九章

第405話 初心の感触

 白く光っていた黒門は努が入ると同時にその輝きを失い、普段と変わらないものへと戻っていく。その光景も涙であまり見えなくなっていた二人は、しばらくその状態のまま動くことが出来なかった。


 それからエイミーは縋るように残っていた不可思議な用紙を見つめていたが、その内容は変わることもなくただそこにあるだけだった。



「……帰るぞ。あまり長くいても怪しまれるだけだ」



 そして悲しみからいち早く復帰したガルムはそう声をかけたが、エイミーは女の子座りをしたまま呆然と用紙を見つめるだけで答えることはなかった。彼女があまりにも沈んだままギルドに帰るわけにもいかないので、ガルムは万が一にも神の眼が近づかないよう意識しながら芝生に座り込む。


 素肌で振れると少しチクチクする芝生の感触に、ガルムは自分が探索者になった頃を思い出すと共に、初めて努とこの階層に来た時のことも脳裏によぎった。


 初めはそれこそ探索初心者そのものであり、金持ちの子供が親に装備を買ってもらい護衛を連れて遊びに来たのと変わらないほどだった。そういった者は神のダンジョンの現実を見せつけてやれば、すぐに顔を蒼白とさせて帰還を申し出る。


 だが努はゴブリンの頭蓋が素手で破壊される様を見せつけられても、気持ち悪そうにはしていたが引け腰になることはなかった。今思い出してみれば、その時点で普通の者とは一線を画していた。


 あの不可思議な用紙に記されていた努の経歴によれば、彼は神のダンジョンに近しい遊戯を長年していて、その中でもヒーラーとして評価されていた者だと記されていた。その遊戯が一体どんなものなのかは文面だけでわかるものではないが、それを加味しても努が探索者として素晴らしかったことに変わりはない。


 もう探索者は出来ないと諦めていた自分を奮い立たせてくれ、最高のヒーラーとして共に乗り越えられない壁だったシェルクラブに、火竜すらも突破する道を示してくれた。それに神のダンジョンを生活の中心としている彼のストイックな日常には刺激を受けたし、スタンピードで暴食竜討伐を率いた姿には惚れ惚れとさせられた。


 努が道を指し示してくれたおかげで自分はここまで来られたし、彼でなければ後を付いてはいかなかった。努と共にタンクとして活動できることが誇りだったし、実力者揃いのクランメンバーたちも彼をクランリーダーと認めていた。人物像からすれば少し合理的すぎて冷めた部分が目立つこともあったが、根の部分では優しさも秘めていた。



「……ツトムっ、ツトムぅ……」



 そんなかげがえのない者が、去っていってしまった。


 いずれここに帰ってきたいという彼の意思は本当に嬉しかった。だがその方法はわからない。もう帰ってこられない可能性だって十分あるだろう。これが永遠の別れになるのかもしれないと思ってしまった先ほどの気持ちがぶり返し、ガルムは震えた声で名前を呼ぶしかなかった。



「……なにっ、泣いてるのっ!! うわぁぁぁぁぁぁぁん!! ツトムぅぅぅ!!」



 涙を流し切ってようやく気持ちが落ち着きかけていたエイミーは、そんなガルムの声を聞いてしまい再び事実を突き付けられたせいでまた大声で泣き出した。神台で見られればちょっとした記事になりそうなほど、二人は悲しみに暮れ続けた。



「…………」

「…………」



 それから三十分ほどしてようやく感情の波から開放された二人は、お互い気まずかったのか目を合わせないようにしながら座り込んでいた。ぱたん、ぱたんとお互いの尻尾が様子を窺うように揺れて草を叩く音だけが響く。


 しかしそれをいつまでもやっているわけにもいかないと思ったのか、ほぼ同じタイミングで二人は立ち上がる。するとエイミーは神の眼を手元に呼び寄せ、その裏側に表示されている時間を確認し始める。



「時間帯としては、もう帰還していい頃合いか?」

「……そうだね」



 元ギルド職員である二人はギルドに人気がなくなる時間帯を把握していたため、そんなことを確認しながら帰還する頃合いを窺っていた。そして努がいなくなっていることを悟られないようガルムは偽装をした後、帰還の黒門からギルドへと帰還した。


 ギルドの黒門からガルムが荷物にローブを被せ、努を背負っているような形で帰還する。人気の少ない周りからは多少の視線を受けたものの、それを不思議がっている者はいない。



「……詳しくは聞かないでくれ」

「あぁ、わかった」

「…………」



 ガルムはギルドに入った時から世話になっていた竜人の門番にそう告げると、その偽装を見抜いていた彼は何食わぬ顔で見送った。だがエイミーが借りてきた猫のように会釈したことには少し驚いてもいた。



(課題は、山積みだな。クランメンバーたちにどう説明するか……)



 未だに足元がおぼついていない様子で猫耳を畳んでいるエイミーに気を配りつつ、ギルドを出たガルムもまた犬耳をへなりとさせながらこれからのことに考えを巡らせていた。


 他の者にはまだしもクランメンバーたちにまで地元に帰ったという嘘を突き通せるとも思えないので、エイミーの持っている残った用紙を見せて説明した方がいいだろう。だがそれでディニエルが納得するとは思えないし、他にも半ば脅された形になったゼノや感情的なアーミラなども怪しい。最悪、無限の輪を離脱してしまうことだって有り得るだろう。


 努が帰ってくるまでの間は無限の輪を任された以上、誰かが離脱してしまうことは避けたい。しかしそんなことが自分に出来るのかと言われると、自信はまるでなかった。流石に一言も喋れなかったようなヴァイスとまではいかないが、ガルムもまた人と会話することをそこまで得意とはしていない。


 それもあわや努とディニエルの対立構造が出来そうになった無限の輪をこれから一つに纏め上げることなど、よほどクラン経営に長けた者でもなければ不可能に近い。エイミーも今は初めての失恋で魂の抜けた抜け殻のようになっているため、頼れそうもない。



(それでも、せめて五人は残るだろう。これから何とかして、立て直さなければ……。ツトムはもう、頼れない……)



 ガルムは荷物を背負いながら火の魔道具によって照らされる街道を歩き、色々と考えている間にクランハウスへと到着してしまった。ただ幸いといっていいのかはわからないが、他のクランメンバーたちはもう眠っているようで静まり返っていた。


 そして薄暗い玄関に入ってからようやく努に偽装していた荷物を下ろすと、重苦しいため息をつく。



「……明日、全員に説明する。いいな」

「…………」



 ガルムの問いにこくりと頷いたエイミーは、乱雑に靴を脱いで二階の方へと上がっていく。そんな彼女を見送ってまた彼はため息をつきながら靴を揃えると、自分も自室へと帰った。

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