第二膳 『カレーの冷めない距離』(回答編)

「カレー……」


 と、呟いたきり彼女は黙ってしまった


 僕は一瞬考えた。嫌いだったのだろうかと。

 だが、この時の僕の考えはてんで見当違い。その理由については後に知ることになるのだが。とにかくカレーだ。


 豪快に腹の鳴った彼女を放っておくことはできない。ずいぶん空腹なようだ。

 目が合うと彼女は恥ずかしそうに腹をさすり、てへへと笑顔を浮かべている。そう、あの大音量を聞けば99パーセントの男はひく。

 だが僕自身は絞り捨てたはずの料理人の血が騒いだのか、不覚にも可愛いと思ってしまった。

 

 ジェスチャーを交えながらご馳走するよと伝え、キッチンのテーブルに着席してもらい彼女の前にご飯のみを乗せたカレー皿を置く。片手鍋を左手に持ち、右手にお玉を持って、彼女の前でまるでシェフのように振る舞った。

 

 鍋から瀑布のように流れるスパイシーなカレーを見て彼女の笑顔が綻んだ。

 ぽとりと皿に乗った大きな海老の神々しさに心惹かれているようだ。そして、北海道産のジャガイモと玉ねぎ、愛知産のブロッコリーと続く。

 

 立ち登る香りに自身の胃袋もまた刺激された。息を吸い込むと脳髄まで海老の香りが満たす。

 海老カレーは料理人であった頃、先輩料理人から伝授された十八番のメニューだ。


 二人で皿を前に手を合わせた。

 この時特筆すべきだったのは彼女の行動、彼女はいわゆる独特なあいさつをした。インド式に平手を合わせたあとクルッポーと鳴きながら、鳩のように首を前後にかくかく振る儀式めいた謎の行動。


 はたと考える。彼女の国の習慣だろうか、と。だが、この時の僕の考えもてんで見当違い。それも後に知ることとなるのだが。とにかくカレーだ。


「食べてよ」

「ハイ」


 物静かな彼女が遠慮がちにスプーンを持つ。そしてそっとひとすくい。


「オイシイ!」


 ルビーのように瞳を輝かせて満面の笑みを浮かべている。

 そうだろう、そうだろう。この海老カレーはただのカレーじゃない。


 有頭海老の殻をオリーブオイルで炒り、具材と海老を加えて炒めじっくり煮込み、殻を取り除いたあと、仕上げにシャワカレーの辛口のルーを投入した渾身の逸品で……

 おっと、シェフがまさかの市販のルーを使うのかというツッコミは無しだ!


 海老のミソから出た旨味が濃厚に香る。スパイシーなルーが厳選した具材とよく合うのだ。

 彼女は野生の獣のようにがっついた。皿まで食うのかというくらいがつがつと。

 スプーンでえぐりとるように米とルーの鬼ローテーション。かなりスパイシーなはずだが辛いとはひと言も漏らさずに。

 そしてあっという間に平らげてしまった。

 顔をうかがうと満足げな表情。晴れ渡る良い笑顔だった。


「あのさ、ここ」

 

 口の端についたカレーを指でとんとんと指摘すると子供のようにぺろりと舐めた。


――お前はぺこちゃんか!


 だが作法などいい、肝心なのは美味しかったかどうか。僕は口元に笑みを浮かべた。

 そう、その答えは聞かずとも分かっていた。




※オクラ、ナス、トマトなどの夏野菜にアレンジしても美味しく頂けます。

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