」



 そんな挑戦ができるのは進化ジョブによるアタッカーと、元来であるヒーラーの練度が高いステファニーに他ならないだろう。努が彼女に追いつくにはまずレベルが圧倒的に足りず、進化ジョブの練度もまだ浅い。



「しかし、強さっていうのも証明が難しいね。ステファニーと直接対決できるわけじゃないし、かといって階層勝負だとしても、どうせ刻印装備使ったら実力として認めてくれないでしょ?」

「それが気に入らないなら他の弓術士を入れればいい」

「それで皆が納得するならそうするけどね。勿論僕自身も」



 絶対に帰ってこないと言うのなら遠慮なく他の遠距離アタッカーを入れるが、90階層での敗走からこれまでも弓術士全一の名を未だに誰にも渡していない彼女を捨てるのはあまりにも惜しい。それにはクランメンバーも同意してくれるだろう。


 そんな努の言葉にディニエルは若干面食らったように目を開いた後、真顔のまま細長い耳の先端を痒そうに掻いた。



「……刻印士として、ここまで活躍できる余地があるのは意外だった。これはキョウタニツトムだから出来たこと?」

「……まぁ、そうとも言えるね」



 彼女がわざわざフルネームで呼んだことは異世界人としての自分を指すことだと察し、努はそう答えた。



「ロイドは随分とツトムに関心があるみたい。色々と探り回ってる」

「直接会った時はやたら神の子説を推されはしたね。信心深い輩はもう懲り懲りなんだけど」

「身内の裏切りには気を付けた方がいい」

「いや、第一候補」

「…………」

「その様子なら大丈夫そうだけど」



 努からすれば無限の輪を離脱してロイド率いるアルドレットクロウに在籍しているディニエルが、情報漏洩の元としては真っ先に挙がる第一候補である。ただ思いっきり眉をひそめた彼女の様子と今までの活動から見るに、わざわざからめ手を使うとも思えない。



「大体こういう時は意外な人物から裏切られるのが筋。ダリルとか、オルファン潰されて恨んでそう」

「おい、疑心暗鬼にさせようとするなよ」

「エイミーも帝都で大分落ち着いたとはいえ、逆に何をしでかすかわからない」

「僕としては直接危害を加えられる方が嫌だけどね」

「もうしない」

「うわ軽―い」

「……探索者からすれば軽い出来事だけど、キョウタニツトムからすれば重い出来事だったことはあれを見て理解したつもり。…………だから――」



 そう言って申し訳なさそうに目配せをするディニエル。しかし努はまだ何処か納得していなさそうな顔をしていた。それを見て咄嗟に言葉を続けようとした彼女に努は言葉を被せる。



「さっきから気になってたんだけど、京谷、努ね」

「…………」



 努からするとディニエルのフルネーム呼びは、海外の人から発音無茶苦茶な名前を呼ばれるような可笑しさがあった。それを少し笑いながら指摘すると彼女の顔は途端に能面のようになった。


 そんな彼女の変化を見て努も取り繕うように口を一文字に引き締めていると、ディニエルは両手を後ろに回して金髪のポニーテールを解いてヘアゴムを手にした。



「手、出して」

「嫌です……」

「出せ」



 それから少し遠目に努に話しかけるタイミングを伺っていた精霊術士の女性が諦めるまで、二人のゴムパッチンを巡った攻防は続いた。そして最終的には言い争いを終えたロレーナが間に入り、驚いた様子のステファニーがディニエルを引き取る形で幕を閉じた。

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