第118話 ヴァイス、変革の時

 紅魔団のクランリーダー、ヴァイスはコミュニケーションが得意ではない。彼はモンスターの挙動ならいくらでも読むことは出来るが、人の心を読むことは出来ない。わからないということは、とても恐ろしい。だから彼は人と話すことを苦手としている。


 クランを設立したリーダーとは思えないほどヴァイスには社交性というものが存在しない。クランハウスですら寡黙かもくであるし、外でもそれは変わらない。観衆からはクールな男と認識されてはいるが、ただ喋ることが苦手なだけだ。



「…………」



 しかしそんなヴァイスが変わらなければならない時が近づいていた。もう何度目か忘れるほどマウントゴーレムと戦っての全滅。紅魔団の五人は亜麻色の布地を纏わされ、ギルドの黒門から吐き出された。それはまだいい。火竜でも幾度となく経験したことである。問題はPTの雰囲気だ。


 火竜戦の時は全滅しても悪くない雰囲気だった。四人が自然と意見を言い合ってヴァイスは頷いて話し合いが行われていたし、色々な試行錯誤が行われていた。


 だが今は一言も言葉は交わされない。アルマからの一方通行な舌打ちが流れるくらいだ。他の三人は黙りこくり、ヴァイスも喋らない。倒せる想像がつかず一方的に全滅させられ、苛々も溜まっている。気まずさと険悪が入り混じった空気だ。



「……今日は切り上げよう」



 ヴァイスがそう言うとPTメンバーの三人は装備を整えるため、ギルドの受付に並び始める。アルマはヴァイスの判断に気に入らなそうな視線を向けた。


 以前のアルマは黒魔道士のアタッカーで、様々なスキルを駆使して戦うことが得意だった。性格も明るく周りにも気を利かせる潤滑油のような存在で、一軍アタッカーの中でも腕が良かった。


 ダンジョンの探索や戦闘ではとてもしっかりしているが、クランハウスでの私生活では結構抜けたところがある。そんなギャップも相まってアルマはクランメンバーと良好な関係を築いていた。そんな時に話題を呼んで現れたのが、金の宝箱から出た黒杖だった。


 紅魔団はオークションで黒杖を勝ち取り、それはアルマへと渡された。最初はその絶大な力にアルマはおっかなびっくりしていて、自分には過ぎた物だと他の者へ持たせようとすらしていた。だが周りのクランメンバーもアルマを慕っていたし、ヴァイスもアルマの実力を認めている。アルマはそんな皆の信頼に嬉し涙を流した後、黒杖を使いこなすため努力した。


 黒杖の精神力消費軽減の感覚調整、それと威力増大に伴い魔法スキルも再調整しなければならない。黒魔道士は味方への誤射に気を遣うため、黒杖補正で自動的に規模が大きくなってしまうスキルを調整しないと使い物にならないからだ。だがアルマは優秀だったのですぐに調整を終わらせ、火竜へと挑んだ。


 そしてめでたく火竜を倒した時、紅魔団は盛大にはしゃぎ回った。なにせ自分たちが初めての六十階層突破者だ。その興奮は計り知れない。アルマも黒杖を脇に置いてクランメンバーと喜びを分かち合っていた。


 だが火竜をメテオで倒したことをソリット社に記事で祭り上げられてから、アルマはだんだんと変わっていく。以前のような多くのスキルを使いこなす立ち回りから、自分の代名詞となったメテオが主体になった。ヴァイスに対する尊敬もどんどんと失われていき、クランメンバーを粗末に扱うようになった。


 ユニークスキルに匹敵する力を持つ黒杖。しかしその杖は魔道士系のジョブならば誰でも使える道具である。そんな力を突然手にしたことによる彼女の変化は必然だった。



「大して活躍も出来ない癖に、偉そうね」



 以前ヴァイスへ向けていた尊敬の瞳はもはや見る影もない。アルマは非難の言葉を零しながらヴァイスから視線を切ると、黒杖を大事そうに抱えてギルド受付へと向かっていった。


 確かにヴァイスはここのところ活躍出来ていない。火系統が通りにくい火竜に続き火山階層。不死鳥の魂フェニックスソウルとの相性が悪いためヴァイスは以前に比べると活躍出来なくなった。


 だがヴァイスは迷宮都市屈指のマルチウエポン使いとして有名であり、彼より多彩な武器を使いこなせる者はいない。火山階層では斬撃が効きにくいモンスターが多いため、槌などの打撃系の武器に切り替えている。更に不死鳥の魂で自動回復も出来るので相応の仕事はこなしているといってもいい。



「……アルマこそ、メテオばかりじゃないか」



 一月もの間アルマに対して何も言わなかったヴァイスが、遂に言葉を発した。列に並んでいたPTメンバーたちは驚いたように彼を見つめる。ヴァイスがアルマに反論するとは思ってもいなかったからだ。



「は? 私が悪いって言うの?」

「……マウントゴーレムには明らかにメテオが効いていないだろう。アルマはメテオとメテオストリーム以外のスキルを忘れたのか? 最近そのスキルしか俺は聞いていない」

「なによっ! ヴァイスだって何も出来ていないじゃない! 火竜戦でも役立たず! 火山階層もまるっきり駄目! ユニークスキルを持ってるくせして、あれだけ体たらくかましてるあんたに言われたくない!」

「……確かに、俺は火山では活躍出来ていない」

「そうだろ!? そのくせしてどの口で私に意見してるんだ! いつも黙ってばっかりで何を考えてるのかわからない奴が! 今更偉そうに私へ意見するのか! 気色悪いんだよ! この根暗野郎が!」

「…………」



 指を差されたヴァイスは言葉も出ずに黙りこくってしまった。火山階層では確かにアルマの方が活躍出来ている。黒杖補正の乗ったメテオストリームの火力をヴァイスは上回ることが出来ない。



「何を騒いでいる」



 そんな二人に藍色の制服を着たガルムから声がかかる。相手が紅魔団ということでヴァイスと面識のあるガルムが要請を受け、この場に駆り出されていた。先ほどの口喧嘩を聞いていたのかガルムがじろりとアルマを見ると、彼女は少し肩を震わせた。



「何でも、ないわよ」

「意見の言い合いは構わないが、クランハウスでやることだ」

「……すまない」



 根暗という言葉が効いたのか意気消沈しているヴァイスが謝ると、ガルムはふんと鼻を鳴らした。



「相変わらず、打たれ弱い男だ」



 ヴァイスはそう言われた途端にガルムの胸ぐらを掴んだ。その言葉は数年前にも言われた言葉である。珍しいヴァイスの苛立った様子に周りは息を飲む。



「……黙れ」

「ふん。腑抜けた面は多少マシになったな。ほら、見世物ではないぞ。散れ」



 ガルムは殺気立ったヴァイスを気にした様子もなくそう言いのけると、手を叩いて周りの野次馬を散らせた。よどんだような目でガルムを見上げていたヴァイスは不機嫌そうに彼から手を離して背を向ける。



「相変わらず、ムカつく奴だ」



 ヴァイスはそう言い残すと亜麻色の服を着たままギルドから出て行った。



 ――▽▽――



「気にしない方がいいわよ」



 クランハウスに帰りヴァイスがソファーに座っていると、紅魔団の一軍ヒーラーをしているセシリアという女性が話しかけた。ヴァイスは目にかかった黒髪を左右に振る。



「……気にしていない」

「貴方が根暗なんて、皆わかっていたしね」

「…………」



 セシリアの思わぬ毒舌にヴァイスは呆気に取られた。彼女は聖女のような優しい雰囲気に違わぬ性格で、今までも蘇生ヒーラーという使い捨て紛いの役割を文句も零さずにこなしてきた女性だ。それにヴァイスが神のダンジョンに潜り始めてから一番付き合いが長い者である。


 しかし今のセシリアは優しい瞳をしてはいたが、今まで見たことのない何処か怒っているような雰囲気だった。もう五、六年近くPTを組んでいるセシリアの心情がヴァイスには読めない。視線が宙を彷徨い、恐怖がヴァイスを支配する。



「最近のアルマは酷いけど、さっきの言葉にだけは皆共感したと思う。ヴァイスの考えていることは、皆わかっていないわ。だって喋らないんだもの」

「…………」

「ほら、だんまり」



 セシリアは何処か吹っ切れたような顔をしてヴァイスをにっこりと見つめた。そんなセシリアの心情をヴァイスは察することが出来ない。怖くてすぐにこの場から逃げ出したくなる。



「ヴァイスが私たちに気を遣っていることはわかっているわ。私が一番長い付き合いですもの。貴方が喋らなくても多少のことはわかるわ」

「…………」

「でもね。わかっていても言葉にして欲しいことだって、あるのよ。今だって私、もしかしたら除名されるかもしれないなんて思ってる。ヴァイスならそんなことをしないとは思っていても、わからないわ。だから私は除名されることを覚悟して貴方と、話してるの」



 クランメンバーも確かにヴァイスが悪い人ではないということはわかっているが、自分ごときが意見したら邪険に思われるかもという気持ちは持っていた。セシリアはそんな皆の気持ちを察し、付き合いが一番長くヒーラーである自分が先陣を切ることを決意してこの場にいた。


 最近は三種の役割が広まりヒーラーの立ち回りは変わってきている。戦闘中に逃げ隠れて蘇生するだけのヒーラーは時代遅れになってきた。なのでセシリアは万が一紅魔団から除名されようとも良かった。そうすれば今の役割から逃れることが出来るのだから。


 隠れて蘇生するだけの白魔道士は名誉を得られず、観衆たちから寄生虫のような扱いを受ける。そんな恥辱をセシリアはクランメンバーのために耐えてきた。他のクランメンバーはその役割をこなしてくれているセシリアに、陰ながら声をかけてくれたし愚痴も聞いてくれた。


 だがヴァイスはそれをしなかった。勿論セシリアもヴァイスが言葉にしなくとも感謝をしているだろうということはわかっている。だがもしかしたらを考えると、彼女は苦しくなった。声をかけないということは、不要なのではないか。自分たちが弱いから、呆れて声をかけないのではないか。そういったヴァイスに対する疑念はクランメンバー全員が感じていたことだ。


 他のクランメンバーもアルマが暴走し始めた時、黙っているヴァイスの前で口を出すことは出来なかった。もしかしたらヴァイスは力をつけているアルマを認めていて、自分は認められていないかもしれない。そんな疑念が渦巻けば口は出せず、アルマが付け上がる一因になった。


 ヴァイスから労いの言葉一つでもあれば、セシリアはいくらでもその役割をこなすことが出来るだろう。暴走しているアルマに対してヴァイスがどう思っているのかがわかっていれば、クランメンバーたちは彼女が暴走する前に止められたかもしれない。


 セシリアは真剣な目でヴァイスを真正面から見つめた。



「貴方の気持ちが、聞きたいわ。私も、他のメンバーだってそうよ。アルマに対してはさっき聞いたけど、私のことをどう思ってる? いるの? いらないの?」

「……俺は」



 泣きそうな顔で問いかけてくるセシリアに、ヴァイスは答えを求めるように視線を彷徨わせる。言葉にしようとしてもセシリアがどのような反応をするかわからない。いくつもの言葉が浮かんでは消えていく。しばらくの間言葉に詰まり、息遣いだけが大きく聞こえる。


 そして沈黙の後、ヴァイスは絞り出すように言った。



「俺は……怖い」

「怖い……? 何が? もしかして、アルマに――」

「人が、怖い」



 その告白にセシリアの表情が固まった。人が怖いとはどういうことか。



「人が、怖い?」

「……あぁ」

「……ちょっと待って。まさかとは思うけど、今まで喋らなかったのって、人と話すのが怖かったから?」

「……あぁ」

「…………」



 セシリアもそんな答えは予想外だったのか放心状態になった。気難しい、怖い、ミステリアス。だが優しさも見える。それがヴァイスへの印象だ。対人恐怖症だとは夢にも思っていなかったので、セシリアも頭が混乱した。



「いや、何というか……なんだろ。え? 私、これでも除名覚悟だったんだけど?」

「……すまない」



 謝ってくるヴァイスにセシリアも若干混乱していた。だがこれだけは言いたかった。



「……でも、今のままじゃ絶対駄目だよ。皆、苦しんでる。変わらなきゃいけない。ヴァイスも、アルマも、勿論私たちも」

「……そうだな」



 ヴァイスの肯定にセシリアは一先ず安心したように下を向いた。

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