第421話 山神

(……これで満杯にはなったっぽいけど)



 入れる物の価値に応じて金貨へと変換されて貯蔵される特殊なマジックバッグは、もう中身が一杯なのか何も入らなくなった。だが特に何の変化も起こらないことに努は一抹の不安を覚えながらも、帯封された札束をトートバッグに仕舞う。


 弱小とされていたリーグの中ですら最下位という結果で終わってしまった世界大会から二年後。海外チームに移籍するなど紆余曲折あったものの、結果として努は今年の世界大会では見事優勝を果たし莫大な賞金を稼いでいた。


 そして三年前に手にしたマジックバッグが満杯になるぐらいの資金を手に入れながらも、ヒーラーとしての実力に磨きをかけるような生活を続けていた。それに今や登山界隈では有名な雑誌に載るほどまでになってきた秋山君と定期的に山登りしていることもあってか、もやしからエリンギぐらいの成長を見せていた。



(もしこれで帰れなかったら、一体何のために三年間頑張って来たのか……。死んだら黒門で転移できるとかだったらキレそう)



 だがいくらここまで成功できたのだとしても、あの世界に帰れないのなら何の意味も成さない。今ではむしろこちらの方が夢なのではないかという気持ちにさえ陥りながらも、努は前の世界と同じように家族と友人への遺書と資産分配を済ませていつでも帰れる準備を終えていた。


 だがマジックバッグを満杯にした日には何も変化が起きることはなく、それから数日が経過してもいつもの日常が過ぎるだけだった。そのことに努は焦りを覚えたが、一先ずは親や友人へ遺す資産を増やすことと自分の実力を上げることに注力することで何とか気を逸らしていた。


 しかしそれから一ヶ月も経てば現実逃避も出来なくなってきたので、努はマジックバッグから金貨を引き出してみたり、帰った時に着ていた白いローブを装備してみたり、部屋に一人きりでスキル名をありったけ口に出してみるなど気の狂ったコスプレイヤーのような試行錯誤をしたが、それで異界の黒門が開くことはなかった。



(いや、このマジックバッグの役割って、そういうことかよ)



 ただ異界の黒門こそ開かなかったものの、ヒールと口にしたら本当に緑の気体が出てきたことには驚いた。そしてスキルを唱えまくった途端に金貨でぱつぱつだったマジックバッグがみるみるうちに萎んでいって元の姿に戻り、長らく消え去っていた精神力が減る感覚も感じられるようになっていた。


 異世界への帰還に必要だと思っていたマジックバッグは、どうやらこの世界でもスキルとステータスを適用させるためのものだったらしい。そのことに努は拍子抜けしつつも、復活した精神力を使いスキルの開拓を始めた。



(使えるのは白魔導士のスキルだけっぽいし、スキルを利用して帰るってことでもなさそうだよな。スキルの感覚を取り戻せるのはありがたいけど、結局どうやって帰ったらいいんだ?)



 もし他のジョブのスキルを使えるのなら異世界にワープできるかもしれないと思ったが、どうもそれは出来なさそうだった。それから努は久しぶりに自室でスキルと思考を掻き巡らせたが、あまり良い案は浮かばなかった。



(一旦自殺してお団子レイズで生き返るとか……? 流石に怖いけど、残ってる可能性はそのくらいじゃないか……?)



 あらゆる手段を試した後に残った選択肢として最も有力だったのは、前向きな自殺だった。スキルを使えるようになった状態で死ねば神のダンジョンで死んだ認識となり、黒門から戻れるのではないかという推測。


 だが流石にそれを試す気にもなれず途方に暮れていた時、努のスマホに着信が入った。見慣れない番号だったので無視しようかとも思ったが、丁度思考を止めたいと思っていたところだったので取り敢えず出てみると、秋山君の家族からのようだった。


 どうやら彼と連絡が取れなくなったので、知り合いの伝手を辿って自分にかけてきたようだった。なので一緒にはいないことを伝えて電話を切った後、登山アプリを立ち上げて秋山君の登山計画書を見てみると、確かに帰還予定日は今日となっていた。


 秋山君は山頂で即席めんを食い過ぎて動くのが億劫になり山に長居しちゃった、などとふざけて言いそうなキャラではあるが、彼が登山計画書の期日を破ったことはこの数年で一度もなかった。いつもなら下山予定日の午後には連絡が取れる場所に必ずいるだろう。



(それエベレストでも同じこと言えんの? を地でいく奴だしな。念のため捜索隊に通報しといた方が良いか)



 いずれは登山計画に沿わなければ死が待っている世界一高い山への登山を目指して今もトレーニングしている彼が、それを破ることはしないだろうと思い努は一先ず捜索隊に通報して登山計画書の情報を受け渡した。



(……まぁ、この山は僕も登ったことはあるし、一応行ってやるか)



 努はここ二年間ほど秋山君と一緒に何度も登山しながらトレーニングしていたし、今ではステータスも適応されたおかげでオリンピックにでも出たら世界記録を出せるほどの身体能力も備わっている。それから努は手早く登山装備を整えると、空港に向かい飛行機で現地に向かった。



(取り敢えず前に通った道から行くか。……っていっても、ここってそこまで難易度が高いような山でもないし、調べた限り自然災害とかも起きてはないみたいだしな。……僕の代わりに転移したとかないよな?)



 そんな能天気なことを考えながらも、努はあまり一般的ではないものの登山家の間では多少名の知れている山への登頂を始めた。そしてたまに見かける下山してきた登山家の者たちと会釈を交わし、秋山君の写真を見せてこの人を見なかったかと尋ね回った。


 だが秋山君の顔こそ知っている者はいたが、実際にこの山で見てはいないという答えしか帰ってこなかった。ただその中にはこの山で小さな熊を目撃したという情報があったので、もしかしたら季節外れの熊と遭遇してしまったのではないかと心配された。



(まぁ、最悪自分で何とかなるしな。杞憂だといいけど)



 もしスキルやステータスが開放されていなかったら熊を恐れて帰っていたかもしれないが、今なら素手でも倒せそうだったので努は登山を続行した。そして一年ほど前と同じルートで登頂した後、万が一の保険として回復スキルを無色にして山全体に何度か放っておいた。ついでにレイズも試し打ちした後、努は下山しながら秋山君の行方を捜した。


 それから努は何日もかけてその山を散策したが、秋山君が見つかることはなかった。ただその途中で捜索隊の人たちと合流した時に、ヘリでの捜索にて秋山君は川の近くで見つけられて保護されたと聞かされた。



「俺、山の神に出会ったかもしれない」



 その後病院に搬送されて入院した秋山君に話を聞いてみると、どうやら彼は本当に季節外れの熊と運悪く遭遇してしまったらしい。そして逃走も虚しく出会い頭の熊に右半身を強く引っ掻かれ、右腕が取れ掛けるほどの重傷を負ってしまったようだった。


 それに熊から逃げるために崖から木に目掛けて飛び降りた時にも左目を負傷し、失明してしまったようだった。それでも命からがら何とか熊からは離れられたものの、衰弱死は免れないような状態だった。


 だがそんな時、消えそうな意識が引き上げられて不思議と身体に力が入るようになった。そして見てみれば右半身の重傷が跡形もなく消えていて、左目も見えるようになっていた。それから川に沿って下山している最中にヘリで見つけられ、救出に至ったらしい。



「実際、俺の服は確かに熊の爪で引き裂かれた跡があるから夢じゃないぞ? それにさ、左目の視力もめっちゃ上がってるみたいなんだよな」

「……へー。それは稀有な体験をしたもんだね」


それは極限状態にまで追い込まれた秋山君の妄想だと片づけられれば楽だったのが、物証もある程度は残ってしまっているようだった。回復スキルを打ったことで瀕死の秋山君を救えたことに関しては良かったのだが、どうやらあの山を登っていた他の登山客もかなり調子が良くなったようで、中には持病が治ったという者まで出て今ではSNS上でも話題になっているようだった。



「そういや、努もわざわざ山まで来てくれたんだろ? 通報してくれたのもそうだけど、ほんとありがとな。おかげで助かったよ」

「別にいいよ。大会終わって暇だったし」



 これを切っ掛けに友人がスピリチュアルに走らないように努は祈りながらも、精密検査を終えて退院し一度実家に帰る彼とついでに日本へと帰った。



(……まさか実家に繋がってるとは)



 そして努も一度実家に帰ってみると、玄関の隣に見覚えのある黒門が設置されていた。どうやら他の人たちには見えていないようだったが、確かにそこに黒門は存在していた。そのことに努は気の抜けたようなため息をついた後、親に顔を見せてから引き継ぎ作業を本格的に済ませた。



「それじゃあ、気をつけてね」

「いってきまーす」



 そして秋山君にエベレスト登頂の資格を譲渡する旨のメールを送り、最後に実家を出る時見送りに来た母親にそう告げて外に出た後、努は黒門を開いた。

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