第4話『静かなる海、動き出す運命』

 跳躍の魔女クレイジーブーツは朝焼けと共に目を覚ました。傍らに佇むは月の瞳の剣士ヨニ。魔眼の上位者、魔法を操る者。革細工や小物が積まれた狭い部屋に薄明るい陽が差す。ヨニが瞳を開くと朝陽の中に月光が混ざり、金と銀の光が十六歳の少女を照らす。

「……おはよ」

少女が上体を起こして挨拶をすると月の瞳は彼女を見つめた。二歩近付き、膝を落とした大柄な剣士は形の整った薄い唇で少女の額に触れた。この行為が彼の挨拶なのだろうと理解した魔女は口付けを甘んじて受け入れた。


 洗面所で出会した双子は何とも言えない複雑な気持ちでお互いを見た。

「……おはよう」

「おはよ」

当然のようについて来た上位者エラに好きに髪をいじらせた姉妹は久しぶりに自分の手で歯ブラシを動かした。

 リビングへ向かった双子はそれぞれの従者たちと顔を合わせた。平和なはずの朝、四人は決して幸福ではない状況に眉をしかめた。

「おはようブルーム」

「おはようございますマスター、ブーツさん」

「おはよう。アルフおはよう」

「おはようございますマスター。ヒールさん」

「おはよう。朝ごはんにしようか」


 シルキーが用意したベーコンパンケーキを口にしながら四人は初めて家族会議を行った。

「このままじゃダメだと思う」

「まあ、遅かれ早かれこうなるだろうとは予想してたんだけど。上位者でももうちょっと馴染めるかなって期待もあった」

「そうだね。アルフ、聞いてもいい?」

「はい、マスター」

「魔眼って、色んなものが見えるんだよね? 具体的にはどう言うことなのかな? 知ってる範囲で教えて」

「僕が習ったのは……魔眼を使う間、僕らは天理に触れているそうです」

「天理。万物を操る魔法の力、よね」

「はい。そしてその力はあくまで上位者たちのもの。ヨニ様は僕に“お前の目は我ら星見の残滓。砂にも満たない塵だ”と仰いました。つまり僕らは本来魔眼を持ち得ないはずなのにその力の一部を使っているそうです。そのように受け取りました」

「うーん、なるほど」

「魔眼を使う間だけ天理に触れる僕たちは、色々な物を見たり聞いたりします。人の心が読めたり、知らないはずの町が見えたり。僕ら下位者は授かる力を選べません。もっと多くの力が欲しいなら常に魔眼を使えばだんだん、数は増えていくのですが……そうなると中位者に転じます。そして中位者は常に人の心や魔物の叫び、森の囁きに晒され続けるそうです」

「……中位者は発狂して俗世を離れ孤独死する」

「はい、その通りです。僕ら下位者の奴隷たちは、それが魔眼を持ってしまった者の顛末てんまつだと教えられました」

「こんな子供にそんな話をするの?」

「嫌な教師」

アルフは困ったように笑った。

「僕が知っているのはその程度です」

「そっか、ごめんね。ありがとう」

双子の妹はこの時点であることを考えていた。姉の顔を窺った彼女は、視線が交わると意を決して心を声に出す。

「考えてることがあるの」

「ろくでもなさそう」

「うん。上位者二人を同じところに留めるのは危険だと思う。だからさ」

「離れて暮らす?」

「私が旅に出ればヨニの方はついてくるでしょ」

「本物の冒険者になるって言うの? 私を置いて?」

「帰る家がなくなったら困るじゃない。それにヒールはこの家の跡取りなんだよ?」

姉は認めたくなかった。妹の言っていることは分かる。ただでさえ歩く災害と呼ばれる上位者が小さな町に二人もいるのは危険だ。それでも妹を一人旅立たせることを認めたくなかった。

「嫌よ」

「わがまま言わないで姉さん。これじゃいつもと逆だよ」

「私を置いていくの!?」

「私たちは二人で一つだよ。離れてたって変わらない!」

「嫌よ! 母さんに置いて行かれたのにどうして妹にまで置いて行かれなきゃいけないの!? 父さんだって!」

「姉さん!」

双子の姉は泣いて階段を駆け上がり、自室に閉じこもってしまった。妹は階段を見上げ、決してその姿を追わずにリビングに戻り、姉の従者ブルームの手を取った。

「……姉さんをお願い」

「はい、ブーツさん」

上位者エラを見た双子の片割れは初めて自分からエラに抱きついた。

「あなたは私たちの母さんじゃないけど、姉さんはずっと寂しかったの。だから母さんのように接してあげて」

体を離すと上位者エラは微笑んでいた。そして双子の妹の頬を撫でると、「いってらっしゃい」と薄く唇を開いた。


 冒険者ギルドに跳躍の魔女の妹と従者アルフ、上位者ヨニだけが姿を現すと町の住民たちはどよめいた。双子は必ず行動を共にする。直前まで喧嘩をしていても一緒に買い物に出る二人の仲を知っている彼らは余程の事態だと目を剥いた。

 双子の妹が昨日までのように客室に現れると魔術師と魔女たちは少女の固い表情を訝しんだ。

「姉はどうした?」

「置いて来ました」

「喧嘩でもしたのか?」

「いいえ、別れを告げました。私はアルフと一緒にこの町を出ます」

「急だな。事情を話せ」


 クレイジーブーツは上位者が二人も同じ場所に留まるのは危険だと話し、それなら剣を持つヨニを引き寄せる妹の自分が町を離れるのが妥当だと説明した。

「理には適っている」

「そうお考えなら後押しを頂けますか?」

隻眼の魔術師アスドルバルを始め水晶の魔女クオーツ、天体魔術の後継者魔術師ウォーレン、魔術師ルーカス、魔術師フォルカーは顔を見合わせた。

「冒険者パーティは四人までだ。この中から誰か付けよう」

魔術師フォルカーは迷うことなくすぐ手を挙げた。

「それなら俺が。ルーカスは研究室を預かっていますし二番弟子の俺なら個人で動けます。俺の仕事は弟子に引き継がせて、ルーカスのそばに置きます。報告は逐一ちくいち。どうでしょう?」

「ふむ。どうする跳躍の魔女?」

「はい、魔術師フォルカーなら勝手知ったる仲ですし有り難いです」

「ではそのように。構いませんね? 魔術師ウォーレン」

「……わかりました。ここは鉱石派に華を持たせましょう」


 出発は三日後。跳躍の魔女クレイジーブーツはいずれ姉と住まいを分けるために貯めていた資金を崩し従者アルフに着替えと旅の装備を与え、未完成だった革細工のいくつかを完成させると、まだ納得していない姉に差し出した。

「置いていくから生活費に回して」

「……どうしても行くの?」

「姉さんは馬鹿じゃない。とっくに理解してるでしょ」

姉は腫れた目で革細工を見ると、受け取らずに一度自分の部屋に戻った。姉は同じく仕上げていた革細工を持ってくると妹に差し出した。

「じゃあ、私の分は旅の費用に当てて」

「……うん」

双子の姉妹は互いを腕に収めた。今生の別れではない。そう思っても長い間離れたことがない二人はそれぞれに不安だった。その不安と恐怖を押し込めて、二人は体を離した。




 冒険者ギルドの受付近くで待っていた魔術師フォルカーは、自らが仕上げた真新しいブーツを従者に与えた跳躍の魔女の妹を視界に捉えた。

双子の片割れは普段の素っ気ない黒い魔女服ではなく、金糸で装飾が入った薄茶色のローブと年相応にフリルで彩られつつも足捌きを重視した魔女のワンピースに身を包んでいた。

まるで戦争に行くような隙のない姿に、そんな顔もするのだなと魔術師フォルカーは感心した。

「今日からよろしく」

「おう、世話になる。ギルド長からの依頼はこれ」

フォルカーは依頼書をブーツに手渡した。瘴気が消えた西の森を経由し、国境付近の魔物を退治しながら隣町の冒険者ギルドを目指す。

「道中手に入った魔物の素材は移動資金に当てていい。さすがオイヴァさん、寛大ね」

「山は越えないようにって指示だ」

「オーケイ」


 受付を早々に済ませた魔女ブーツは冒険者ギルドの入り口でパーティメンバーを集め顔が見えるように並べた。

「今日からパーティのリーダーを務める跳躍の魔女、クレイジーブーツよ。これは礼儀としての挨拶。それから責任を負う表明」

「そんなガチガチにならなくても年長者の俺がなんとかするぞ」

「町を出るのは私の意思だから、フォルカーはあくまでも補佐よ」

「一丁前に。いや、とっくに一人前の魔女だったな。失敬」

クレイジーブーツはパーティメンバーの顔ではなくある場所を見つめた。彼らもつられてそちらを見ると跳躍の魔女の片割れが上位者エラや従者ブルームと共に妹たちを見送りに来ていた。

双子は決して駆け寄ったりせず、その場でじっとお互いの瞳を見た。揺るがない意思を示す妹。家を守ると決めた姉。手を振ることもなく、妹は家族に背を向けた。




「挨拶しなくてよかったのか?」

「姉さんと? とっくに済ませたわよ」

「ふうん」

 跳躍の魔女一行は浄化された西の森を歩いて移動している。魔術師ウォーレンは時々道端の野草の具合を確認ついでに摘んで、クレイジーブーツに手渡した。

「毒草だったのに瘴気から解放されて薬草に戻ってる」

「魔術じゃなくて魔法だから威力が違うんでしょうね。フォルカーはどう考えてるの?」

「魔力が地面に滞留してるんじゃないか? 呪文が聞き取れてればな〜、どんな魔法か推測出来たのに」

「唯一見てたのがヴィートたちじゃね。古語だったのか神代の言語だったかだけでもわかればもうちょっと……」

魔術師と魔女は溜め息をついた。魔女は薬草をおやつのように口に入れる。

「味は?」

「薬草なのにすーごいいい香り。お茶の葉っぱみたい」

「マジか?」

フォルカーは薬草を再び摘むと自分の口に放り込んだ。

「お、うめえ。クッキー食いたくなるな」

「町に着いたら買ってあげる」

魔女クレイジーブーツは薬草を一つ摘むと従者アルフに差し出した。

「騙されたと思って食べてみて」

「はい、マスター」

跳躍の魔女手製の長い革靴、革のハンチング帽に紺色のローブを羽織った従者アルフは怖々と薬草を口に含んだ。

「んむ!」

不安そうなアルフの表情はパッと明るくなった。

「どう? 苦い?」

「苦いですが食べられます。美味しいと感じます」

「でしょ? その薬草、どんなに丁寧に育ててもそこまで香りが高くならないの。すごいことなのよ」

「そうなのですね」

「ちょっと摘んでいかない? いい値段になるかも」

「同じこと考えてたわ」


 魔術師と魔女は少し歩いた先で薬草を編みカゴに重ねていく。従者アルフは気になっていたことを思い出してチラリと魔術師フォルカーの背を見つめた。

「……マスター、質問があります」

「なに?」

「魔術師さまは何故使い魔をお連れじゃないのでしょう?」

「ああ、フォルカーの使い魔は召喚型なの。召喚するタイプの使い魔はパーティメンバーじゃなくて装備品扱いだから、用事がない限りそばにはいないの」

「そうなのですね」

「そうよ」

十六歳の主人の笑顔を見たアルフは微笑みを返した。彼らが薬草を摘む後ろでは上位者ヨニが月の瞳を伏せ静かに佇んでいた。


 魔女と魔術師は薬草を摘んだその場でポーションを作り始めた。従者アルフはまだ勝手が分からないので主人の手元をじっと観察する。火打ち石で点けられた火に小鍋をかけた魔女たちはそれぞれ魔力を注ぎながら薄緑色の液体を作り、小川の流水で鍋ごと冷やすとガラスの小瓶に詰めていく。

「マスター、質問があります」

「なあに?」

「薬草をそのままでは無くすぐ薬に変えた理由をお聞きしても?」

「薬草が生えてる土地が上位者の魔力に晒されている特殊な状態だから。今はナッツヒールの西の森だけでこの薬草が採れる状態でしょう? もし隣町に着くまでに香りが抜けきっていたら? 価値が落ちるよね」

「はい」

「それから、特殊な薬草ならこれを欲しがる薬屋と商人に目をつけられる可能性がある。加工してしまえば薬草の産地は口頭で誤魔化せる。現物を観察されると隠し立てしてもバレちゃうからね」

「そうなのですね」

「そうなんです。だから下級ポーションだろうが何だろうがひとまず瓶に詰めちゃおうって判断ね。私は中級ポーションまでしか作らないけどフォルカーは上級ポーションを試してみてるの」

魔女クレイジーブーツはアルフの眼前に下級ポーションと中級ポーションの小瓶を並べて掲げた。

「色が薄い方が下級、濃い方が中級よ。フォルカーの瓶と比べてごらん」

跳躍の魔女が示すと魔術師フォルカーは完成した上級ポーションを掲げた。

「さらに色が濃いんですね」

「そう。色で見分けるの」

「覚えます」

「そうして」


 魔女と魔術師の予想では西の森を抜け切るのに一日半かかる。案の定陽が傾き星が輝き出し、一行は森の中で比較的拓けた場所を選んで野営の準備を始めた。跳躍の魔女は従者アルフに野営の設立を手伝わせながら、野営では必ず蛇避けの縄を敷くことや木の枝一本と釘で出来るテントの張り方を教える。

 魔女一行が野営の準備を終え夕食の下拵えに取り掛かるとそばで佇んでいた上位者ヨニが動いた。魔女クレイジーブーツと魔術師フォルカーが注目する中、暁星の民の男はこれまで決して触れなかった白いフードを外し、短い白銀の髪を月のない星空の下に晒した。

「“偽りは物の表面を覆う”」

抑揚と共に放たれた言葉に魔術師たちは目を見開いた。

(話した!)

(何語? 知らない言葉ね……)

「“星を見つめぬ愚者は泥に浸かる”」

(俺たちが知ってる古代語にかすらないってことはもっと古い言葉だ。神代の言語か?)

上位者ヨニは腕をゆっくりと広げた。

「“我は子に与えん”」

星空がいっそう煌めいた。

槍のように降り落ちた星の軌跡は魔女たちが張った蛇避けの縄に突き刺さり、青白い光を保ったまま塔のように彼らを囲った。上位者ヨニは白いフードを被り直すと佇んで目を瞑った。クレイジーブーツはそれが彼の眠りなのだと気付き始めていた。

「……さっきの、何語だと思う?」

「わからん。一切わからなかったことを考えると習った古代語より古いな」

「これは……結界かな?」

跳躍の魔女は直接触れるのではなくその場に落ちていた木の葉を拾って結界に近づけた。木の葉は光の槍に触れると一瞬で上に吹き飛び、鳥が飛ぶような高さから風に流された。

「うーん、魔術の結界とは性質が違うみたい」

「葉っぱが吹き飛んだな」

「……いやー、もう考えるのだるい。先に寝るわおやすみ」

「あ、おい!」

「先生方に報告ヨロシク〜。寝ようアルフ」

「はい、マスター」

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