第428話 復帰の知らせ
「……ねむ」
一度目は覚ましたもののまだ眠たかったアーミラは、身体をごろりと反転させて寝ている間に蹴飛ばしていた毛布を足の間に挟んだ。
だがそんなことをしているうちに部屋の外から朝食の匂いが微かに漂ってきたので、彼女は気怠そうにベッドから起き上がった。そして探索用の防具を装備してすぐに出られるようインナーにだけ着替えてから部屋を出て、寝ぼけ顔のまま洗面台で歯磨きなどを済ませた。
新聞を読みながら切り分けられた林檎をつまんでいる母を横目に、アーミラも既に作られていた朝食を頂く。最近はカミーユも健康に気を遣うようになったせいか、朝食は野菜や果物が中心となっている。その傍らでアーミラは昨日の残り物である揚げ物をバクバクと食いらげた後、台所に余っていた林檎を丸かじりしながらギルドへ向かう準備を進めた。
(そろそろ止めようとは思ってんのに、いつまで経ってもこれだけはやめられねぇな)
その途中で龍化してから煙草を口に咥えて軽いブレスで火をつけて食後の一服をしながらも、アーミラは内心でぼやいた。
無限の輪を抜けてからアーミラは以前に増して荒れていたものの、クラン関連のトラブルはこれが初めてということでもない。それにカミーユから勧められるままにギルドでの仕事で忙殺されることで、酒屋に入り浸って深酒をしたり、そういった場所に住み着いている悪い奴らはみんな友達などと供述している者たちとの浅い交流もさっぱりなくなった。
そしてゼノの出産祝いから帰った後には、更にギルドの仕事に本腰を入れた。それと同時に目を背け続けてきた探索者としての活動についても、少しずつだが再開し始めていた。
リーレイアから説教じみたことを言われたことに腹が立ったこともあり、思い切って他のクランに入ってみたこともあった。だがどうしても無限の輪と比べてしまうことが多く、あまり長くは続かず離脱した。その後はギルドの探索仕事を主に行うことで実力に磨きをかけてはいたが、一年経った頃にはユニークスキルも派生して実力が突出し始めた彼女に合わせられるようなPTメンバーがいなくなってしまった。
あくまで探索は兼業で行うギルド職員とのPTではどうしても限界がある。かといってディニエルのように今から大手クランに入るのはあまり気分が乗らないし、ダリルのように自らクランを立てるのも以前の経験からしばらくはやりたくなかった。
(……もう、あれから三年も経った。そろそろ踏ん切りつけなきゃいけねぇってのに)
いつ帰ってくるかもわからない彼を待ち続けるのが得策でないことは明らかだ。それに万が一帰ってきたとしても、あの男が無限の輪を再興することすらないのかもしれない。
だがもしかしたら、という思いも捨てられない。思い出補正もあるのだろうが、振り返ってみればやはり無限の輪で探索者をしていた時が一番充実していたことは確かだった。それを超えるようなクランを今から捜すのは無理がある。
それならば裏切り者だと暗に言われた気まずさにかまけていないで、今もシルバービーストと共同探索している無限の輪に戻る努力をした方がいいだろう。今すぐにガルムたちとは組めなくとも、シルバービーストのクランメンバーたちも上位勢ではあるのでその者たちと組めるだけでアタッカーとしての力は発揮できる自信はある。今も交流のあるコリナやゼノに繋いでもらえれば今からでも入れてくれるだろう。
それと同時に煙草もいい加減に止めた方がいいだろう。シルバービーストにいる子供たちやゼノの赤子の前だけで吸わないようにするのも馬鹿らしいし、吸い始めてからおっさんみたいな痰が出るようになった。惰性で吸うにしてはデメリットが大きすぎる。
これが最後の一本。アーミラはそういった誓いを立てては結局他人が吸っているところを見た途端に解禁することを三ヶ月は繰り返し、同時に探索者としての道も決めあぐねていた。
そんな彼女が玄関先の灰皿に持ち合わせの煙草を捨てている様子を何度も見てきたカミーユは、またかといった顔をしていたが特に口を出すことはなかった。
それから玄関にある灰皿に際の際まで吸った煙草を落として隠し持っていた泣きの一本を咥え直したアーミラは、快晴の空に目を細めながら賭け場にいる親父のように煙をふかす。そしてカミーユが玄関の鍵を閉める音を後ろに聞きながら庭を抜けようとすると、その先に見覚えのある者たちが丁度歩いてきていた。
神台とギルドでもよく目にするゼノを見た時はそこまでだったが、ハンナに関しては久々に目にしたので驚いた。彼女は一年ほど前にメルチョーとその弟子たちと共に修行してくると言い残し、迷宮都市から旅立っていた。
その当時に子供の悪戯かと思うほど汚い字で書かれたくしゃくしゃの手紙が直接届いていたので、アーミラもそのことについては事前に把握していた。その時の手紙に~っす、といった口調が文章には書かれていなかったことがやけに印象深かった。
そんなハンナが修行を終えて迷宮都市に帰ってきてわざわざ顔を出しにきたのかとも思ったが、その隣にいる白いフードを深く被った人物の方が目に付いた。
「アーミラ、久しぶり。……それ、煙草かなにか?」
「……あ?」
その人物が顔を見せてそう言ってきた時、アーミラは唖然として思わず咥えていた煙草をぽろりと落とした。少し様変わりしていたものの、目の前にいる男は聞き覚えのあるその声からして間違いなく努だった。
「おぉ、ツトム! 帰ってきたのか!」
「昨日帰ってきたので、挨拶しにきました。お久しぶりです」
何気なしに母と喋っている努の姿が未だに信じられず、アーミラは幽霊でも見ているような心地で近づいた。彼女が無言でにじり寄ってきたことには努も若干警戒していた様子だったが、その雰囲気が昨日のガルムと少し似ていたこともあってか逃げはしなかった。
「……本当に、帰ってきたのかよ」
「うん。待たせちゃって悪いね」
「待たせ、ちゃった? 待たせちゃった、だぁ?」
「あー、悪いね。何だか昨日久しぶりに会ったガルムと似てたから、つい」
「…………」
何だか気まずそうに頭を掻きながらそう言ってきた彼に、アーミラはどういった言葉を返していいかわからなかった。先ほどの言葉には怒りが先行したものの、同時に何とも言えない安心感も覚えていた。口にはし難い複雑な気持ちが渦巻き、彼女は無言を貫いた。
「ツトム、ギルドに行きながら軽く話さないか?」
「あぁ、そうですね」
それからギルドに行くまでの間に努たちとカミーユは会話を交わしたが、その間もアーミラは一言も喋ることはなかった。
「それじゃあ、また後で」
「あぁ、久しぶりに酒でも飲もうじゃないか。それと、例の件もな?」
「ちょっとよくわからないですね」
「…………」
そしてカミーユとそんなことを話しながらギルドの前で別れた時、アーミラは少しだけ努と目を合わせた。だが特に何も言うことはなく、かといって睨み付けるようなこともなくその場では別れた。
――▽▽――
(アーミラは割とどうにでもなりそうな感じだったな。殴られないだけマシだった)
無言で近づいてきた時はてっきり不意打ちで殴り掛かられるかと思ったが、直接対面してみた感触としてはそこまで悪いものではなかった。前は背中が隠れるほど長かった赤髪をバッサリと切り、煙草までふかしていた様子は最早一昔前のヤンキーそのものだったが、その見た目とは裏腹に雰囲気自体は以前よりも柔らかくなっていた。
それこそ今も精霊を介して問答無用で監視してきているリーレイアよりは話し合いの余地がありそうだ。努は手慰みに首へ巻き付いているウンディーネを引き剥がしてもちもちとしながらも、早朝で空いているギルドのベンチに座ってアルドレットクロウの一軍が来るのを出待ちしていた。
(そろそろ禁断症状の一つでも出るんじゃないかな。早くダンジョンの情報でも集めて誤魔化したいところだけど)
神台に映る探索者たちがダンジョンに潜る姿を昨日から見ることしかできない状況は、昨日からじれったいことこの上ない。ただ現状ではまだ自分の知らない情報が溢れすぎているので、上位の神台に関してはそもそも上手いか下手かなどの判断すらつかない状況でもある。なのでまずは何より事前に得られる情報を得てからの方が効率良く攻略できるので、今は情報収集に力を入れる時期でもある。
今のところは迷宮マニアでもあるピコに今の自分に役立つ情報を取捨選択して纏めてもらっている段階なので何とも言えないが、努が神台を見たところまず第一に考えるべきは刻印装備を確保することのように思えた。百階層から先ではまずその装備を揃えることがマストで、そのために刻印油なるものを集めているPTが下位の神台で複数見受けられる。
とにもかくにも刻印装備の力がとても大きい。『ライブダンジョン!』での名称こそ違えど、刻印装備は徹底的に詰めれば黒杖に匹敵するような装備を作ることも可能な技術である。今はまだ正式なジョブとして出てきたばかりで発展途上である生産職のこともあって装備ゲーにはなっていないが、いずれぶっ壊れと呼ばれるようなものが出てきてもおかしくはない。そのためにも生産職との繋がりは以前に増して重要になっていくことは間違いないだろう。
(無限の輪はドーレン工房とまだ繋がってるだろうけど、他にも生産職増えてるみたいだし繋がりは増やしたいな。ディニエルに挨拶し終えたら生産職にも会っておきたい。……あと森の薬屋にも挨拶しておきたいな。まぁ、恐らくポーション作成も薬品師とかの生産職に含まれてるだろうし)
そんなことを考えながらよく言えば努を目立たせない隠れ蓑、悪く言えば単に目立ちたがり屋なだけであるゼノの人気ぶりを遠目から眺める。努がまだこの世界にいた以前までは何処か残念なイケメン枠だったのだが、今となってはそのアイドル性に磨きがかかり周囲の評価も覆り始めているように見える。今では彼を直接応援する者たちの中に女性が増え始めていて、中々カルト的な人気があるようだ。
「いったー!!」
そんなゼノを眺めていたら突然隣に座っていたハンナが叫んだので、何事かと思い見てみると彼女の掌からおびただしいほどの血が溢れ出ていた。そして雲丹のような刺々しい姿に一部を変貌させていたウンディーネからみて、どうやら自分のようにもちもちと触ろうとしたところをブスリといったところのようだった。
「師匠~。治してほしいっす」
「お前さ……頭おかしいんじゃない?」
普通にウンディーネの針が掌を貫通しているところに努は恐怖を感じたが、そんな怪我をしてもまるで静電気が起きた程度の反応しかしないハンナにも畏怖しながらヒールで治療した。それから再び首に巻き付こうとしてきたウンディーネを拒否している内に、待っていた者たちがギルドへと現れた。
(……まぁ、流石に何年も経ってるからもう大丈夫だと思うけど、一応避けておいた方が無難か。どう転ぶかわかったもんじゃないし)
三年前から依然として上位のヒーラーとして名高く、現在は一番台をキープしているということもあって周囲の探索者からも一定の注目を浴びているのは、そこまで変わった様子のないステファニーだ。相変わらず派手な桃色の巻き髪を揺らしている彼女を筆頭に、ビットマンやポルクなど見知った一軍PTたちがギルドの受付へと向かっていく。
その中にいるディニエルもまた、装備自体は大分イカつくなっているものの雰囲気自体はそこまで変わっていないようだ。今も眠そうな目で欠伸しながらぼけーっとした様子で神台を眺めている。
「ハンナ、ちょっと声かけてこっちまで引っ張ってきてくれる? くれぐれも、ひそひそとね」
「……おーっす」
また雲丹のように変形するように波打っているウンディーネを手にしながら努が囁くように言うと、ハンナも囁き声のまま忍び足でディニエルに近づいて行った。
そして遠目から見ると駄菓子をねだる子供のようなひと悶着を起こした後、ハンナは何とか頑張ってディニエルを引っ張ってきた。そもそもハンナを見ること自体一年ぶりでもあるディニエルはよくわからないまま彼女に連れてこられていたが、フードを深く被り何故か人型に変化していたウンディーネを従えている男を見てある程度の察しはついたようだった。
「久しぶり」
「一生帰ってこないかと思ってたけど。意外に早かった。これから復帰するつもり?」
「そんなところだね」
「そう」
短い言葉と共にディニエルは正面で警戒するように蠢いているウンディーネと、その横で地味に警戒している様子のハンナを横目で見つめた。
「別にここで事を争うつもりはない」
「……そうっすか? いやー、どうっすかね? あたしはちょっと怖いっすけど」
「貴女みたいに馬鹿だったらこの不愉快な精霊ごと巻き込んで弓を引けたかもしれない」
「勘弁してくれ。ほら、ウンディーネも弁えろ」
努が降参するように手を挙げた後にちょいちょいと目でウンディーネを下がらせると、ディニエルは真顔のまま様子を窺うように自身の太ももを指でとんとんと叩く。そんな彼女の動向をハンナは背中の青翼を全開に立てて警戒していた。
「三年前に騙し討ちみたいな形で逃げたことについては、謝るよ。悪かったね」
「そう。……なら私も足を撃ったことについては謝罪する。ツトムは今でも怒ってそう」
「今でも怒ってるね。それはディニエルも同じみたいだけど?」
「…………」
そんな努の返しにディニエルは指の動きを止めた。それと同時にハンナもまた翼に魔力を循環させたが、そんな二人の動きもつゆ知らずに努は言葉を続ける。
「僕はこれから無限の輪に戻るけど、ディニエルはどうする?」
「……さぁ、それはツトム次第」
そうは言いつつ努の後ろにいるハンナを見つめながら、ディニエルは不意に背を向けた。
「アルドレットクロウに義理を果たしたら考える。それまでに貴方がどこまで実力を戻せるのか見極める」
「それはどうも」
そう言って受付の方へと戻っていったディニエルを努は見送った。すると後ろで待機していたハンナは敢えて気を抜くようにゆっくりと息を吐いた後、責めるような目で努をねめつけた。
「師匠も、相当頭おかしいっすよ。なんであのディニエル相手に平気な顔できるっすか?」
「虎の威を借りる狐みたいなものだよ。つまりは頭のおかしいハンナのおかげだね」
「納得いかないっす……」
そう言ってむくれたハンナを茶化しながら、努はゼノにも話し合いが終わったことを合図した。
「……? ハンナさんと何かありましたの?」
「別に」
「…………」
その後戻ってきたディニエルと話したステファニーは若干胸のざわめきを覚えてギルドを念入りに見回したものの、既にそこへ努たちの姿はなかった。
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