パワー系探偵・激烈剛寺 猛の解決譚

新木稟陽

激烈剛寺 猛と違法カジノ


 こんな噂がある。

 都内に事務所を構える、とある探偵事務所。そこにはどういうわけか様々なジャンルのプロフェッショナルが集まり、数々の事件を解決・悪を成敗する。

 しかしその活動実態も構成員も謎。

 だが、彼らの"被害にあった"という、これまた噂の"元"悪人はこう言う。


「金も握らされていないし、口止めもされていない。だが、話したくない。はなせるわけがない」


 まるで子供の作り話、味方のいない弱者の妄想のような噂。




 都内某所。駅から少し歩いて路地に入り、階段で直接地下へ。

 ドアを押すとレトロな響きのベルが来客を知らせ、グラスを磨いていたバーテンダーが視線をよこす。


「いらっしゃいませ」


 彼はそれだけ言うと、またグラスに視線を落とす。ダリのような目立つ髭を生やしたナイスミドル。愛想のわるい──と言うと、語弊がある。

 必要以上に踏み込まず、求められなければ会話をふることもない。静かに飲みたい人間にとっては理想的な隠れ家的バーだ。


「…………」


 そんな静寂の世界に一人侵入したのは、中折れ帽を目深に被ったトレンチコートの男。その古臭い風貌はまるで1940年代のロマンス映画だ。

 男は何も言わずにマスターの正面に座ると、人差し指でトントンとカウンターを叩く。


「デファイアント、ロック。氷は一つ、レモンをニ滴。シナモンスティックで三回ステア。」

「…………。」


 マスターは一瞬、視線を男に移す。


「どちらから?」

「そちらへ」

「……かしこまりました」


 マスターは小さく息をつくと、男を誘う。

 酒瓶の並ぶ棚。その中の一つを九十度撚ると、棚の一部が床へと沈む。奥に続くのは薄暗い階段だ。


「お楽しみください」

「ああ。そうするよ」


 背後で隠し扉が閉ざされたことを確認し、歩をすすめる。地下へ二階分程度下った男を出迎えるのは、防音性の高い分厚い扉。しかし鍵がかかっていないことは把握している。

 躊躇はない。その扉を押し開け──


「いらっしゃいませ。御紹介はございますか?」


 瞬間、大音量のジャズが鼓膜を揺さぶる。踏み心地の良い真紅の絨毯と、綺羅びやかなシャンデリア。

 上品なスーツに身を包み、カジノテーブルを囲む中年。まだ酒の味もわからないだろうに、悪趣味なデザインのソファに座って高級酒を呷る若造。

 そんな空間で男を出迎えたのは屈強なドアマンだ。彼は開口一番紹介者を尋ねるが、男にそんな友人はいない。先とはうってかわって、おちゃらけた軽い口調で話す。


「いや、ないよ。なんでも簡単に儲かるって聞いてな」

「申し訳ありませんが、御紹介無しでは──」

「まぁ待て」


 穏便に、しかし早速男を追い出そうとするドアマンを、一人の男が制止した。

 高級なスーツと蝶ネクタイ。細身の長身で、髪はガチガチに固めたネオ七三。彼は胡散臭い笑みを見せる。


「よくぞいらっしゃいました。私支配人のアキタニと申します。」

「これはご丁寧にどうも。俺は門田だ。ここ、カジノなんだろ?」

「どうか、御内密に」


 アキタニと名乗る男は唇の前に人差し指を立て、軽くウインクして微笑む。


「わかってるってぇ。……ンなことよりよ、早く遊ばせてくれや」

「随分自信がおありなようで」

「ったりめぇだろ。誰だって相手してやるよ」

「なら……私と対戦していただけませんか?」


 瞬間、辺りがざわつく。

 このアキタニが出張るのは珍しいことなのだろうか。遠巻きに話を聞いていたらしい先客たちが、次々とゲームを中断するほどに。


「おーおーやったるわ。支配人なんだろ? だったらいっちゃん儲かりそうだかんな! ゲームはなんでもいいぜ?」

「ふふ、では……ヘッズアップポーカーで」


 アキタニは不意の新規客をテーブルに案内する。

 フィッシュ──カモだ。

 そう、確信していた。

 アキタニは三十二歳にしてこの違法カジノの支配人に成り上がった男。頭が回る、なんて可愛い言葉では形容できない程に聡い。相手の挙動から心理を見抜く観察力や経験にも富んでいる。その上で、この門田という男をカモと確信した。

 しかし、ここに来るための合言葉を知り得た人間だ。紹介者がいないということは、カモを捕まえてきた仲間がいるわけでもない。

 例えこんな男でも、細心の注意を払う。それが、ここの支配人に上り詰めた男の用心さ。

 二人は、テーブルにつき──。




「え……と、フルハウス、です」

「……フン、ワンペアだ!」


 これはアキタニにとって、大誤算だった。


「……では、これで貴方の賭け金は」

「すっからかんだ」


 弱い。弱すぎる。このカモは、あまりにも弱すぎた。弱すぎる癖に、負けても大した反応を見せない。たった今、持参した五百万を完全にスッたというのに。

 なにか、なにか作戦なのか、これは。いやでも今全スリしたし。え? なに? 何でそんな普通の顔してんの? ちょっとこわ……

 門田の堂々とした負けっぷりに、アキタニは一周まわって不気味ささえ覚える。


「本日は残念でしたね。しかしまた──」


 ので。金は落としてもらったし、もう帰ってもらおう、と振ったのだが。


「いや、待て。金を貸せ」

「……それは」


 このカジノには、確かにそのサービスが存在する。門田の発言は、それを知ってか否か。

 アキタニは部下にアイコンタクトを送る。一分後、その部下はタブレット端末を手に帰ってくる。門田は差し出されたそれを半ば乱暴に奪い取る。


「融資プランはそちらにある通りです。それぞれ担保も異なりますので──」

「これ」


 門田はそのうちの一つを、迷わず選択する。

 最高融資額、一億円。担保は──。


「よろしいのですか、そのプランは……」

「担保は俺の命ってことだろ? ほら、さっさと一億貸してくれよ。」

「返せなかった場合……覚悟は──」


 このプランを見て表情を曇らせなかった者は、今までいなかった。ましてや躊躇なく選択する狂人なんて。この場合、本来はアキタニが冷静に相手を揺さぶる筈なのに。

 門田はアキタニの言葉を遮るようにわざとらしくため息をつき──その瞬間、目つきが変わった。


「いいから早くやろう。ここからが本番だ」

「……!」


 先までのヘラヘラした間抜けの雰囲気は無い。今では、数々の修羅場をくぐり抜けてきた獣のようにさえ見える。

 この男、やはりただものではない。

 思わず口角が上がってしまいそうになり、咄嗟に口元を隠す。アキタニも本来はただのギャンブル狂。これこそが生業にして生きがいだ。


「ええ。始めましょうか……!」





 おかしい。

 あり得ない。

 こんなはずではない。

 怒りのあまり、声が震えてしまいそうだ。目の前の光景が、信じられない。

 ショーダウン。アキタニの手札はフォーカード。門田の圧に負け、イカサマは出来なかった。だのに、大した役だ。それは自分でも思う……が。

 対する門田の手札、ワンペア。


「うーん、駄目か」

「門田さん……貴方、何をなさりに来られたのですか?」


 まるで変わらない。場の雰囲気に圧されない精神力だけは一級品、しかしそれだけだった。

 アキタニは声を荒げそうになり、必死に抑える。久しぶりに血湧き肉躍る勝負を楽しめると思ったのに、台無しだ。

 しかしアキタニも今はここの支配人。礼儀作法が求められる。己の中で暴れまわるギャンブル狂の血を抑え、冷静にならなければならない。むしろ、この男の愚かさを見抜けなかった自身を恥じるべきだ。


「はぁ〜。やっぱりなぁ。こういうの出来たらかっこいいと思ったんだけどさ」

「は……?」


 自分の立場がわかっているのか。そう言う間もなく、門田は中折れ帽を置いてトレンチコートを脱ぎだす。


「あの、何を……」


 いや。ここに来て彼にビビることはない。アキタニは手を大きく二回叩くと、静かに目を閉じる。

 これは部下を呼ぶ合図。しかしただの部下ではない。"こういう時"用の、屈強な部下だ。アキタニは暴力沙汰を好まない。この時は目を瞑り、愚か者の最期の叫びだけを聞く──のだが。

 うぐ、だか、ぐぼぁ、だか。

 二つの唸りと物が吹き飛ぶ音、破壊音が聞こえ、それ以降イヤに静かになる。


「え……?」


 目を開いて飛び込んできたのは、車に轢かれたかのごとく吹き飛んだ二人のガード。それぞれ吹き飛び先と見られるスロットマシン、カジノテーブルを背中で粉砕している。恐らく彼らの内臓や骨も同様だろう。

 そして。

 目の前には、熊がいた。

 否。そう、見えてしまった。

 それはあのカモ、門田だ。

 トレンチコートの中は異次元にでも繋がっていたのだろうか、さっきまでと明らかにガタイが違う。


「え、え……? え?」

「着痩せするタイプなんだ」

「え? え? え?」


 着痩せするタイプとか、そんなレベルじゃない。というか、そんな話はどうでもいい。

 アキタニにとって、それは初めての感覚だ。

 思考が、追いつかない。


「ここ、違法カジノだろ? どうせ成敗するならそっちの土俵で叩きのめしたらかっこいいな……と、思ったんだよ。難しいな、ポーカーって。」

「え、え、え……え……」


 成敗。

 ここを、潰しに来た?

 え、え……


「キェェェェ!! だ、だ、ダーーーッッ!!!」

「わ、ワァァァッ!」

「アアアアァァァ!!!」


 アキタニは、人語を忘れた。

 ひたすら叫んで、手を叩きまくった。

 他の客もパニック陥り、走り回る。

 裏からガードがぞくぞくとやってくる。


「おらっ」


 門田のオーバースローによって放たれた、砲撃のようなテーブル。最初に出入り口のドアに手をかけた客の背中にそれが命中し、他の客は思わず足を止める。


「なんだテメェ!」

「何してんだ!」


 屈強な、といっても門田と比べれば子供にすら見えてしまうガード達が、彼の化け物に迫る。


「おらっ、おらっ」

「ぐわぁぁぁ!」

「みぎゃぁぁぁ!」


 それらが玩具のようにちぎっては投げ、ちぎっては投げ。


「ヒャァァァァ!!!」


 アキタニは手を叩きまくる。


「なんだあの野郎!」

「いてこますぞワレ!」

「ナメとんのか!」


 現れるガードたち。


「おらっ、おらっ」

「ぎやぁぁぁ!」

「のぉわぁぁぁ!」


 宙を舞うガード達。

 やがてガードの数が尽きると、今度は他のスタッフ、ひいては客までもが標的になる。


「助けてぇぇぇ!」

「いやだぁぁぁ!」

「あ……あ……」


 終わった。

 全てが、終わった。

 無に帰した。

 残ったのはメタクソに荒れたカジノ、血塗れで倒れるガード、泡を吹いて痙攣する常連、かろうじて呼吸ができているアキタニ、虚しく響き続ける、ジャズのBGM。

 この男は。

 確かに、数々の修羅場をくぐり抜けてきた獣だった。

 でも、ベクトルが違った。


「おい」

「ハッ……!」


 気が付けば、化け物は目の前に迫っていた。


「一億でいいや。なんかてきとうに鞄に詰めて、ちょうだい。」

「ハッハッハッハッ、ハッ、ハイッ」


 全速力で走る。スタッフルームに入れば、その先に裏口がある。持てるだけ金を持って、逃げよう。それしかない。

 スタッフルームのドアノブに手をかけ──


「ヒッ」


 た、とき。何かが顔の真横を追い越し、ドアに突き刺さる。

 スペードのエース。つまりトランプだ。さっきまで使っていた、なんの変哲もないトランプ──の、はずなのに。どうして金属製の扉に突き刺さってしまうのか。おかしいでヒョ。


「裏口はわかってるから。俺の仲間、張ってるからね」

「ナッ、ンナナナンナナカマ……!」


 この化け物の、仲間!? まさか、こんなのがもう一人いるというのか。二人かも!? ブラフの可能性もある。それに賭けるか。

 ……否。賭けに負けたときのリスクがデカ過ぎる。

 逃げ場は……ない。

 鞄に一億と一千万程度、入るだけ詰めて戻った頃、化け物はトランプタワーを作って遊んでいた。


「コ、ココッコチラデスッ」

「おー、うんうん」


 中身を確認した化け物は満足そうに頷き。


「ふふん」

「ハ、ハハ……」


 上機嫌に微笑み。


「よいしょ」

「アレ?」


 アキタニを軽々と持ち上げ。


「おらぁ!」

「いやぁぁぁ!」


 それをぶん投げる。

 天井に突き刺さったアキタニは、静かに尿を漏らした。


「……よし」


 化け物は満足そうにして手を軽くはたくと、中折れ帽とトレンチコートを拾い、鞄を担いでその場を後にする。




「あれーこれ、どうやって……ん?」

「……?」


 隠し扉の奥から声がする。一時間ほど前に入っていった新顔の声だ。初めての人間が一人で来て無事に帰ってくるとは珍しいな、とマスターは素直に感嘆する。


「少々お待ちください。只今──」

「ああ、大丈夫。マスター、ちょっと離れてて」

「……はい?」


 その声と同時に、隠し扉の棚が爆発する。


「────。」


 違う。爆発ではない。奥に見えた新顔の体勢から察するに、どうやら蹴破っただけらしい。


「お! これ、貰ってくね。グレンリベット好きなんだよね〜」

「────。」


 誰だ、この男は。

 シルエットが明らかに違うではないか。でも、声が出ない。

 マスターに出来るのは、その化け物が立ち去る姿をただ見送るのみ。



 門田というのは、当然偽名。

 彼の名は激烈剛寺 猛、探偵である。それなりの頭脳を持っていながら、最終的に暴力で依頼を解決する男。

 そして同時に、違法カジノという性質上金の動きが明確に記録されないシステムをいいことに金もくすねる、そんな狡い一面もある男。


 


 こんな噂がある。

 都内に事務所を構える、とある探偵事務所。そこにはどういうわけか様々なジャンルのプロフェッショナルが集まり、数々の事件を解決・悪を成敗する。

 しかしその活動実態も構成員も謎。

 だが、彼らの"被害にあった"という、これまた噂の"元"悪人はこう言う。


「金も握らされていないし、口止めもされていない。だが、話したくない。話せるわけがない」


 まるで子供の作り話、味方のいない弱者の妄想のような噂。

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