第403話 二人との別れ

「ぎっ……!? ぐぁぅぅぅ……!! オーバー、ヒール……」



 努の足に突き刺さっていた矢羽根の方をガルムが小刀で切り取って傷口が広がらないよう引き抜いた途端に、彼は呻き声を上げながらもその傷を回復スキルで完全に治療した。確かに外で怪我をした場合は専門の治療を受けた方が良い場合もあるが、白魔導士が六十レベルを超えると使えるようになるオーバーヒールを使えば複雑骨折だろうと完璧に治る。


 それでもあまり治療の現場で使われないのは、そもそも六十までレベルを上げられるような白魔導士の医者がいないことと、使えたとしても精神力消費が激しいからだ。常に忙しい医者にレベル上げをするような時間はないし、そこまでレベルを上げられた者は大体探索者の道を選ぶ。だからこそスキルを利用している医療従事者は現場で多くの者たちを治療することによって得た技術で、それを補っている。



「……行こうか」



 路地裏で足の治療を済ませた努が二人に声をかけると、ガルムは無言で立ち上がり、エイミーは病人のような顔色のままゆっくりと付いてくる。


 まるで葬式に参列しているような空気のまま三人はギルドに到着すると、そのまま騒がしい受付へと向かった。



「今回は三人PTでいいのか?」

「それでお願いします」

「何だか懐かしいじゃねぇか。たまには浜辺階層でも行ってゆっくりしてきたらどうだ?」

「最近じゃあそこもリゾート地扱いですもんね。いつか考えておきますよ」



 この二年ほど受付業務を兼任しているスキンヘッドの男性とそんな会話を交わしながらPT契約を済ませ、夜の時間帯だからか初心者の探索者が多い列に並ぶ。努は声をかけようか迷っている素振りを見せている者たちと目を合わせないようにしていると、後ろから何やら聞き覚えのある声が聞こえてきた。



「いいなぁ……リゾートいいなぁ。最近はクランハウスにもあまり呼んでくれなくなったし、そろそろ神台ではなく直接皆の顔を見たいんだがなぁ」

「今日は行かないですよ」



 何処から話を嗅ぎつけていたのか、ギルドの制服を着ていたカミーユが恨みがましい目で愚痴を垂れながら横に付いてきていた。突然ギルド長が表に出てきたことに周りの探索者たちがギョッとしている中、彼女はそれも構わず努に話しかける。



「最近はお洒落な水着も制作されてるし、誕生日にでも買ってくれていいんだぞ? そうしたら私が着て――」

「買いません」

「だがまぁ、ツトムがこんな時間にギルドへ来るのは珍しいじゃないか? わざわざ仕事終わりの私を出迎えに来てくれたのかとも思ったのだが、そうではないようだしな」

「…………」



 どうやら後ろのガルムとエイミーのいつもと違う様子からして、カミーユは何かが起きていることは察しているようだった。そんな彼女を前に努は困ったような顔をしながら列を進んでいく。



「一先ず、帰ったら詳しいことは話します。今はそれで勘弁してもらえませんかね。新しい水着買いますんで」

「……何だか誤魔化されている気がするな。今ここで詳しいことを話してくれるのが一番助かるんだが」

「水着二着で」

「いや、数の問題じゃないぞ?」



 そんなやり取りで若干会話の空気は和らいだが、カミーユが何かを怪しんでいることは変わらなかった。しかし努の様子からしてそこまで深く追求するほどのものでもないと思ったのか、無理やり止めるような真似まではしなかった。


 その間に努たちが神のダンジョンへと転移する出番がきたので、三人は魔法陣へと入った。



「一階層へと転移」

「一階層……?」



 そんなカミーユの訝しむような声を最後に、努は一階層へと転移した。



 ▽▽



 心地良さを感じるような風が草原をなびかせる中、三人は久しぶりの一階層に転移した。そして努は神の眼を操作して遠ざけると、エイミーに目をやった。すると彼女は慌てたように持っていたマジックバッグから用紙を取り出し、その鑑定に入る。



「こ、これも前のと同じみたい」

「そう。ならそれはディニエルたちに返すために取っておこうか」

「うん」



 エイミーはもうとにかく努に嫌われたくないという思考が頭を埋め尽くしているのか、もはや傀儡といっても過言ではないほど従順だった。ガルムはその話を聞いて自身のマジックバッグから努に預けられていた用紙を取り出し、それをエイミーに渡して許可を取らせた。そして努にそれを手渡そうとした手前、一つ問いた。



「ツトムは、元の世界に帰る気は変わらないのか?」

「……そうだね」

「っ……」



 その答えにガルムは何かを言おうと口を開けかけたが、それを無理やりしまい込んで用紙を努に渡した。それを彼が手にした途端に帰還の黒門は白く輝きだし、帰還への道が開く。



「二人とも、協力してくれてありがとう。二人がいなかったらここまですんなりとは来られなかった」

「そんなことはっ、わざわざ言わなくていい!! ……私の気が変わらないうちに早く行け。それに万が一ではあるが、今からギルド長が一階層に来る可能性だってある。だから、早く行ってくれ……」



 ガルムは尻尾を逆立て苛立った口調でそう言い捨てながら、身体が動いてしまわないように堪えていた。出来ることなら努に帰ってほしくないことは今でも変わりはしない。だがここで無理矢理にでも彼を止めることは、そもそも帰るような場所がないガルムには出来なかった。



「僕は元の現実に帰る。そうしなきゃ、耐えられないんだ。帰る手段があるのに帰らないままこの世界で過ごすのは、精神的に耐えられない。ずっとこのまま有耶無耶のまま、現実から逃げたままじゃね」

「…………」

「……でも、僕が元の現実に帰るのは、けじめをつけるためだ。それが終わったら僕は、またここに帰ってきたいと心の底から思ってる。正直、自分でも我儘だと思うけど……僕はそうしたい。このまま永遠にみんなと別れるのは嫌だし、無限の輪を作った責任もあるから」



 そんな努からの言葉にガルムは希望に満ちた目を見せたが、現実に立ち返って一つ質問する。



「……しかしツトムがまたここに帰ってこられるような方法は、あるのか?」

「……それは、僕にもわからない。仮にあったとしてもそれを見つけるのに何年もかかるかもしれないし……いや、これはこれで無責任なことはわかってるけど……。でも、僕が考えられる最善の方法は、これしかなかった。……えーっと、つまりは僕にとってここは夢みたいな世界だけど、ここで過ごしてきたことは夢なんかじゃないってことで……」



 努は何とか言葉を絞り出すようにそう言っていたが、ガルムの顔つきが深刻になっていくにつれて声が尻すぼみに小さくなっていった。



「確かにそれは、ツトムの言う通り我儘なのかもしれないな。下手に希望を持ち続けるというのも、辛いものだ」

「あぁ、それもそうだね。それじゃあ――」

「……くっくっく」



 自分のことばかり考えて余計なことを言ってしまったと努が先ほどの発言を訂正しようとしたところで、唐突にガルムが含み笑いを漏らした。そのことに努がわけのわからないといった顔をしていると、彼は口元を抑えながら片手を振った。



「いや、すまない。……クランメンバー全員がそうとまでは言えないが、少なくとも私はツトムがまた帰ってくるのを待つつもりではいる。今のは、八つ当たりのようなものだ」

「…………」

「ふん、ツトムがそんな目をする権利はないと思うのだがな。突然別れを告げられるこちらの身にもなってほしいものだ。それも、これからツトムが帰ったことについても私が他の者に説明しなければならないのだぞ? まったく、面倒事を押し付けられたものだ。いくらツトムに借りがあるとはいえな」

「それは、わかってるよ。色々と苦労をかけて悪いけど、無限の輪もしばらく任せる形になる。詳しくは僕の部屋にある書き置きを見てほしい」

「あぁ、ツトムが帰ってくるまでの間な」



 そう言って手を差し出してきたガルムと、努は強い握手を交わした。



「数年くらいならツトムは地元に帰ったとでもいえば何とか誤魔化せはするだろう」

「あぁ。それぐらいまでには帰ってこられるよう努力するよ。それに、もしかしたらこの世界側で何か手掛かりが残るかもしれない。もし僕を戻せるようなものが手に入ったなら、二年くらいで使ってくれて構わないから」

「それがもし二百階層だとすれば、数年はかかるだろうな。……だが、これが一生の別れとならなかったことを私は嬉しく思う」



 ガルムはそう言って更に握手の力を強めた後、笑顔で送り出しながらそっと手を離した。その後に努はエイミーにも話しかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。



「取り敢えず、ディニエルとはこんなことで縁を切らないようにね。あそこで僕を撃ったのは僅かな私怨が混じっていたのかもしれないけど、エイミーを思いやっての行動だったっていうのが大部分だと思うから」

「う、うん」

「……あとは、時間が経てば色々と落ち着くと思うよ。それじゃあ、さようなら」

「あっ……」



 恋人としての別れを告げてから一年近くストーカーに近い行為をしてきた白崎さんも、今となってはそれも黒歴史と化していると聞き及んでいる。エイミーにはそんな道を辿らず前向きに生きてほしいと思いながら、努は彼女にも別れを告げた。



(元の世界でも二年経ってなきゃいいけど……。二年遅れの就活はしんどそうだぞ)



 それからそんな現実的なことも考えながら、努は白く輝く扉を開けた。すると神のダンジョン内で死亡した時と同じような粒子の光が努の身体から溢れ、次第に薄まっていく。



「…………」

(えっ……)



 そして最後に二人の方へと振り返った時、エイミーはまだしも最後に笑顔を見せていたガルムまで泣いている様子を目にして努は咄嗟に声をかけようとした。だがその時にはもう言葉を発せられる状況にはなく、努は神のダンジョンから姿を消した。

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