第238話 弟子と師

「くっ……はっ……」



 探索者に殺されかけていたオルビスを障壁で守ったブルックリン・カンチェルシアは、苦しそうに胸を押さえながら近くに歩いてきていた。まるで初めて人を殺した者のように瞳を振るわせている彼女は、障壁で守ったオルビスの方を見る。



「ごふっ」



 障壁に刀を防がれたヴァイスはもろにオルビスの膝蹴りを受け、思わず地面にうずくまる。その後オルビスはヴァイスの頭を横合いから蹴ると、曲がってはいけない方向に首が折れた。爆発したように土煙が上がり、ヴァイスは遠くへ蹴り飛ばされる。



「……え?」

「危ねぇ!」



 その光景に唖然としていた金色の調べの一人がオルビスに頭を掴まれそうになったところを、障壁のない場所を探すのに手間取って遅れたレオンがすんでのところで突き飛ばす。だがその突き飛ばした時に伸ばした右腕をオルビスに掴まれ、そのまま小枝のように握り折られた。


 速さしか勝っていないレオンがそのまま拘束されれば死ぬことは目に見えていたので、彼はすぐに右腕を剣で切り裂いて離脱した。そして左手を伸ばしてきたオルビスからすぐに離れ、レオンはまたもやなくなった自分の腕を見て涙目になっていた。



「んだよこりゃあ!? 壁があんぞ!」

「アーミラ! 一旦離れるよ! みんな! 私のところに集まって!」



 苛立つように大剣を障壁に叩き付けて壊していたアーミラにエイミーが声をかけ、ダリルやリーレイアも一時離脱する。そしてオルビスを倒すために前線へいた無限の輪のクランメンバーたちは、エイミーの下へ集まった。


 周囲に障壁が再度張られたことを確認したオルビスは、ずたずたの腕を重そうに動かして自分のポケットをまさぐりながらブルックリンの方へ顔を向けた。



「随分と遅い判断ですね。危うく死ぬところでしたよ」

「……黙れ。貴様に従っているわけではない」



 ブルックリンの裏切りで周りが思考停止している間に、オルビスはズボンのポケットから緑ポーションを出して頑丈な瓶ごと飲み干した。まだ気が動転している様子であるブルックリンはそう返すと、周囲を改めて見回した。


 そして黒杖を持つ黒髪の男に目を付けると、彼に向けて手をかざした。



「っち」

「けほっ」



 ブルックリンと目が合った途端に嫌な予感がした努は、黒杖を尻尾で掴んでいたユニスの背中を蹴飛ばした後、自身はフライで空中へ逃げるように飛んだ。ユニスは突然の衝撃で息が詰まったような声を出し、尻尾で掴んでいた黒杖と共に地面へ転がり込む。


 だが空へ逃げた努は頭を透明の障壁に打ち付け、空中に留まった途端に周りも囲まれて閉じ込められてしまった。努は障壁で四方八方塞がれていることを確認すると、唇を軽く噛んだ。



「どのような形であれ、協力して頂けたことに変わりありません。喜ばしいことです。バーベンベルクはどうされました?」

「しばらくは、動けなくしてある。殺せるかは五分五分といったところだ」



 ブルックリンは不意打ちでバーベンベルク家当主を複数の障壁で囲んで圧縮し、今も圧殺しようとしている。バーベンベルク家当主は普段から自身を守る障壁を張っているため無事だったが、個人の実力も魔力もブルックリンの方が高い。全盛期を既に過ぎている彼は迫り来る障壁を防ぐので精一杯の状態だった。



「上出来です。では、貴女は引き続き私の援護をお願いします。ここである程度探索者たちを殺しておかねば、後々厄介なことになりますからね」

「……今はバーベンベルクに多くの障壁を割いているから、そこまでの多重展開は出来ない。クリスティアは足を潰したが、障壁は破られた。この場ではツトムだけは抑えたが、後は精々私とお前を軽く守るくらいだ」

「十分です。では私が殺しますので、貴女は自分の身を守って下さい」



 オルビスはポーションをいくつか飲んで自身の回復に務めながら、話していることが探索者に聞こえないよう障壁を張って喋っているブルックリンに笑顔を向ける。



「……勘違いするなよ。貴様と仲間になったわけではない。ただ目的が一致しているから行動するだけだ」

「はい」



 ここで自分が出てくることを予想していたような様子のオルビスに、彼女は舌打ちをしながら障壁で捕らえた努を引き寄せた。エアブレイドなどで障壁に攻撃をしていた努は、不機嫌そうなブルックリンに睨まれるとすぐにスキルを放つのを止めた。



「ブルックリン。ツトムは出来るだけ生かしておいて頂けると助かります。神の寵愛を受けている者の可能性がありますから」

「神の寵愛というものはわからんが、私もツトムは生かすつもりだ。いくらでも利用価値があるだろう」



 迷宮都市での目覚ましい活躍、更に精霊からも異常なまでに懐かれていることを見て、オルビスは努も何らかのユニークスキル――神の寵愛を受けている者だと推測していた。そしてブルックリンも努は今まで感じたことのない雰囲気を持つ人種で、先ほどの支援回復も見ていたので利用価値があると踏んでいた。



「おいおい……ブルックリンが、何であっちに付いてんだよ」

「内通してやがったのか?」

「障壁魔法が相手にいるなんて、どうすんだよ!? バーベンベルクはどうした!?」



 アルドレットクロウや迷宮制覇隊の者たちが焦ったような言葉を吐きながら、オルビスとブルックリンを注視している。蹴り飛ばされて首を折られたヴァイスを紅魔団の数人は追いかけ、右腕を失ったレオンは金色の調べのヒーラーたちに応急処置を受けている。



「ツトムッ!」

「師匠―!!」

「ま、待ちたまえ! 二人とも!」

「で、でも、ツトムがっ!」

「ぐえっ」



 そしてブルックリンに障壁で捕らえられている努を確認したエイミーとハンナは、すぐに救出へ向かおうと走り出そうとした。だがエイミーはゼノが手を掴み、ハンナはディニエルが首根っこを掴んで止めた。



「ここで君たちが単騎で出ても、障壁に捕らわれるだけだ。まずは作戦を立て、クリスティアの指示を待つべきだろう」

「でもっ……! ツトムが、ツトムが殺されちゃうかもしれないんだよ!? 助けにいかなきゃ!」

契約コントラクト――ウンディーネ」



 エイミーの叫びと同時に、リーレイアは努にウンディーネと契約させた。すると努の右ポケットにウンディーネが出現し、すぐにその身体を守るように覆った。



「カンチェルシアの障壁による圧縮は、こちらで何とか防ぎます。ただ、ウンディーネの維持には私の精神力が必要になる。今はまだ努は障壁に潰されようとしていないようですが、もし潰されそうになれば私はそちらに精神力を使うことになる。恐らく攻撃には参加出来ないでしょう」

「……頼む」



 現状自分が努を守れないことにガルムは悔しそうに顔を歪めながらも、他の精霊との契約を解除してウンディーネに精神力を集中させたリーレイアの肩を掴んだ。その手から伝わる震えにリーレイアは少し驚いた後、整った顔を改めて引き締めた。



「ならばリーレイア君、君はツトム君の防衛に全力を注いでほしい。ではクリスティアの指示を待ちながら、こちらでもツトム君の救出作戦を立てよう。なに、幸いにもこちらには障壁を割れるほどの力を持つ者がいる。戦力に問題はない。必ず救い出そう」



 ゼノは先ほど障壁を割っていたアーミラと、無言で矢の準備をしていたディニエルを見据えた。それにエイミーとハンナもガルムやゼノよりかは障壁を破れる可能性はあるので、戦力としては十分だろう。


 周りのクランも一先ず様子見を選択したのか、そのまま固まりながらオルビスとブルックリン、そして障壁で捕らえられている努を見ていた。その中でアルドレットクロウでは一悶着起きていた。



「行かせて下さい! ツトム様を救出しなければ!」

「……他人の心配をしていられる状況じゃない。ステファニー、今は待つんだ」

「ルーク!! ここで救出を選択しないのなら、わたくしはアルドレットクロウを今すぐ抜けますわよ!? こんな話をしていて足を止めているうちにも、ツトム様が危険に晒されているのです!」



 ステファニーは一軍アタッカーやタンクを引き連れてツトムの救出に向かおうとしていたが、冷静な判断を下すルークに止められていた。


 だがクランを抜けるまで言い切ったステファニーに、周りのクランメンバーたちは動揺したようにざわめく。神を殺されかけている信徒のような目をしているステファニーに、ルークは言葉を選んだ。



「……ステファニー、今助けに行くのは、リスクが高すぎる。それにもしブルックリンがツトムを殺すつもりなら、とっくに彼は死んでいる。少なくとも、あちらはツトムを生かして捕縛しているんだ。ここで無理に助けに行っても余計な被害を生む。だから今は待つんだ」

「しかしっ……!! ツトム様が殺されない保障はありませんわっ!!」



 冷静なルークの指摘にステファニーは内心納得しかけたが、すぐに別のことを言って努の救出に向けて話を向けさせる。アルドレットクロウでは平行線で進まない話し合いが続いていた。


 誰しもがブルックリンの裏切りに動揺し、様子を見ている。全員の足が止まって各自作戦を考えたり、王都からの指示を待っている状況。


 そんな中、黒杖を持った少女は一歩前に踏み出す。二歩目はすぐに出た。


 そして誰しも立ち止まっている中、彼女は飛び出していた。



「はっ、はぁっ、はっ、はっ……!!」



 金色の調べの一軍ヒーラーであるユニスは、オルビスとブルックリン、そして努に向かって一人で走り出していた。



 ▽▽



 ユニスは努が嫌いである。初めから努のことは気に食わなかった。低レベルでいきなり頭角を現してきたくせして、態度はまるで高レベル探索者のようだった。そして今までのヒーラーを馬鹿にするような情報公開の場で、ユニスは思わず反論した。


 だから努にヒーラーを教わるなんてユニスは真っ平ゴメンだったし、そんな彼をレオンが評価していたことも気に食わなかった。だから少し探索者としての上下関係をわからせてやろうとしたが、見事に実力で返り討ちにされた。


 初めは間違いなく嫌いだった。だが時間が経つにつれて、努をそこまで嫌う要素があるのかユニスは疑問を覚えた。ヒーラーとしての実力は間違いなくトップクラスで、誰しもが努の動きを模範にしてダンジョン攻略に進んでいる。それほどの実力者ならば、あのような態度も納得は出来る。


 だが努は他の弟子と話している時は普通で、自分に対しては厄介者を相手にしているような態度を取る。勿論自分から突っかかったので努に厄介者扱いをされることはしょうがないことなのだが、ユニスは内心他の者と同じように話したいと思っていた。


 そして自分が作ったお団子スキルを努が認めてくれたことは、とても嬉しかった。あの時だけは自分を厄介者扱いせず、ヒーラーの一人として認めてくれたような気がしたからだ。そしてレオンに対して支援回復が出来なかった時も努はヒーラーとして接してくれて、励ましの言葉でなく支援回復の指示をくれた。


 多人数へのお団子スキル運用をユニスはしたことがなく、努からやれと言われた時はとても不安だった。だが努からお前なら出来ると言われた時、ユニスはどん底から救い上げられたような気がした。


 だからこそ、障壁に捕まって不安そうな顔をしている努を遠目で見てしまった途端に、ユニスは考える間もなく走り出してしまっていた。



(それにしても、なんで、なんで私は一人で出てしまったのです!? なんで!?)



 先ほど救い上げられた時のように、今度は自分が努を救い上げる。その気持ちはユニスも自覚していたが、一人で出る必要は全くなかった。しかし身体が勝手に動いて一人で走り出してしまい、ユニスは内心で滅茶苦茶後悔していた。



「ちょ、先輩! 何してるんですか!! 止まって!! 止まってくださいぃぃ!!」



 後ろから聞こえてくる後輩の叫びも今ではもう遠い。すぐにユニスを追いかけたレオンも、透明な障壁が張られているせいで全速力を出せない。もし全速力でまともに障壁へぶつかってしまえば、レオンは最悪死ぬ。そのため慎重にならざるを得なかった。



「貴女は……よくわかりませんね」



 走りを止めないユニスの前には、三メートルを超えた化け物であるオルビスが待っていた。だがいきなり単騎で突っ込んできたユニスをオルビスは警戒しているようで、様子を窺うような顔をしている。



「バリア!」



 オルビスと正面から戦って勝てないことはユニスにもわかっていた。オルビスの周りへバリアを張ったユニスは、フライを使って避けるように頭上を飛び越した。一人で突っ込んできたユニスには何か策があるのだと深読みしていたオルビスは、怪訝そうな顔をしながらバリアを紙のように破った。



「エアブレイズ!」



 ユニスが空中で逆さまの状態のままエアブレイズを放つと、黒杖によって威力が増幅されているおかげか反動で後方に飛んだ。だがいくら黒杖で威力増幅されているとはいえ、白魔道士の攻撃はオルビスに通用しない。


 しかし全く調べていなかったユニスの単騎突撃はオルビスも警戒していたせいか、そのエアブレイズを受けることなくわざわざ大袈裟に避けた。


 黒杖の威力増幅とこの状況下での深読みによって、普通ならば瞬殺されるであろうユニスはオルビスを退けることに成功していた。その勢いのままユニスは努へと近づき、オルビスが突破されたことで余裕のないブルックリンは歯を食いしばって障壁を展開する。



「へぶっ!?」



 ブルックリンが余裕のない中で作り上げた透明の障壁に、ユニスはまともに顔面をぶつけた。痛そうに顔を擦っている脳天気なユニスに、障壁へ閉じ込められていた努は思わず声を荒げた。



「何で、お前が……。馬鹿か!? なんで、一人で突っ込んできてるんだ!! 白魔道士のお前が!」

「う、うるさいのです。身体が勝手に動いちゃったんだから、しょうがないのです」

「は……?」



 この深刻な状況ですらわけのわからないことをのたまうユニスに、努は驚きで顔を固まらせた。そんな努を見てしてやったりと言わんばかりの顔をしているユニスは、鼻血を垂らしながら障壁を叩いた。



「お前が助けてほしそうな顔をしてやがったから、来てやったのです!」

「なに、言ってんだお前」

「だから、助けに来たのです」

「……僕はウンディーネに守られてるし、オルビスたちも今は僕を殺すつもりはないんだよ! 馬鹿か! お前の助けなんてそもそもいらないし、余計なお世話だ! 一人でこんな場所に来てるんじゃねぇよ! このままじゃ、お前無駄死にするだけだぞ!?」



 ウンディーネに守られている努を近くで確認して、ユニスは目を丸くした。そして安心したような顔をして、後ろの尻尾をふりふりと揺らした。



「……なんだ、よかったのです。私はてっきり、ツトムが死ぬのかと思ってたのです」

「…………」

「よかった」



 障壁に手を当ててよかったと呟くユニスの後ろから、オルビスが急接近している。努はそれを見たと同時に、身体へ張り付いていたウンディーネを掴んだ。



「あいつを守れ! 絶対にだ!」

「…………」



 一瞬で人型に変形したウンディーネは、努の言葉にふるふると首を振った。



「出来ないのか!? 僕のところに来たみたいに、あいつのところに行けないのか!?」

「…………」


 

 ウンディーネは努の訴えにも微妙な顔をしたままだ。その間にオルビスはユニスの背後に迫り、足を振り上げた。



「ふっ」



 障壁に手を当てていたユニスの小さい身体を、オルビスの爪先が捉える。その蹴りをまともに受けたユニスは、嘘のように吹き飛んだ。そして鈍い音を立てて障壁に当たると、力無く落ちた。

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