第31話 火竜の咆哮
努たち三人は浅いすり鉢状の地形が広がる地に転移され、着地した。三人の視界には斧で割り開いたような一際大きい崖が遠くに見え、その周りにも大小様々な谷が広がっていた。
「フライ、プロテク、ヘイスト」
努が白杖を払って自分含め三人に支援スキルをかける。ガルムとカミーユは背の武器を両手で持って構え始めた。すると前方にある大きい崖の谷間から、赤い物体が飛び出してきた。
瞬間、空から大気が震えるような咆哮(ほうこう)。空気が震えて悲鳴を上げ、パラパラと崖から幾多もの小石が流れ落ちる。
その哮(たけ)りにまるで心臓を刺されたかのように、ガルムとカミーユは身体を硬直させた。身体全体が震えて、口の中が一瞬で乾いた錯覚に二人は陥る。
巨大な翼を羽ばたかせて空に君臨する、圧倒的強者。人が縄張りに入ったことに怒号を上げる火竜。カミーユは大剣を構えたまま動けない。自分がいかにちっぽけな存在であることを自覚させられたから。
最も竜に近い神竜人と呼ばれているカミーユ。しかし火竜の前では矮小な存在だった。今も膝が震えて崩れ落ちてしまいそうだった。腕も寒さに震えるように小刻みに揺れている。
竜人(ドラゴニュート)という種族柄、モニターで見る火竜に対しては憧れと挑戦的な感情を持っていたカミーユ。しかし直接火竜と対峙してそれが間違いだと悟った。自分はあれに近いなどと、ありえない。あんなものに、人が勝てるわけがない。それもたった三人で。
カミーユが恐慌状態に陥っている中、ガルムは純粋な恐怖に身を固めていた。弱者が強者に感じる畏怖の感情。その本能的な感情に彼は固まることしか出来なかった。
「あ、これはブレス来そうですね。準備して下さいー」
その中で努だけはいつもと変わらず抜けたような声で二人に指示を出していた。爛れ古龍の咆哮を直接受けている彼にとって、火竜の咆哮は耳障りなだけだった。
そして努は固まって動けていない二人に気づく。二人の肩をポンと叩くが反応を見せない。火竜は細長い首をもたげて三人を捉えると、翼を平行に動かし始めて突撃体勢を取り始める。
努は火装束からはみ出ているガルムのピンとした黒い尻尾をむんずと掴んだ。
「ぬおっ」
その場で跳ね上がった後に尻尾を押さえたガルムは慌てた様子で努を見た。努は呆れた表情でガルムを見ていた。
「ビビってないで早く動いて。そろそろ来ますよ」
努にジト目で指示されたガルムは落ち着かない様子ながらも、蛇のように身体をなびかせながら滑空してくる火竜を見据えた。そして金縛りのように動かなかった手を動かして、火装束のフードを被って尻尾も丸めて収めた。努は次にまだ動かないカミーユの頬をペチペチと叩く。
「カミーユ?」
「……無理だ。勝てない」
しかし彼女は心ここにあらずといった様子で言葉を漏らし、へなへなと地面に座り込んでしまった。いつも自信満々だったカミーユが一変して町娘とさして変わらないような雰囲気になり、努は狼狽(ろうばい)した。
「え? ちょ、どうしました? そういうタイプじゃないでしょ貴方!」
「……たった三人でかなうはずがない」
「えぇ!? せめてやってみてから言って下さいよぉ! なんか戦闘民族みたいな感じだったじゃないですか貴方ぁ!」
「…………」
カミーユはなまじ神竜人であるが故に、火竜には勝てないと本能で悟ってしまい心が既に折れていた。たった三人。自分だけで火竜など倒せるはずもない。それにガルム一人であんな化物を抑えられるはずもない。カミーユの心の中で言葉が渦巻く。
肩を揺すっても気絶したように反応を示さないカミーユから、努はそっと手を離した。
(これは、想定外だな。そんな臆病な性格には見えなかったんだけど)
まさかあそこまで自信に満ち溢れていたカミーユが使い物にならなくなるとは想定していなかった努は、すぐに切り替えて淡々とカミーユの武器を下ろさせた。そしてしゃがみこませた彼女を火装束で包む。
既に火竜は喉部分を赤く光らせながらも空から滑空してきている。努はマジックバッグから閃光瓶を取り出すと叫んだ。
「閃光いきます! ブレス!」
口から火炎を漏らしながら近づいてくる火竜の前に努は立った。そして閃光瓶を思いっきり振って火竜に向かって投げつける。火竜は地面を焼き払うように燃え盛る炎を吐き出した。
努はすぐに袖の長い火装束でしっかりと身体を丸め、カミーユがちゃんとブレスを防御出来るように抱きかかえながらもブレスを受けた。
空気を吹き付けられているような音。それに背へ感じる僅かな熱さ。そして背を向けて目を閉じていても感じる光量。努が十秒近くそれに耐えているとブレスは止んだ。
閃光瓶は見事に火竜の眼前で爆発を起こした。それによって一時的に目を潰された火竜は翼をはためかせ空に留まりながらも、両目を閉じて警戒するように長い首を左右に動かしている。
蹲(うずくま)るカミーユを見て彼女はまだ動けないと判断した努は、マジックバッグから金槌を取り出して自ら火竜へと接近する。
細長い全体像をした火竜に努はどんどん近づいていく。蛇のように長い尻尾と首。四足に黒爪が三つ。細身の胴体には赤い細やかな鱗が規則正しく張り付いている。努はするすると火竜の顔付近へと近づく。
口を開いたらそのまま飲み込まれてしまいそうな口元。火竜の息遣いを間近で聞いて努は背筋を凍らせながらも通り過ぎ、そして額の小さい水晶を発見した。金槌を持つ努の右手に力が入る。
しかし頭をゆらゆらと動かしているので水晶はかなり狙いにくい。モニターで見たように近づいて割るよりは、額に乗ってから割った方が確実だと努は判断して覚悟を決める。もしここで水晶を割るのに失敗すればカミーユが動けない今、空を自由に舞う火竜相手では全く手がつけられなくなる。
努は覚悟を決めるように自分へ再度ヘイストをかけ直した後、火竜の額へ勢い良く向かった。
火竜の額に膝から着地。すぐに努は片手を振り上げて金槌を振り下ろす。水晶の中心を金槌が捉えると、けたましい火竜の咆哮が努を襲った。大音量を受けて努は平衡感覚を失いながらも、火竜の額から吹き飛ばされるように飛び退く。
そしてそこに迫る火竜の大口を開けての噛み付き。岩石をも砕きそうな鋭い歯が出揃った口内が努を出迎える。彼は白杖を口内へ向けた。
「エアブレイズ!」
その口へ努は最大出力のエアブレイズを叩き込む。口の中を浅く切り裂かれた火竜が怯んだうちに彼は急いで地上へ逃げ帰った。
粟だった肌を摩りながらも努は水晶の力を失い、地面へ向かって滑空してくる火竜を見送る。そして耳を押さえてふらふらとしながらも不格好に地面へ着地した。足首をごきりと捻る。
「いっ!!」
左足首を捻った努は地面へと転がり痛みに悶える。耳も聞こえず感覚が薄れている努は少しの間起き上がれなかった。
「ウォーリアーハウル」
そして水晶を割られて飛行能力を失った火竜に向かってガルムは大盾と鎧を打ち鳴らす。ウォーリアーハウルの音響に釣られた火竜はガルムの方へ視線を向けた。
努はようやく収まってきた耳鳴りに頭を振り、着地で痛めた足首にヒールをかける。そしてまだ立ち上がらないカミーユに駆け寄った。恐慌状態という状態異常はゲームにはなかったが、それは龍化による狂化も同じこと。努は念のためカミーユにメディックをかけた。
するとその効果があったかは不明だが、カミーユの瞳に力が戻り始めたように努は感じた。彼は努めて明るい声で彼女に話しかける。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ」
カミーユは落ちた大剣を手に取って足を子鹿のように震わせて立ち上がった。誰から見ても戦える状況ではない。努は無理やり立ち上がろうとするカミーユの肩を押さえて宥(なだ)めた。
「プロテク。うん。全然大丈夫そうじゃないですね。取り敢えずブレスにだけ警戒して、しばらく見学してて下さい」
「わ、わたしは」
「丁度肩慣らししたかったんですよ。いきなり龍化されたら僕がついていけないので」
そう言いながらカミーユに火装束を被り直させた努はガルムにプロテクを飛ばす。そして唇を震わせていたカミーユを安心させるように笑顔でそう言い残し、フライで浮き上がって真逆に位置取り始めたガルムへと近づいていった。
カミーユは久々に味わった恐怖という感情に抵抗力がなく、尚且二人を信じきれていなかった。その二つが重なり彼女の身体は石のように固まってしまっていた。
ガルムも最初は恐怖で硬直したものの、彼は努に絶大な信頼を置いている。なので彼は火竜の眼前に晒されても、もう恐怖で身が固まることはなかった。
後ろの二本足で立ち上がった火竜は後ろの長い尻尾を鞭のようにしならせる。それをガルムは大盾を両手に構えて防いだが、耐え切れずに弾き飛ばされる。岩の地面を削りながらもしかし、ガルムが倒れることはなかった。
「シールドスロウ」
ガルムは大盾を投擲。それは火竜の右後ろ足に当たるも易々と弾かれ、ガルムの手元へと戻ってくる。火竜はガルムに向かい息を吸い込んだ。
「ブレス!」
努の叫びと同時に火竜の口から灼熱の吐息が放たれる。ガルムは着込んでいる火装束をしっかりと被って背を向いた。炎がガルムを炙るように襲いかかる。
そのまま十五秒ほどブレスを吐き続けた火竜は炎を噛み切るようにして中断した。そこには炭と化した人が倒れているだろうという火竜の予想は裏切られる。
「コンバットクライ!」
被っていた火装束を翻(ひるがえ)したガルムから赤の闘気が放たれた。それは火竜の足元を覆う。対して激昂するような叫び声。
「ヒール」
努はガルムから少し離れた場所からヒールでガルムの身体全体を修復する。四足を地に付けた火竜は這うようにガルムへと近づく。四指の先にある黒爪が硬い地面をがりがりと削る。
爪での斬撃や噛み付きだけは直接食らわないようにと努から警告されているガルムは、四足で近づいてきて振るわれた前足、鋭い爪の斬撃を大盾で受けた。
人が蹴った石ころのようにガルムは吹き飛ばされた。彼の履いている鉄靴が地面を削り高い音を立てる。転がりながら体勢を立て直したガルムは再び火竜へ立ち向かう。
尻尾での鞭のような打撃。前足の引っ掻き。ガルムは全て大盾で受けて地面を転々として吹き飛ばされる。しかし決して倒れ伏すことはない。吹き飛ばされながらも体勢を立て直し、すぐに火竜へと向かっていく。
幾度となく吹き飛ばす。しかし生意気にも立ち向かってくる小さき者に火竜は再び激昂の叫びを漏らす。叩き潰そうと前足を振るうも小さき者はその踏みつけだけは避けていく。
そんなガルムへ努はヒールとプロテクを飛ばして当て続ける。努に火竜の視線が向こうとすればガルムはシールドスロウ、コンバットクライなどで注意を引く。
しばらくその繰り返しが続く。長い首を縮めてから槍を突くように放たれる噛み付きをガルムは避け、ブレスは努の声と同時に火装束で逆巻く炎を防ぐ。
それを数十分ほど繰り返すと努はマジックバッグから水筒を取り出した後、ガルムの近くに空から寄ってからスキルを発動する。
「バリア」
透明な壁型のバリアがガルムと火竜の間を割って入るように展開された。突如現れた障壁に怯む火竜。しかしそのバリアは火竜の攻撃であれば一撃で壊れてしまうものだ。
だがその一撃を防げることでガルムが一呼吸おける隙を作ることが出来る。努は火竜から距離を取ったガルムに水を飲ませた。少し乱れていた息を見て努はメディックをかけておく。
バリアを爪での斬撃で紙のように破り捨てた火竜。ガルムから水筒を受け取った努は励ますように彼の背を叩いて火竜へと向かわせた。
(大丈夫だ。この調子ならガルムは崩れない。回復も追いつく)
ガルムのタンクとしての役割は十全を引き出せている。少なくともガルムと努が何かミスを犯さない限り、負けることはない。しかし、勝てることもない。ガルムだけでは火力が足りず、努が攻撃に移ればヘイト管理が厳しくなり青ポーションの消費も増える。アタッカーが不在では、勝利することは出来ない。
努はカミーユのいる方角に目を向けると、彼女は大剣を持って彼の下に飛んできていた。数十分火竜を相手に二人で戦っていた彼らの姿に、カミーユは勇気づけられていた。
「カミーユ! もう大丈夫ですか!?」
「すまない。不甲斐ない姿を見せた」
「ん? あぁ、寝不足はもう大丈夫そうですね?」
「……あぁ!」
頭を下げるカミーユに意地悪い笑顔でそう言いのける努に、彼女はいつも通りの自信に満ち溢れた声を返した。努は彼女の様子に安堵する。これで手札は揃った。これからが勝負だと、努は火竜を狩人のような目で睨んだ。
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