第15話 不穏な虫と紙面

 結局流されるまま五十階層まで行ってシェルクラブを一度目よりも余裕を持って倒しつつ、レベリングを終えた努はレベル28になってフライを覚えた。


 空を飛べるというのは何だかんだ憧れがあったので、努はわくわくしながらも早速海の上でフライを使った。ふわりと宙に浮く身体。そして努は見事に空中で体勢を崩して顔から海に突っ込んだ。


 努はずぶ濡れになりながらも海から顔を出して貼り付いた黒髪を左右に分ける。腹を抱えて大笑いしているエイミーに腹が立った努は彼女を海に立たせてからフライをかける。



「ヒャッホー!」



 エイミーは楽しそうに叫び声を鳥にでもなったかのように空を駆け巡っている。ざぶざぶと海から濡れたローブを引きずって出てきた努は、次にガルムへフライを付与する。



「ふむ、少し難しいな」



 最初は少しバランスを保つのに意識を割いて空中で静止していたガルムも、次第に慣れてきたのか空を走るようにして飛び始める。努は自分にフライをかけた。宙に浮く身体。視界が逆さまに。すかさず海に頭を打ち付ける。


 それからしばらく海の上で練習しつづけたが未だに努はフライのコツを掴めずにいた。もう二人だけでいいんじゃないかと努は遠い目をしつつずぶ濡れになった白ローブを絞った。



「こう、サッとやってバッとやれば出来るよ!! あとギューンってやれば前に飛べる!」

「出来ないよ!」



 エイミーの感覚的なアドバイスにそう返しながらも努は両手を横に広げて綱渡りをするようにバランスを取る。ガルムにいくつかアドバイスを受けて動かなければようやくその場に留まれるようになった努は、その体勢のままゆっくりと青ポーションを取り出そうとすると足を滑らせたように海へ落ちた。空中に浮いたまま指を差して笑っているエイミーに困り顔のガルム。


 努はぷかりと仰向けに浮かんで空を見上げた。



「空はなんでこんなにも青いのだろう」

「ツトムが壊れた!」



 騒ぐエイミーに海から引っ張り出されて努は沈んだ顔を上げた。



「なんで二人はすぐ出来て僕は出来ないんですかね……。いや、二人が凄いだけだと思うんですけど」

「恐らくDEX器用さの差だろうな。エイミーはBで私はC+。努はD+なのだから出来ないのは必然であろう。気を落とすことはない」

「あぁ。なるほど……。まぁ、僕はお二人みたいに飛びながら戦うのではなく、落ちて死ぬことを防げばいいだけですしね。それに落ちた際に使う緊急用の魔道具もありますし、取り敢えず渓谷攻略には移れそうです。そろそろ死んでみるのもいいかもしれません」

「む、そうだな。確かに努は初回死しか経験がない。そろそろ死に慣れることが必要になってくるであろうな」

「痛いのは勘弁してもらいたいですけどね……」



 探索者は痛みや死を恐れてはならない。外のダンジョンなら慎重すぎることが最善だが、こと神の管轄されたダンジョンでは最善ではない。時には自分の命を消費してでも成し遂げなければいけない役割は存在する。


 試しに断崖絶壁から飛び降りてみるのも悪くないと提案するガルムに努は顔を青くした。ガルムやエイミーはその時になれば命を簡単に捨てることが出来るし、痛みもある程度我慢が利く。努はダンジョン外でショック死でもしないか心配になるほどの大怪我も、二人はものともしない。


 努は何かそういう恐怖や痛みを誤魔化せるような薬は存在しないのか模索しようと思いつつ、いい時間になったのでフライの練習を切り上げて黒門へ移動した。


 そしてギルドに戻った三人はそこで解散した。努は受付でソリット社から振り込まれた金額を確認する。努の口座には三十万G振り込まれていた。


 三時間じっとしているだけで三十万Gは多い方だと努は素直に思った。先日シェルクラブからドロップした水の大魔石が七十万G。ただ話を聞かれて答えるだけでおよそシェルクラブ討伐の半分ほど貰える。


 確かにこれならインタビュー料目的で最高階層を更新するクランの考えもわかると努は理解を示した。一言二言しか話していない努でさえこれだけ貰えるのだ。これより多い金額をインタビューに答えるだけで何回も貰えるのだから確かに美味しい話だ。



(まぁお金にはそこまで困ってないけど、死んだら装備ロスト喪失する可能性あるしな。あるに越したことはない)



 全滅しない限りは全ロストすることはないがそれでも蓄えはあるに越したことはない。巨大モニターに映ってスポンサードや取材を受ければ一気に資金調達が楽になる。そうすればクランハウスも設立出来るだろう。



(ま、気長にやっていきますかね)



 慣れないフライに振り回されて疲れた身体を動かしながらも努はギルドを出ようとした際、三人組の男たちが彼の前に立ちはだかった。



「よぉ~幸運者(ラッキーボーイ)?」



 表立って絡んでくることは随分と久々だった。そのことに努は驚きつつも前に通す気のない三人に受け答える。



「なんでしょう。ギルド内で絡むと職員に捕まりますよ?」

「相変わらずお上品な振りしやがって。元孤児のくせに生意気なんだよ」

「ガルムさえいなきゃお前なんて怖くねーんだ。糞が」

「怖くないのでしたら放置しとけばいいと思うんですけどね」



 チンピラのような見た目の探索者に胸ぐらを掴まれて努は爪先立ちになる。そんな努の表情は変わらずに真顔だ。ギルド内で暴力沙汰でも起こせば厳重に処罰される。なのでここで事を起こすことはないと考えての余裕だった。


 そんな努の心情を読み取ったのか探索者は舌打ちをして手を離した。努はシワのついた白ローブを無言で直す。



「けっ。そんな余裕ぶってられるのも今のうちだぜ」

「はぁ。もう行っていいですか。疲れてるので」

「明日が楽しみだなぁ!? おい!」

「糞が!」



 何やらいつもよりやかましく絡んでくる探索者の横を通り過ぎて努はギルドを出た。ガルムが努の護衛についてからは虫の探索者も小言に留まっていた。あそこまで粋(いき)がったことは幸運者(ラッキーボーイ)という二つ名が広まった直後くらいだ。


 探索者がガルムという抑止力がありながらも絡んできた。明日に何かが起こるのかなと努は頭の中で考えたが、フライの練習で身体も頭も非常に疲れていた。努はその後クリーニング屋に装備を預け宿屋へと帰って風呂に入り、吸い込まれるようにベッドに入ってすぐに眠りについた。



 ――▽▽――



 宿屋のスライムベッドで努が気持ちよく寝ている中、部屋の扉が乱暴に叩かれた。何だ何だと飛び起きた努は慎重な足取りで扉に向かった。



「ツトム! 起きているか!」

「……ガルムさんですか」



 防衛用の警棒を持っていた努の手はガルムの声を聞いて弛緩(しかん)する。鍵を開けてガルムを招き入れると彼はすぐに扉を閉めて後ろ手で鍵をかけた。



「どうしたんですか。こんな朝早く。渓谷攻略にやる気があるのが嬉しいですけど」

「……この記事を見てくれ」



 ガルムがくしゃくしゃになった新聞を努に見せた。その一面には努のPT三人が写った写真が大きく飾られていた。目やにのついた目を擦って努は記事内容を読んだ。



『乱舞のエイミー。幸運者(ラッキーボーイ)に弱みを握られPT加入を強制!? 

 幸運者はギルドとの内約でPTに狂犬のガルムと乱舞のエイミーを加入させている。それはギルド長から発行された契約書を見ても事実である。

 だが私が三人の取材に伺った際、エイミーが幸運者のご機嫌を取っているような様子が見受けられた。それを見て私は不審に思い独自に探索者への取材を開始した。すると驚愕の事実が浮き出てきた。

 とある複数探索者から寄せられた情報によると、エイミーはギルド内で幸運者に縋(すが)って許しを乞い、幸運者はそれを足蹴にしていたという。ギルド長の契約書ではPT内のメンバーは対等でなければならないと確かに記されている。

 更に複数の中堅クランにもソリット社でお話を伺ったところ、エイミーは幸運者に対して見捨てないでと叫んでいて、幸運者はそれを見下して下世話な笑みを浮かべていたという話を聞くことができた。その後も百人ほどの探索者に取材を依頼し、ギルド職員にも取材を行った。そしてそのことは事実であるという裏を取ることが出来た。どうやら幸運者で知られているキョウタニツトムはエイミーの何らかの弱みを握っており、それを盾に彼女に強制的な命令をしているとのことだった。

 あの乱舞のエイミーが泣く泣く従わざるを得ない弱みはまだまだ調査が足りずに得ることが出来ていないが、これは由々しき事態である。ソリット社はこれからも調査を続け、幸運者がどのような弱みでエイミーを脅しているかを暴き出します。そのためにどんな些細な情報でもソリット社に提供して頂ければ幸いです』



 昨日の探索者の愉悦顔(ゆえつがお)はこれが原因か。努は昨日の出来事を思い出しながらも乾いた笑いが出そうになった。その後も延々と続く記事を見て情報提供者はほとんど絡んでくる探索者たちだろうなと努は推測した。



「しまったなぁ。あれがこう捉えられるとは思わなかった。怒るにしてもダンジョン内とかにしとけばよかったですね」

「ツトムっ!」



 へらへらとしながら新聞記事を見ている努をガルムは一喝した。水をかけられたかのように肩をビクつかせた努はおどおどしながらガルムを見た。



「何が可笑しいのだっ。ここまでの屈辱を受けて、なにをそんなに笑っているのだ!」

「うーん。まぁ笑うしかない、みたいなところはありますよね。これ」

「…………」

「少なくともこの騒動が収まるまではエイミーさんはPTから外さなければいけませんし、こんな悪評が広まってはPTメンバーの補充も出来ません。あ、もうこの記事って出回っちゃってるんですよね?」

「……あぁ」

「ならもうどうしようもないですね。記事を回収するのは難しいでしょうし、ソリット社に訂正の文言を次の新聞に載せてもらうよう交渉をするしかないと思いますよ」



 あらかた目を通した新聞を綺麗に畳んだ努は淡々と普段着に着替えた。今思えばミルルという者も取材が終わった後は何だか様子がおかしかった。面倒がらずに釘でも刺しておけば良かったと努は内心で独りごちた。



「それで、ガルムさんは僕の護衛に来てくれたんですか?」

「勿論それもあるが、ギルド長にツトムを連れてくるように命令されたのだ。……それと恐らく警備団の者も来るだろう」

「わかりました。顔とか洗ってくるので少し待って下さい」

「……ツトムはどうして平然としているのだ」



 洗面所へ向かって歯を磨き始めた努の背にガルムはポツリと問いかけた。水で口を洗い流した努はいやいやと手を振った。



「平然というよりは、何でしょうね。頭が追いついていないというか、なんというか」

「私は今すぐにでもソリット社へ殴り込んで、記事の回収と訂正を交渉する」

「えぇ!? 流石にそれはちょっと不味いんじゃないですかね」

「……ふん。ツトムならそう言うと思っていた。幸運者呼ばわりする虫の探索者にすら気を使う男だ。もしツトムが荒事に嫌悪感を示さない者であれば、私はもう既に乗り込んでいただろう」



 ガルムは努が畳んだ新聞を掴んでぐしゃぐしゃと両手で丸めてゴミ箱に放り投げた。努は顔をタオルで拭きながら少し引き笑いした。



「いやいや、そこまで大事にしなくてもいいですよ」

「……ツトム。聞いてくれ。確かに私は最初ギルド長に依頼されてお前のPTに入った。その時はお前を育ててやろうなどと愚考していた。だが沼を越えた時点で私はお前を……対等な仲間と思っている」

「……それは僕も思っていますよ」



 努はガルムの真剣な雰囲気と言葉を感じ、笑顔を引っ込めて彼の方に向き直りながらそう答えた。



「なら自分を卑下するな。ツトムはもっと評価されるべきなのだ。五十階層を越えられたのは間違いなくツトムのおかげなのだ。二年前に越えられなかったあの階層の先を、お前は俺に見せてくれた。お前は私と対等以上の実力を持っている」



 それなのにと、ガルムは両の拳を握って震わせる。



「……そんなツトムを周りは笑いものにする。私はお前が馬鹿にされるのは、悔しい。悔しくてたまらない。だからツトム。この記事に怒ってくれ。私に助けを求めてくれ。そうしたら後は私に任せてくれればいい」



 ガルムはまるで懺悔でもするかのように顔をしわくちゃにさせて努に乞うように片膝をついた。



(言ってて恥ずかしくは……ないんだろうなぁ。ガルムさんは)



 努の日本での友人はほぼ利害関係のある者しかいなかった。周りの視線を気にした上辺だけの付き合い。大学の講義中にだけ声をかけ、授業を休んだ際の出席とノートを見せて貰うだけの関係。


 いつしかそんな友人関係しか築けなくなってしまっていた努には、今のガルムは眩しく見えて何だか恥ずかしく感じた。


 頭を上げずに努の言葉を待っているガルム。そんな彼に歩み寄った努は、彼の肩を横から軽く叩いて顔を上げさせた。



「ガルムさんの気持ちはわかりました。僕もこの件については思うところもあります」

「そうか! では早速――」

「殴り込みはしませんからね」



 努の言葉を聞いてしおれていた犬耳をピンと立てて立ち上がったガルムは、その後彼の返事にしなしなと尻尾を下ろした。そんなガルムに努は苦笑いを零す。



「殴り込みはしませんが、この不始末の責任はしっかりとソリット社に取ってもらいます。ただもし自分が駄目だった場合は、ガルムさんの力を借りることにします。……いいですか?」

「……あぁ! 任せてくれ。仲間がここまでコケにされたのだ。相応の責任を負わせてやる」

「あはは。そうですね。それじゃ、ギルドに行きますか」



 お互いに意地の悪い笑みを浮かべた二人は顔を見合わせて笑った後、強い足取りでギルドへ向かった。

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