第478話 上へ上へと
「自分が足手纏いってことを自覚してることだけは評価できるな。こんな調子で孤高階層どうするつもりなんだろうなぁ?」
一日に二階層ほどの早いペースで到達階層を更新している努がウンディーネに運ばれながら刻印している写真を見て、オルファンの現リーダーであるリキはワイン瓶を片手にほくそ笑む。
三年前には偉そうに無限の輪を指揮して自分たちにお情け程度の装備を押し付けてきた奴と、立場そのものが逆転していることに愉悦を感じざるを得ない。今ではアルドレット工房と繋がったおかげでオルファンの地位はうなぎ登りで、スタンピード組がいない今では迷宮都市の中でも上位に位置する。
それに比べて無限の輪は一軍がスタンピードの防止に向けて各地に旅立っていったので、クランとしての立ち位置と戦力は大幅に下がっている。
とはいえ予想外にも迷宮都市に残ったガルムを筆頭に、帝都で活躍していてレベルも高いエイミー、オルファンの三人を相手にまるで引かなかったハンナなど、厄介なメンバーがいることは確かだ。
「あのガルムが残ってるのは面倒だけど、数では圧倒的にこちらが勝ってるし、そもそも戦う必要もない。135階層が楽しみね」
「あぁ。この余裕面、引き裂いてやる。丸一日かけて、じっくりとな」
だが今回は何も真っ向勝負を仕掛けるわけではない。アルドレット工房の方で既に策謀が巡らされ、こちらに有利な形でツトムと対峙する準備は整っている。迷宮都市に残っている中堅探索者たちへの根回しに、ギルドに潜ませている内通者から裏組織の者まで利用できる手札の多さ。
それに比べて無限の輪が切れる手札はガルムだけだ。確かに正面から戦えば五人がかりでも負けるかもしれない。だがガルムを倒すことなどしなくていい。ただ一人だけを集中狙いして135階層を突破させなければいいだけだし、最悪141階層以降ですらそれらは可能だ。
オルファンはアルドレット工房が整えた状況下で、更にその中でも最弱のツトムだけをつけ狙えばいいだけだ。こんな楽な仕事でアルドレット工房に恩を売れて、尚且つ前払いでこの待遇だ。金、地位、名誉全て手に入れる。数年前はスラムの中で必死に生きるしかなかった孤児がだ。
「……ようやくだ」
本来ならばこの待遇が当然の力を一年前から手にしてはいた。それなのにあの愚図なリーダーのせいでオルファンは力を抑えつけられたままだった。俺たちに庇護が必要だと勘違いしているあいつに。
だがこれからは違う。役立たずの雑魚供を切り捨て、アルドレット工房と取引して莫大な金と地位は手に入れた。ようやくこれで所詮は孤児集団などと舐められることはなくなるだろう。それからはアルドレット工房すらも飲み込んで更に巨大化し、オルファンという組織で巨万の富と名声を得てやる。
「どうもルイスとラミはハンナって奴をどうにかしたいみたいだけど、あそこにツトムがいてくれたおかげで多少は乗り気みたい。最近はやけに協力的で助かるわ」
そんな野心に燃えているリキの傍に座っている少女。ヴァンパイアに特攻でもありそうなギラギラ十字架ネックレスを手でつまんでいる、オルファンの副リーダーであるミーサは半ば呆れたように鼻で笑う。
何てことない路上で護衛のハンナに煽り散らかされていた孤児たちは、本来リキの対抗勢力だった。それが今では共通の敵ができたおかげで一つに纏まっている。あの出来事がなければオルファンの意見がここまで収束することもなかっただろう。
「それにミルルのおかげでアルドレット工房との取引も円滑に進んだし、いよいよオルファンも纏まってきたわね」
「……大丈夫なのか? ダリルにべたべただったろ、あの年増」
「疑う気持ちはわかるけど、あれはオルファンの裏方として必要よ。……それに、ダリルと違って根っからの善人ってわけじゃないしね。今まで結構ヤバい橋を渡ってきたみたいだし、そんなことをしなきゃならない境遇にまで落としたツトムに復讐する動機は私たちよりずっとある。そこだけは信用できるわ」
アルドレット工房からの目が眩むような誘惑に抗えるものなどオルファンには皆無で、ミーサとて密かに憧れていた煌びやかな装飾には心を奪われた。そんな中でミルルがこちらに寝返って皆の目を覚まさせてくれなければ、オルファンはいつでも切れるトカゲの尻尾扱いされていただろう。
「もし仮にこれから良心でも取り戻して裏切ったところで、アルドレット工房と対等な取引を交わしてくれた功績だけでお釣りが来るわ。警戒するべき相手は後ろにもいたのよ。危うく全員薬漬けにされるところだったわ」
「メディックで治せない毒なんてあったんだな」
「煙草を吸うこと自体をメディックで治せないのと理屈は同じよ。ミルルが言うには中毒になったところであれを餌に言うこと聞かせるのが常套手段なんですって。あぁはなりたくないでしょ」
「……そりゃあそうだが、アルドレット工房を利用しない手はない」
「だからこそミルルだけは必要なのよ。目には目をってやつよ」
実際にミルルの伝手で中毒になっている患者の下へと連れられていた彼女たちは、あの薬にだけは手を出してはいけないと肝に銘じた。それでようやく夢心地だった気持ちも晴れ、リキたちはあくまでビジネスとしてアルドレット工房と付き合うことになった。
「ま、最新のトレンドを理解出来ないことは同情するけどね。やっぱり年には抗えないのかな」
(……まずはツトムだ。あいつを潰してアルドレット工房にオルファンの利用価値を証明する。あいつらも所詮は孤児だと高を括くくってる。俺らを舐め腐ってる奴らは全員潰す)
ただいくらミルルに諭されても孤児の頃から憧れだった煌びやかなアクセサリーに目がないのは相変わらずなミーサに、リキは触らぬ神に祟りなしの精神で自身の野望を胸に膨らませていた。
――▽▽――
「どうだ! 俺の作戦!」
「さ、作戦? 作戦、だったの?」
障害になりそうなオルファンを今すぐ潰して、それを戦果に無限の輪に再加入する。半ば無理やり酒場に連れてきて早々に雑な提案をしてきたアーミラに、ダリルは要領を得ない顔のまま垂れ耳をもたげる。
「そもそも、アーミラは普通に再加入すればいいんじゃない?」
「……切っ掛けがねぇんだよ、切っ掛けが。それになんか新しい奴らもいつの間にか入ってやがるし」
「あの人たちは正式に加入してるわけじゃないみたいだし、アーミラならPTの加入も問題ないと思うけど」
「ならてめぇだって問題ないだろうが。なんなら二人頭下げてお願いしてみるか?」
「……僕は、まずオルファンを止めなきゃいけないし」
「だろ? なら話は早ぇじゃねぇか。オルファン止めれば俺は戦果が、お前はそれ自体が目的なんだろ? それで無限の輪も助かるし、三方良しってやつじゃねぇか。ババァがんなこと言ってたぞ」
「…………」
努とガルムに対しては様々な感情が強すぎる故か話し合いにすらならなかったが、そもそもアーミラとはこうして二人きりで話すのも数年ぶりだ。たまにギルドで目が合って軽く話すことはあったにせよ、良くも悪くも距離感は離れている。
それでいて無限の輪を抜けた者同士ということもあってか、ずかずかとこちらの事情に構わず押し入ってくるアーミラに対しては意外にも怒りは湧かなかった。だからこそダリルは少し考えた後、マジックバッグからメモ帳とペンを取り出て机に広げる。
「確かに今の無限の輪じゃ、アルドレット工房が後ろについたオルファンは手に余る。だけどあっちもそう簡単に弱みになるような手出しはしてこない。恐らく犯罪にはならないグレーゾーンを攻めてくるから、アーミラの作戦は上手くいかないと思う」
「神のダンジョン内でどーにかするって魂胆だろ。で、どうすんだ?」
「……正直、あのアルドレット工房が敵に回ってる時点で135階層はどうしようもないと思う。僕らが出来ることも一応あるけど、ほとんどないに等しい。でもあの人なら、そのことも踏まえて探索してると思う。どうやって数を合わせて突破するのか、僕にはわからないけど……」
「はっ、結局ツトム頼りかよ」
「……そもそも、無限の輪がなくても何とかしてそうだし、あの人」
自分でも予想しているようなことなど、努なら既に対策済みだろう。どのようにしてアルドレット工房に対抗するかはわからないにせよ、鬼門の135階層を越えて141階層までは行くことを前提に考える。
「その後は、PT同士での戦いになる。そうなったらもうオルファンの勝ち目は薄い。エイミーさんにハンナさんまでいるんだから、ヒーラー二人PTだろうと対人戦じゃ敵うわけがない。それで恐らくオルファンは打つ手がなくなるから、アルドレット工房からも切られる。そうなるとオルファンの打つ手も限られてくるから、アーミラの出番はそれからだね」
「……ほーん。意外と冷めてんだな。てっきりうじうじしてんのかと思ったが」
アーミラは今回あくまでダリルへの義理立てをするためだけに呼び出したといっても過言ではない。なのでオルファンを潰す作戦についてなど期待していなかったが、思ったよりも彼の口は回った。
「多分、時間が遅いか早いかの話だったんだ。結局その時が来たら僕は135階層に潜るだろうし、オルファンが危ない橋を渡ってきたら止めに行く。時間に押し出されないと決められないんだ。それか、誰かに決めてもらわないと」
「しょうもねぇ愚痴が長くなんなら、俺帰るけど?」
「……ごめん。でも今はオルファンに接触しなくていいのは確かだと思う。僕より優秀な人がオルファンの動向を管理してるから、アーミラの力が発揮できるときは知らせるよ」
「あぁ、頼むわ。んじゃ、その時はてめぇも来んのか?」
「……勿論」
「ま、俺はどっちでもいいけどよ。取っとけや」
「え? あっ、ちょ……!」
「餓鬼共にたらふく食わせてやれや」
歯切れこそ悪いが逃げる気はなさそうなダリルを見てアーミラはそう言い捨てると、日常では見かけない形をした金貨を置いて去っていった。止まる気のない彼女が店を出る中で結構な大金を押し付けられたダリルは、それを急いでマジックバッグに仕舞う。
そしてろくに飲み食いしなかった店の支払いを終えて外に出て、孤児たちの待っている古民家への帰り道を一人歩く。
(ツトムさんみたいには、なれなかったなぁ)
無限の輪に在籍していた頃とは比べ物にならないほど、ダリルはオルファンのリーダーとして頑張ってきた。睡眠不足は当たり前の中でも期待以上の成果を探索や指導で上げ続け、ミルルに支えられながらも孤児しかいないオルファンという組織を成立させた。
だがその頑張りに反比例するようにダリル自身の資産は目減りし、探索者としての影響力も地に落ちた。今では神台に映らないというデメリットがあるためにあまり潜られない孤高階層でドロップするアイテムを狙い、何とか孤児たちを支える生計を立てる日々。
無限の輪にいた時はさして頑張っているという気持ちすらなかったが、結果としては百階層初攻略者の一人として名を上げた。その道中も多少辛いこともありはしたが、オルファンでの苦しい三年間に比べれば無いに等しいものだった。
努力と結果がここまで結びつかないとはダリルも思わなかった。リーダーには向き不向きがあることをこの三年で痛感した。だから自分よりはリーダーの素質があるリキが成り代わった。裏切られたどうこうの話ではなく、単純に素質と能力がなかったことだ。
(……最悪の終わり方になることだけは避ける。今の僕にできることは、もうそれくらいしかない)
ミルルをオルファンに寝返らせることでアルドレット工房に都合の良い奴隷になることは避けられた。そしてただの孤児集団に成り下がった団体の自爆によって起きる被害を、無限の輪に被らせない。それが自分に取れる唯一の責任だ。
「さっきのお姉さんに感謝していただこうか」
「また連れてきてよ!」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「ございます!」
もうこれ以上判断は誤らない。ダリルはそう決意しながらアーミラから貰ったお金で久しぶりのご馳走を買い込んで、幼い孤児たちに好きなだけ食べさせた。そしてこの日々を当たり前のものにするために孤高階層を抜けることを決意した。
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