第166話 痛みの圧

 神の眼から映し出されるダンジョンの映像を神台から見ると、シェルクラブや火竜はそこまで脅威に見えない。勿論最初は恐ろしく見えるのだが、何回も見ると観衆も慣れてくる。ゼノも毎日のように神台を見ていたので、そういった気持ちは持ち合わせていた。


 しかし初めてシェルクラブや火竜と直接対峙した時、ゼノは明確に恐怖を覚えた。見上げられるほど大きいモンスターなど、普通ならば対大型モンスターの魔道具と訓練を受けた兵士数十人はいなければ討伐など出来ない。そんなモンスターを五人で相手取らなければいけないということは、王都出身のゼノからすれば信じられないことだった。


 なので今神のダンジョンで確認されているモンスターの中で一番巨大である、マウントゴーレムと対峙しているゼノは当然恐怖を覚えていた。こんなモンスターなど彼は伝承でしか聞いたことがなく、神台で見ていても恐ろしいと思っていた。



「コンバットォ! クライ!」



 だがゼノは怯えた様子も見せずに銀色のコンバットクライを放つと、マウントゴーレムの両目から放たれた熱線を紙一重でくるりと避けた。身体は固まることはなく、動きは淀みがない。そしてゼノはダリルよりも前に出て、マウントゴーレムの足下に潜り込んだ。


 ダリルよりも身軽なゼノはマウントゴーレムの踏みつけや手の平を叩き付けるなどの即死攻撃に、避けて対応出来る。だからこそゼノはマウントゴーレムの足下にあえて潜るべし、と妻からアドバイスを受けていた。


 ただ巨大なマウントゴーレムの足下で戦うなど、初見では怖くて出来ない者がほとんどだろう。まだ中盤戦なのでまだギリギリで避けられるが、当たれば誰であろうと死ぬ攻撃を繰り出されるのは精神的に厳しい。



「ぬるい! ぬるいぬるいぬるい! 火竜の方がもっと迫力があるじゃあないか!」



 ゼノは演劇者のように通る声で挑発するように言いながら、マウントゴーレムが振り下ろした片足をバックステップで避ける。飛んでくる岩の破片を手盾で防ぎ、手の平での叩き付けをかいくぐる。



「そぉら! タウントスイング!」



 ゼノは手盾でマウントゴーレムの地面に陥没している手を殴りつけ、飛んできた熱線は後ろにバク転してそのまま空中に上がって避ける。追撃するように振り出された正拳突きをゼノは真っ正面から当たらないよう動いてから手盾で受けると、瞬く暇もなく後方へ吹き飛ばされた。


 飛ばされる方向をゼノは考慮していなかったので危うく溶岩に落ちかけたが、何とか空中で体勢を立て直した。とてつもない力で初めて殴り飛ばされたゼノはあまりの衝撃に目眩がして頭を抑える。



「ぐ、おぉぉぉぉ。中々、良いパンチだ。武道会に出たら優勝を狙えるのではないかね!?」



 ゼノはのしのしと早歩きで向かってくるマウントゴーレムにそんなことを言うと、辛そうに咳き込んで吐血した。その間に先ほど受けたダメージをコリナが癒しの願いで回復していく。


 予想はしていたが、マウントゴーレムの攻撃は非常に痛い。拳の端を受けたにも関わらず内臓に重傷を負うハメになった。余裕のありそうな言葉とは裏腹に、ゼノは戦意が潰れてしまいそうになる一撃に浅い呼吸を繰り返す。



(痛い! 何て馬鹿げた力だ! こんな攻撃をあの者たちは受けていたというのかっ)



 ダリルが平気そうに受けていたので自分も大丈夫かと思っていたが、この攻撃は何度も受けられそうにない。拳を受けた手盾はひしゃげ、それを持つ腕には戦闘どころの話ではない痛みが走っている。ゼノはあまりの痛みに足が震え、今にも膝をつきそうになる。


 そんなゼノの近くに神の眼が様子を窺うように寄ってきた。ゼノは神の眼と目を合わせる形になる。



(……ここで倒れるわけには、いかないだろう)



 神台では愛する妻が目を凝らして自分を見ているだろう。他にも自分の記事を見てくれている者や、ゼノのファンもこの七十階層での戦いを見てくれている。



「はははっ。良い拳だったが、このゼノには届かんぞっ! そこで見ている君たち! 君たちの応援がゼノの力となる! 応援よろしく頼むぞぉ!!」



 ゼノは輝く笑顔で神の眼を指差して虚勢を張る。だがもしこの虚勢がなければ、ゼノはきっと折れていた。愛する妻、ファンの者たちに無様な姿を見せない。それがゼノの支柱となった。


 ゼノは後ろ腰にあるポーションを飲もうと思ったが、ダリルは一度も使用していない。VITが自分よりも高いとはいえ、もう何十回もこの打撃を受けている彼が使用していないのだ。使うわけにはいかないと、ゼノは後ろに伸ばしていた手を引っ込めた。


 そして聞こえてきた鏑矢の放つ音にゼノは気づくと、吐き気を吹き飛ばすように声を上げる。



「ディニエル君! 美しい一発、頼むよ!」

「やかましい」



 鏑矢を放ったディニエルはゼノの通る声に小言を返し、空に水色の流星を描く。そして大量に降り注ぐ矢にゼノが口笛を吹くと、気丈に振る舞ってマウントゴーレムに立ち向かう。


 ダリルはメルチョーと一緒にマウントゴーレムの背中から自動生成されてくる雑魚敵を引きつけ、ゼノの方へ向かわせないようにしている。今回はメルチョーが五、六匹くらいならばすぐに倒してくれるため、ダリルの負担が少ない。なのでダリルの体力は回復していったが、彼は珍しく不満そうな顔をしていた。


 熱線攻撃を空中でかいくぐり、ゼノはマウントゴーレムの足下をちょろちょろと駆け回る。渓谷、峡谷で長いこと修練を積んでいたゼノは空中機動が非常に上手い。その技術も駆使してゼノは避けタンクと受けタンクを両立したような立ち回りを見せている。


 しかし立ち回りは経験を積んでいるダリルにはまだ及ばない。そのためストリームアローは全弾当たることはなく、熱線も辺りに飛び交ってコリナがおっかなびっくりしながら灼岩のローブで防いでいる。


 それに雑魚敵の数が減るにつれ、マウントゴーレムの動きは速くなってくる。その数が残り六匹となったところで、ゼノの被弾数が上がってきた。



「まだ……まだぁ!! コンバットクライ」



 マウントゴーレムの拳や蹴りを受けたゼノはどんどんと余裕がなくなっていき、口数も減った。だがあくまで強気な口調は崩すことなく立ち回っていた。


 コリナは癒しの願いをゼノへ重点的にかけてはいるが、回復が追いつかない。そして余裕がなくなってくると思考が狭まり、ポーションを飲むという判断が頭から抜ける。立ち位置もおぼつかない。



「ゼノさん! 代わります!」



 ゼノの口ぶりではなく立ち回りを見てようやく限界に気づいたダリルが声をかけたが、彼は初めて喰らうマウントゴーレムの強烈な攻撃に追い詰められている。その声は届かず、タンクの交代が上手くいかない。


 そして動きが速くなり、機械的な動きもしなくなってきたマウントゴーレムにゼノは爪先で蹴り飛ばされる。ゼノは地面を転々として吹き飛ばされた後、溶岩に入ってしまい粒子化してしまった。



 ――▽▽――



「コリナさんっ!」

「蘇生まであと二分くらいかかりますぅ!」

「了解です! メルチョーさん、ゴーレムたちは任せます!」



 ダリルはゼノの限界を見極められなかったことを悔やんだが、頭は冷静だった。すぐに全体へ指示を出すと精神力を最大に込めた藍色のコンバットクライを放つ。



「ディニエルさん! ゼノさんが復活するまで攻撃はなしでお願いします!」



 残りゴーレムは六匹。三匹になるとマウントゴーレムは赤目を上向かせて全体攻撃を行い、終盤戦へと移行する。だが体力が削られるとその分早くゴーレムの数も減るため、全体攻撃を行う時間が早くなってしまう。全体攻撃中にゼノが復活してしまうのが一番不味いため、ダリルはディニエルの攻撃を中断させた。



「ディフェンシブ」



 AGI敏捷性が下がる代わりにVIT《頑丈さ》を上げるスキルを使い、ダリルはマウントゴーレムの攻撃を受ける。その強烈な攻撃はVITの高いダリルが受ければ、致命的な怪我は負わない。しかし衝撃を受ける手は痛みに襲われ、ゼノとさして代わりはない。


 だがダリルはガルムに鍛えられたおかげか、痛みに対する耐性が強い。それに今回ダリルは限界を自分から越えようとしていたため、痛みを試練と認識していた。


 タンク職であるにもかかわらずアタッカーに火力で負けずに最前線を張っていたガルム。勿論ガルム以外にも優秀なタンクはいたし、努力も劣ってはいなかった。にもかかわらず彼だけが最前線に残れた理由は、限界を越えた先に身を置いていたからである。


 神のダンジョン攻略をする探索者にとって、死は身近なものである。その死を受け入れられるかが探索者として第一の関門であり、何度も殺されることに慣れなければダンジョン攻略は続かないだろう。


 なので古参の探索者たちは死に慣れている。死を受容している。それは探索者にとって当たり前のことだが、それによって死に逃避してしまうこともあった。


 痛みから逃れるために死を選ぶ。死に慣れてきた探索者たちはしばしばそんな選択肢を取ることがある。死によるペナルティは物資のみなので、何ら問題はない。どうせ死んでもやり直せる。今頑張らなくとも次に頑張ればいい。そういった思考をする探索者がほとんどで、それは仕方のないことだ。


 誰だって痛い思いはしたくない。高いポーションを飲んで存命するより死を選んだ方がいい。失うものも装備だけだし、一番価値のある物は持ち帰れる。だから無理をして戦うよりも死を選んでしまう。


 しかしガルムは違った。彼は死と真っ向から向き合ってあらがった。いつだって本気で戦い、仲間が自決を選ぶ絶望的な状況でも諦めない。探索者たちは死を避ける本能を鈍らせたが、ガルムはそれをしなかった。


 死に直面した生物の見せる最後の力。ガルムはそれによって肉体を限界まで行使出来た。そのおかげでSTRの低い騎士でも最前線に立てたのだが、その姿はとても狂気に満ち溢れていた。そんなガルムを探索者たちは畏怖し、狂犬と呼んだ。


 死の縁に立ち続けることで手に入れられる限界の力。ただガルムはそのことを他人には勧めない。それはとても辛いことを自身で知っているからだ。なので弟子であるダリルにもそのことは教えなかった。


 しかしダリルはガルムにそのことを言葉だけではあるが教えてもらっていた。何の後ろ盾もなく追い詰められ、その状況でのみ発揮出来る力。だからこそ自分はあの場に立てていたということを。


 その限界を引き出す機会を、ダリルはこの戦いに見出していた。前回のマウントゴーレム戦。立とうとしても立てなかった。アーミラに罵倒され、自分でも情けないと思った。ガルムの弟子だともてはやされてこの様で、みんなに迷惑をかけた。もうあんな思いはしたくない。だからこそダリルはガルムと同じように限界の力を引き出そうとしていた。


 先ほどマウントゴーレムに追い詰められた時、ダリルは今までの人生で一番調子が良かった。全員の息遣いまで聞こえるほど聴覚は研ぎ澄まされ、マウントゴーレムの動きもよく見えた。このままいけば限界まで到達出来ると思った間際、ゼノに邪魔される形となった。ゴーレムの数も把握していたダリルは正直、ムカッとした。


 しかしダリルは限界の片鱗を確かに掴んでいた。



(思い出せ。あの時の感覚を)



 ダリルはマウントゴーレムに殴り飛ばされながら先ほどの感覚を思い出す。そして前回の苦い敗戦の記憶。二度も同じ過ちを犯してなるものかと、ダリルは瞬きすら忘れてマウントゴーレムの動きを見る。


 マウントゴーレムに殴られ蹴られ、暑さを増してきた地面を転がりながらダリルは立ち向かう。そして蘇生の願いが叶い光と共にゼノが復活した途端、ダリルはスキルを複数使用する。



「ウォーリアーハウル。タウントスイング」



 蘇生の願いによって稼いだコリナへのヘイトをダリルは上書きし、彼女に攻撃が行かないよう抑える。そして目から繰り出された熱線を赤い大盾で受ける。



「全体攻撃来るまでメルチョーさんの援護をお願いします!」

「了解した!」



 復活して予備の装備をコリナに渡されているゼノは切り替えるように声を張り、ダリルに返事をした。そしてゴーレムの数が三匹になったところで、マウントゴーレムの赤目が上を向いて輝き始めた。

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