第124話 臭い対策

 無限の輪の休日二日目、努はギルド食堂でヴァイスと待ち合わせをして話していた。要件はアルマのことである。



「……というわけだ」

「なるほど。そうなんですか」



 ヴァイスはアルマがあのようになってしまった原因がクランにもあったことと、引きこもっている現状を伝えた。もしアルマが消息不明にでもなっていたらと思っていた努は目に見えてホッとした。



「それなら、しっかりと見張っていて下さいね」

「勿論だ。黒杖を取り上げられたアルマが凶行に走る可能性は俺も考えていた。今は一軍以外のクランメンバーは全てクランハウスへ残してアルマを見張らせている。黒杖も俺が管理しているから問題はない」



 黒杖がなければアルマはクランハウスにいるクランメンバーをどうこうすることは出来ないだろう。アルマが凶行に走るような精神状態だとしても、それが出来る状況ではない。



「そうですか。それなら問題ないです」

「……こちらからも一ついいだろうか」

「どうぞ」

「……幸運者騒動についてだ」



 久しぶりに聞いたその単語に努は片眉を上げた。ヴァイスは表情筋が固まっているような無表情のまま言葉を続ける。



「……あれは、アルマの言葉がきっかけだったのだな」

「そうですね。まぁ面白おかしく広めたのはソリット社ですけど」

「すまなかった……。調べてみると、随分酷い目に遭ったと聞く」



 ヴァイスが努の近辺調査に踏み切ったきっかけは、幸運者騒動を謝罪するためではない。ヒーラーとして突然頭角を現した努と白魔道士用黒杖の関係性が怪しかったため、何かあると踏んで調べていた。


 だがあの黒杖が外のダンジョンから出ることは有り得ない。ジョブによって効果が変わるような道具は神のダンジョンの宝箱からしか出現しないからだ。努はその時モニターに映っていなかったため、草原で金の宝箱を引き当てたということは事実と推察出来た。


 その後紅魔団が火竜討伐を果たし、アルマの発言がきっかけで幸運者騒動が起きた。努は最初その二つ名を聞いた探索者からPTに勧誘されたが、当時のLUKはD。とても幸運者という二つ名とはかけ離れている数値だった。


 幸運者と呼ばれているのに、LUKはD。運だけで大金を一気に稼いだことに嫉妬していた虫の探索者はすぐにそれを広め、努をペテン師や寄生虫と罵って悪評を広めた。ソリット社の新聞記事もそれを面白おかしく記事にした結果、努はPTを組むことが出来なくなった。ダンジョン攻略が出来なければ元の世界に帰る手がかりが掴めない努にとって、それは絶望的なことだ。


 他にも数多くの嫌がらせを虫の探索者から受けているし、周りの視線も厳しいものだった。努のことを調べていく内にそういったことが浮き彫りになってきたので、ヴァイスは謝罪しなければならないと思いここに来ていた。



「あー……。まぁ、一度アルマさんに見て見ぬ振りをされた時は腹が立ちましたけどね。過ぎたことですので」

「……そうか」



 努の奥歯に物が挟まったような口ぶりに、ヴァイスは少し考える素振りを見せた後に席を立った。



「アルマは責任を持って俺が見張る。万が一が起きぬように」

「はい。お願いします」

「では失礼する」



 そう言い残すとヴァイスはすぐにギルドを出て行った。努はそれを確認すると露骨に大きなため息を吐いた。



(なんでこっちが気を遣ってんだろ……)



 幸運者の悪評が広まってPTが組めずにいた時、努はギルドで一度アルマと目が合っている。幸運者の名付け親である彼女は、そんな努の視線から逃げるように去っていった。別に黒杖を返せなどと言うつもりはない。ただあの時何か一言でも声をかけてくれれば、努は何も思うことはなかっただろう。


 だからアルマが黒杖を取り上げられて土下座する光景がモニターに流れたと聞いた時は、心の底からざまぁみろと努は思った。自分を幸運者と名づけておいて悪評が広まっても見て見ぬ振りをした彼女には、当然の報いであると。


 しかし、スタンピードで見たアルマの異常な黒杖への執着。あれはどう考えても異常だ。以前何回かモニターでアルマを見たことがあるが、あそこまで狂った様子はなかった。


 努の高校生活三年間をほとんど費やして最大強化に至った黒杖。『ライブダンジョン!』でも廃人の証としては自慢出来るものだったが、この世界では違う。既存の杖から明らかに外れた規格外。その力を常人が手にしてしまえば、狂ってしまうのは当たり前かもしれない。その認識が努にはなかった。



(そんなの、知らないよ)



 努のアルマに対する憎しみは、彼女の狂った様子を見て確かに鈍った。しかし黒杖のせいで狂ったと思うのは釈然としない。それで彼女がした行いが正当化されるわけではない。


 努はよくわからない感情を整理しながら静かに席を立った。



 ――▽▽――



 六十階層の火竜を突破したので、無限の輪もいよいよ火山階層へ入る。これによって一桁台には確実に映れるので、ドーレン工房の宣伝力は増すだろう。それに火山階層にはまだ見つかっていない素材もあるし、炎魔石の買取金額もかなり高い。そのため資金稼ぎも期待出来る。


 しかし火山階層では防暑対策が必須である。水分補給は勿論、水魔石や氷魔石を使った防暑魔道具が必要であり、揃えるのには金がかかる。だが最近アルドレットクロウから氷魔石が流通し始め、少し防暑道具の値段が下がっていたので努は買い漁った。


 ダリル以外は皆軽装なので装備を変える必要はないし、彼の重鎧は事前に防暑対策が成されているため問題ない。熱を取るために氷魔石や水魔石が必要になるが、金額的にはさほど痛くない。



「ダリル……」

「な、なんですか」

「いや……火山階層だと臭いが凄いことになるんだろうなって」

「…………」



 もともと汗をかきやすい体質のダリルと気温の高い火山階層の組み合わせは、容易に惨状が予想できる。更にダリルの尻尾は毛が長く犬耳も垂れている。それに汗が加わると酷い臭いになるのだ。ダリルは気まずそうに視線を逸している。



「前から思ってたけど、ちゃんと尻尾とかの手入れしてる?」

「……お、お風呂で洗ってます」

「確か、そういう手入れ専門の店あったよね? お金あげるから行ってきなよ」



 獣人専門の毛を洗ったり整えたりする店は迷宮都市にいくつもある。そういった店には臭いを押さえるシャンプーやスプレーだったり、色々と手入れする道具も売っているのでダリルに行くことを勧めた。



「い、いやぁー。なんか恥ずかしいんですよねぇ。ああいう店って」



 そんな努の勧めにダリルは気恥ずかそうにしながら口元を押さえる。獣人の尻尾はあまり人に触られたくないデリケートな部位だ。今までダリルは自分で尻尾の毛などを切っていたので、店に行って他人に触られるというのは恥ずかしく感じていた。


 だがそんなダリルに努は腕を組んで有無を言わさない表情のまま口を開く。



「汗臭いのはまだいいけど、たまに吐き気を催す臭いするからさ。行くのは強制ね」

「…………」



 特にダリルは垂れ耳なので汗をかくと中が蒸れる。その蒸れた中身が解放される時には酷い臭いがするのだ。


 努の辛辣な物言いにダリルは微妙な顔をしていたが、すぐに彼へ連れられてギルドへ向かった。そしてガルムに店の詳細を教えて貰った。



「お前……まだ行ってなかったのか」

「だ、だって恥ずかしいんですもん!」

「さっさと行ってこい、全く。ツトム、悪いがよろしく頼む。店員にこれを渡せば通してくれるだろう」

「はーい」



 以前にも店へ行けと言われていたらしいダリルは、ガルムにこっぴどく叱られてしょんぼりしている。ガルムに手書きの紙を受け取った努はギルドを出て早速店へ尋ねた。



「いらっしゃいませ」

「どうも。えーっと、ガルムからこれを渡すように言われたのですが」

「……少し拝見させて頂きますね」



 狸人の店員がそれを受け取ると奥へ引っ込んでいった。そして少しすると駆け足で帰ってきて頭を下げた。



「確認しました。本日はダリル様のお手入れということだそうで。この店を選んで頂いてありがとうございます!」

「いえ、予約とかしてないのですが大丈夫ですか?」

「勿論です! ダリル様ならいつでも歓迎しております!」

「あ、はい」



 テンションの高い店員に努は若干引きつつダリルの手入れをお願いすると、奥の部屋から犬人のお姉さんが出てきた。どうやら獣人の種族に応じた店員がいるらしく、他にも狐人や猫人の店員が見受けられた。



「彼はこういった店が初めてみたいなので、粗相があったらすみません」

「あら、そうなんですか? わかりました。大丈夫ですよ」

「よろしくお願いしまーす」



 待合室の椅子に座ってそわそわとして落ち着かないダリルをよそに、努は受付で会計を先に済ませた。そして帰ろうとするとダリルが大きな声を上げた。



「えぇ!? 帰っちゃうんですか!?」

「いや、帰るよ。時間かかりそうだし。あ、後はお任せしますね」

「はい。畏まりました。ではこちらへ……」

「ツトムさぁぁん!!」



 犬人のお姉さんに個室へ連れて行かれようとしている半泣きのダリルを置いて努はすぐに店を出ると、クランハウスに帰って火山階層の情報をまとめ始めた。


 そして三時間後には小奇麗になったダリルが大きな袋を抱えて帰って来た。



「なんか、いっぱい貰いました」



 三種のブラシやシャンプー、臭い取りスプレー、耳かきなど色々な物を貰ったらしいダリルは、ふんわりとした花のような香りを漂わせている。汗をかけばまた臭くなるだろうが、ガルムはそこまで臭うことはなかったので多少はマシになるだろう。



「ああいうお店って凄いんですね。サラサラになりました」



 あれほどさっきは店で騒いでいたのに、今は嬉しそうに自分の黒い尻尾を触っている。そんな彼を背後のディニエルが獲物でも見るような目で見ている。努はその光景に苦笑いしつつも、オーリと一緒に備品の確認をした。

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