第九膳 『再会のメニュー』(回答編)
ビールを飲んで待ってろとの無言のメッセージに従い、僕はリビングで一人缶を開けることにした。彼女が用意したのはインディア・ペールエール、この渋い選択も本人は分かっているのか、それとも分からないでか。
全く美味しいよなと思いながらグラスにとくとくと注ぐ。結構冷えているではないか。
置こう。インディア・ペールエールの苦さのポテンシャルを堪能するにはぬるめをちびちびとがいい。
ソファにもたれ、視線を伸ばし台所の彼女をチラ見すると懸命にキャベツを刻んでいる様子が見えた。彼女が買ってきたのはビール一缶と割引の豚肉と半玉のキャベツと何か。その何かが肝心なのだろうけれど、エコバッグに隠れて見えなかった。お楽しみにせよというところだろうか。
しばらくして笛吹ケトルが鳴った。きゅぽーーっと大きな喚声を響かせながら、沸騰を告げる。彼女は「アッチアッチ」といいながら何かに湯を注いでいる。
まさか、うん、まさかね。そう思いながらほくそ笑む。僕には彼女の作ろうとしているものが少し想像出来てしまった。
そう、チャプチェだ。東洋人の彼女は母国で愛されるチャプチェを作ろうとしている。お湯は春雨を戻すためのもの。
彼女の料理を楽しみに完成まで時間があるだろうと僕はテレビをつけた。やっていたのはお昼の全国放送のワイドショーだった。
垢抜けした女性リポーターが田舎で中継をしている。見かけたニュースに思わずチャンネルを繰る手を止めた。
『山間に現れ消えたUFOの足跡をたどるべく、我々は××県××町内の山間部にやってきました。UFOが不時着したのは先々週のことです。それは多くの住民が目撃しています。その後UFOは姿を突如消した模様でその時の離脱の様子は目撃した多くの住民が語ります』
「今さら遅いよ」
ビールを口に運び独り言ちた。騒ぎになったのはずいぶん昔のような感覚がある。地元テレビが報じたのは二週間も前だ。オレはすでに知っているからね、なんて些末な優越感を感じながらその中継を聞き入った
『何時だったかな、お昼過ぎ。キンキンキンと走って向こうの方に消えたんだよ』
『銀色だったけれど、空に浮かんだら透明になったんですよ。すうっとね』
『音はそんなに鳴らなかったよね、だってみんな気づいてなかったんだし』
『せっかくの宇宙人でしょう。逃がしちゃって。どうして警察見てなかったんでしょうね』
「田舎だから」
そういって鼻で笑って見せる。アメリカだったら確実に逃がさないし、エイリアンそのものをきっと生け捕りにしていたんだろうなと思いながら。
番組構成は面白く作ってあるが、情報は地元テレビ局以上のことはない。口元に適温になったビールを運ぶと最上の苦さが喉に抜けた。つまみが欲しいな、と。立ち上がろうとすると小学生くらいの一人の男の子の証言が映し出された。タンクトップ姿の小坊主だった。
『見たよ。お姉ちゃんが歩いていったの』
凛としたに耳を傾ける、これは新たな証言だ。お姉ちゃん。エイリアンは女子か。
『へええ、どんな人』
『髪は茶髪で細い人』
茶髪で細いね、今どきたくさんいるから。
『何歳くらいかな』
『ううんっとね、女子高生くらい。外人さんだったよ』
外人さん…………こんな田舎に外人さん……
たしかにいるけど。視線をあちらに送る。
なんだろう、気持ち悪い。ビールのせいか。胸の奥がざわざわとし始めた。こんな土地にこんな偶然があるだろうか。
『お話したかな?』
『出来ないよ、意味わかんないもん。こんにちはっていったらね……
クルッポーっていったの』
「クル……」
瞬時に思考が停止する。頭中に虚無が押し寄せた。真白い景色の中、言葉がわんわんと繰り返される。
――クルッポーっていったの。
――クルッポーっていったの。
――クルッ…………ポー……
言葉を嚥下した瞬間、肌を冷たいものが走った。背にぞくぞくと寒気を感じて視線を上げると無表情の彼女が出来た料理を運んできた。心臓が縮みあがり、冷や汗が滝のようにだくだくと流れ。口内からインディア・ペールエールの香りが消えていく。
彼女がことんと食事を置いた。
――僕は戦慄した。
「…………」
「タベル」
「…………」
「タベル」
恐ろしい言葉が繰り返されている。いいや、食べない。食べないでくれ。
食べないでくれ!
「タベルタベルタベルタベルタベル」
ビールが心を揺らすのか、彼女の猛りが心を揺らすのか。
目前に置かれたのはカップ焼きそばのU・F・Oだった。
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