第411話 ミルルの後日談
(……まさか自分がこうなるとは思わなかったな~)
とにかく自分の生活資金を捻出するために少しでも高く売ろうと外の魔石換金所へ持ち込んでいた以前とは違い、今はギルドに多少の恩を売るために魔石を鑑定して貰っている。それをする理由は境遇に恵まれず自力で這い上がることが難しい孤児たちでも、円滑に探索者としての活動が出来るようにするための根回しである。
少なくとも二年前の自分ではとても考えられない行動だと、前と違い身綺麗になっていた狸人のミルルは心底思った。
ソリット社の朝刊で記事捏造の不祥事を大きく取り上げられた後、偶然にもジョブが白魔導士だったミルルは探索者として成り上がってやろうと決意した。そして自分を陥れた努を実力で蹴落とし、エイミーとPTを組むのだと夢見て意気込んだ。
「んだよ、もう壊れちまいやがった」
「使えねーな。……ま、それなら別の使い道もあるか」
だが探索者の現実はミルルの夢を受容してくれるほど甘くはなかった。その当時はまだ努によってヒーラーの立場が確立されていた時ではなく、更にソリット社の報道によってまともなPTなど組める状況ではなかった彼女は、当然の如く使い捨てのヒーラーになった。
何度もモンスターに殺され、他人に寄生することしか考えられない虫の探索者たちからは罵詈雑言を浴びせられ、何の成果も得られなかったミルルは早々に精神を病んだ。その後は犯罪慣れしている虫の探索者たちに周到な手口を使われ慰み者にされ、それから逃げるように他のPTを転々としては結局同じようなことを繰り返すことしか出来なくなった。
迷宮都市に住む人たちにおいて地獄という言葉の意味合いは、神から見放されることに他ならない。だがミルルが思わず地獄だと表現したくなるほどに、彼女の現状は凄まじかった。
(エイミー様……それに、ツトム、ツトム、ツトムゥゥゥ……。あいつを蹴落とすまで、蹴落とさなきゃ気が済まない。死ねない……このままじゃ死にきれない……)
普通であれば精神と身体を壊してしまい何の活動も出来なくなってしまうような酷い状況であったが、ミルルはそれでも自身を投げ出したりはしなかった。彼女にとっては神に等しいエイミーに、必ず自分が打ち倒さなければならない邪神である努。そんな二つの巨大な善悪を支えに、ミルルはたとえ自分の身体を売ることになっても探索者は続けていた。
しかし汚名をソリット社から大々的に報じられたという事実が、そんな彼女の執念ともいえるような努力すらもことごとく打ち砕いた。
その頃には三種の役割理論が初心者帯の探索者にも知れ渡り、白魔導士の地位は確かに向上していた。だがいくら一人で何とかしてレベル上げをしようとも、黒い噂の絶えないミルルとPTを組もうとするまともな探索者はいなかった。
以前までは男が自然と寄ってくるぐらいには魅力的だった顔も今は見る影もなく、それこそ排泄物のように虫からしか集られない。彼女の探索者生命は巨大な負のループに陥ってからは挽回する機会もなく、明確に詰んでいた。
(……あいつが言ったことは、事実だったのか)
努から「先に探索者生命を奪おうとしたのはお前だ」と異様な迫力を持って言われた当時は、何を大袈裟なと思っていた。それこそ探索者としての実力さえあれば、たとえ偽の報道をされたとして実績で跳ね返せるだろう。
しかしその認識が完全に間違っていたことを、ミルルは身をもって思い知らされていた。今でこそ多少勢いは落ちたものの、それでもソリット社という巨大な報道機関に醜聞を巻かれてしまえばまともなPTが組めるはずもない。その時点で白魔導士にとっては苦境に立たされることになる。
アタッカーやタンク職ならば、まだ一人でもモンスターをある程度倒せるのでレベルは上げられる。だが攻撃スキルに乏しい白魔導士一人では、かなり効率の悪いレベリングを強いられることになる。それにレベルを上げても覚えるのは支援回復スキルばかりでステータスもSTRなどが上がるわけではないため、いつまで経っても効率は上がらない。
しかも上限までレベルを上げたところで階層主の攻略については、二十階層以降は白魔導士一人で攻略することは不可能に近い。そこを突破するには虫の探索者に、それも自身の立場が圧倒的に低い状態でPTを組んでもらって突破するしかない。そうしなければレベル上限を更新することが出来ずにそこで足踏みすることになる。
それでもミルルは多大な苦痛と代償を虫の探索者に支払って階層主を突破し、レベルを上限の四十まで上げていた。しかし更に上限を突破するためには、虫の探索者脱却の関門である女王蜘蛛を突破しなければならない。だが虫の探索者としかPTを組めないミルルには、女王蜘蛛を突破することは不可能である。
そもそも虫たちは攻略に苦痛を伴う沼階層から上がることを諦めているし、仮に女王蜘蛛へ挑んだとしても糸で絡め取られて餌になるだけだ。今も尚虫の探索者に甘んじている者たちには、沼階層を突破できるような気概も実力もない。
それこそ努のようにこの世界と似通った『ライブダンジョン!』の膨大な知識と経験、それにヒーラーとしての才覚があればまだ何とかなったのかもしれないが、新聞記者になれるくらいには高い能力を持つ彼女が鬼気迫るような努力をした程度では、その大きすぎるハンディキャップは埋まらない。
そこでミルルは明確に詰み、停滞するしか道はなかった。それでも彼女は必死に足掻きはしたがそこを自力で脱出することは出来ず、そのまま虫の探索者たちと同様に女王蜘蛛の巣に囚われるしかないように思えた。
そんな彼女の転機となったのは、二度目の大規模なスタンピードが起きた後のことだった。
探索者たちの力を目の当たりにした王都の民たちがその有用性を認め、迷宮都市へと大量に移民してきて登録のためギルドへと殺到した時。その中でも当時はかなり立場の低かった成り上がりを目指す孤児たちにミルルは上手く取り入ってPTを組むことに成功していた。
王都にもソリット社の支部自体はあるのでその名は有名であったが、そこではミルルの醜聞についての新聞は発行されていなかった。それでも多少の情報が読める者たちは危険だと判断してミルルを避けたが、そもそも文字が読めないような孤児たちにとってはまともな教育を受けている彼女はとても有用な人材だった。
それからミルルは今までの停滞が嘘だったかのようにするすると階層を更新していった。打倒努を目指して彼の姿を神台で観察し立ち回りを学んでいた甲斐もあってか、彼女は同レベル帯のヒーラーの中では実力が抜きん出ていた。それに上には取り入り、下にも足を引っ張られないよう最低限嫌われないような処世術をソリット社で習得していたこともあった。そして何よりもうあんな地獄には二度と戻りたくないし、これが最後のチャンスだという強い気持ちもあって王都の孤児たちの中で立場を確立することが出来た。
(……本当に、悪いことをしたな)
そしてようやく夜も安心して眠れるようになった時、ミルルはソリット新聞を読みながら初めて努に悪いことをしたと思い直した。
努は以前のスタンピードに続いて王都でも大きな活躍をした一人として、バーベンベルク家から表彰されていた。それに暴食竜の討伐でヒーラーとして何十人もの命を救った彼が王都へ向かったからこそ、恩を感じていた他の探索者たちもそれに続いたと報じられていた。
もしそれがなければ王都が探索者に脅威を感じることもなく、今のように大量の移民も来なかったかもしれない。そう思うだけでゾッとする。あの最悪な状況を脱するにはあの大きな人材流入の流れに乗れなければ絶対に出来なかった。自分の努力はその流れにしがみつくためにしか役に立たず、結果としては努に落とされ、救われた形になった。
勿論今でも神台でその姿を見かけたら黒い感情は湧き上がるし、直接出会いでもすれば再び憎悪の感情がぶり返すだろうが、それでも以前と違って悪感情の方向性は変わったように思えた。
それからは孤児のリーダー格であるリキが努と接触したと聞いて肝を冷やしたりしたが、大分前から自分のことを見張っている刺客のような者から接触されることはなかった。そして今もまともなPTを組めていることにミルルは感謝しながら探索者としての活動を続けた。
そんなある日のこと、努とエイミーが同時に引退したことをミルルは新聞で知った。
(え……?)
その事実はミルルにとって衝撃の一言だった。今となっては多少自立できたとはいえ、あの凄惨な過去を乗り切れたのは二つの支柱があってこそだった。
それでも今日からは努の影に怯えなくてもいいことだけは嬉しかったが、心の何処かではこんな終わり方でいいのかとも思った。新聞記事の文脈からしても努はただ引退したわけでもなさそうなので、いずれは迷宮都市に帰ってくる可能性もあるだろう。そうしたら結局また彼に怯える生活に戻るだけだ。
自分の状況を観察していたような視線自体は消えたものの、問題の根本は解決していない。それを解決するために自分はどうしたらいいのかミルルは悩んでいた。
「ダリルがなんかクランみたいなの作るってよ! それで、俺たちも誘われた!」
「えー!?」
そんな中、無限の輪でタンクを務めていたダリルが脱退を表明し、孤児たちを纏め上げてクランを設立することをいきなり宣言した。ただ無限の輪に在籍していた頃から何かと孤児の世話をしていた彼への信頼は厚く、リキたちも参加に乗り気だった。
(無茶なことをするな……)
それがミルルの素直な感想だった。賢い大人たちですら大人数になってしまうとトラブルは絶えない。それは大手クランであるアルドレットクロウが証明しているにもかかわらず、そもそもまともな教育も受けていない孤児たちを集めてクランを作ろうなど正気の沙汰とは思えない。
しかしダリルに関していえばそこまで頭は悪くない印象があるし、元無限の輪で努からも信頼されていた様子の彼に協力すれば問題解決の糸口になると考え、ミルルはその無茶を承知で協力することにした。
ミルルの予想通りダリルは孤児上がりにしては中々知恵の回る人だった。だが探索者感覚が抜けきらずクランリーダーを出来るほどの器量はなかったため、ミルルは既存のクランを真似するのではなく一から形態を組み直すことを提案した。
そうして出来たのはクラン同士の同盟に近い団体であり、今もそれを機能させるためにミルルはダリルと共に身を粉にして活動していた。そのため今はギルドへもとある提案を持ちかけるための切っ掛けとして、魔石の売買を優先的に行って働きかけているところだった。
(ダリルが私のことを詳しく知らないのは好都合だったけど、いずれはしでかしたこともバレる。あまり深くは関わらないようにしないと~……)
二年前とは髪型を大分伸ばして髪色までも変えているので姿形だけではあまりバレないものの、よく調べれば辿り着くのは容易である。ただ彼は自分を孤児を支える良い大人だと認識してくれたのか特に疑う様子もなかったので、ミルルは禊のような気持ちでダリルの立ち上げた団体を影から支え続けた。
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